◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

経営に使うISO戦略が日本のふるさと会創生に有効的であることが認識され出し、リテラシーある企業退職者が動く。余裕あるボランティア族の先陣を寺泊会にいる輩が実証。
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96歳で振り返る60年前の寺泊会

東京寺泊会創立60周年を祝う

第一回大会参加者:下鳥 ハル(96歳)


此の度は寺泊会の創立60周年本当におめでとうございます

これ程長く続くのは代々の会長さん役員の皆様のお骨折りのお陰と感謝致しております。

思えば60年前に聖徳寺の窪沢住職さんからお声が掛り、3歳の娘を連れて浅草の西徳寺へ集まりました。
寺泊小学校の青柳清作先生も出席されていました。
総勢十数人だったかと思います。


写真提供;本人(娘と二人で参加しました)

皆さんの意見で、寺泊の様子を知りたいと、窪沢住職に頼んだところ、一か月に1回の割で、生の寺泊の様子を知らせて下さることになりました。


青柳先生は寺泊の歴史などを書いて「ふるさと便り」として送って下さいました。
私のように遠く離れていても故郷の様子が身近に感じられて、毎月楽しみに読ませて頂きました。

窪沢住職が亡くなられてからは、興琳寺の中村さんが交替されて50周年で機関紙としての「ふるさと便り」は一応終わりましたが、伝統の東京寺泊会はいつまでも続いております。
私も会員として60周年大会に出席したいのは山々ですが、96歳になり膝痛がひどく、
歩くのに困難して居りますので。残念ながら欠席とさせて下さい。ほんの僅かですがお祝いを同封致しました、御受納ください。

これからも会の益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。
平成27年2月23日
下鳥 ハル 



 
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入場大歓迎

 寺泊の杜氏さん10名が出演     「酒造唄」を披露
 
         
 新潟朱鷺メッセ公演  
         
           東京新潟県人会創立100周年記念大交流大会
           9月26日芸能大会2日目プログラム決定
司会 桑原政夫・橋本寛二
  ヤングキャベツ・中靜佑介
会場 新潟朱鷺メッセ・マリンホール
1 笑ってスタート・・お笑いコンビ「きぬがさ」  
           
2 「相撲甚句」・・・相撲甚句保存会  
3 「無法松の一生」・・大坂美喜社中    
4 「十二はしご」・・十二はしご保存会  
5 「妙高山賛歌」・・・妙高高原民謡愛好会  
           
6 「幸せはすぐそこに」・・伊藤章二(東京松の山会)
7 「千の風になって」・・・東京おけさ会  
8 「津軽三さがり」・・・おけさ船橋会  
9 「佐渡日記」・・・・佐渡小町会    
10 「米百俵」・・ ・東京関原会    
11 「心寿」・・・・東京おけさ会     
    唄 岩崎康一郎    
12 「琉球舞踊・四つ竹  鳩間節」・・・  
      沖縄より参加  
         
13 「越後路ひとり」・・・林 蔵之助    
14 「故郷酒」・・・・・本多光政    
15 「フラダンス」・・ホアビリフラ新潟校  
16 「愛の賛歌」・・渋谷文太郎    
  「ひばりの佐渡情話」・・渋谷文太郎  
17 酒造唄」寺泊酒造組合      
           
16 「フィナーレ輪踊り」 観客全員参加   
           
           
      大交流会の詳細    
       □  東京新潟県人会公式ホームページ 

朱鷺メッセ一階の物産展には寺泊からきんぱち・はまやき山源かまぼこが参加。

東京新潟県人会創立100周年記念大交流会は動員目標・4万人のところ、4万3000人が朱鷺メッセに来場した。
物産展の参加ブースも県内の観光地などから、合計125店が出展する大規模展となった。

                                         


          芸能大会点描

芸能大会は2日間かけて開催。県内の民謡団体や民俗芸能保存会などが演舞。
ワンステージでの登場人数の多さには、司会しながらも驚かされた。





寺泊酒造組合の高綱 強会長以下、越後を代表する野積杜氏さんが勢ぞろい。蔵元紹介のあと、酒造り唄を披露。銘酒「日本海」「景虎」などを造る杜氏さん全員が寺泊人。





    熟唱するシャンソン歌手・渋谷文太郎さん。
9月には銀座で3回のライブあり。

・・京都新潟県人会推薦
新潟市西区出身






              沖縄からも参加して琉球舞踊を披露。踊り手がステージから退いても、音声が消えるまで司会の声を入れないようにとの注文があった。守ったが、さすがプロ意識。
                                      
                                   新潟フラダンス校からも多数が参加。会場におられたハワイ新潟県人会のpalolo本願寺住職・西脇誠五郎」さん・・長岡市出身・・も拍手で迎えてくれた。まさか、ハワイの本願寺さんが越後人とはびっくり。
いつでもホノルルに遊びにいらっしゃいと言って下さったが、海の向こうとはいっても、寺泊から赤泊へ行くのとちょっと違い、いつになるやら・・。

ホノルルにあるpalolo本願寺外観・・・同寺のhpより


反省会にも多数集結

新潟の朱鷺メッセに参集していた、首都圏在住の東京新潟県人会員も大挙帰京し、東京・上野では10月5日に、大交流大会の慰労反省会が開催された。100人を超える大会関係者が集う

ここは東京新潟県人會館2偕大ホール会議場。
100年に一度の大交流大会の企画発案は主として、元気な七十代であった。大交流会を振り返り、話が尽きない首脳陣
来年もやれと言わんばかりに、万歳三唱でも血気盛んなメンバーたち。


所で気になる寄付金総額は,・・・県人会會館ロビーに張り出された寄付金者一覧、個人で100万円も出資されるのは、愛する越後の為かと、その思い入れにジーンとする。
海外勢に交じり、東京寺泊会も僅かながら協力


多くの郷人会がある中で、年会費フリーを貫く当会も、僅少ではあるが協力をした
ところで偶然にもお隣さんとなった50万円寄付された「ベルノ・リカール・ジャパン」は、どちら様かと会社の総務部さんに問い合わせると、あの有名なシーバスリーガルなどの洋酒を販売されている法人さんであった。商品群は同社のホームページで紹介されている
新潟県出身の社長さんが経営する、我が国の、著名な居酒屋チェーンさんにも卸しているに違いない。

ベルノリカールジャパンさんで扱っておられるお酒の一部。


10年9月現在での事業資金寄付金総額は、事務局発表によると、 約3894万円余りとか。ブラジル新潟県人会も積極参加。日本にいるよりは、越後愛郷心強しか。県外はもとより、海外に点在する多くの新潟県人会をつなぐ、連合組織の設立案をブラジルが提唱。

東京新潟県人会に登録されている41の県人会と152の郷人会組織一覧を見ても、毎年この数だけ懇親宴会が開かれているはずであり、驚嘆に値するが、地元への稲刈りツアーだの、芸能大会だのと、更には「聖僧・良寛に学ぶ会」/東京寺泊会は共催、などと、高尚な愛好会もあるが、いかに越後人は結束力の強い、マメな民俗かが判る。
この良寛に学ぶ会は10月9日に5回目となる勉強会を開催した。

タイトルは「良寛さんの書の観賞」である。講師の萬羽啓吾氏が自ら所蔵する軸を持参で
遺墨による書美の変遷を詳説。美術館や記念館ではガラス越しの観賞となるが、今日ここでは、肉眼でお目にかかれるとあって、愛好家たちは興奮気味であった。
これらが本物の良寛の書である。
萬羽氏は神田神保町の骨董商としての眼力で本物の見方を伝授。時折、紙質や筆使いから判定する贋作との見分け方も説明。
当日の勉強会を学術的に知りたい場合は、良寛の生まれ故郷・出雲崎出身者の集いで構成する「東京出雲崎会のホームページ」、同会の知識人、東條氏が制作する「第5回勉強会報告」を参照。それにつけても、このホームページを読んでいると出雲崎会さんには、良寛さんの書を研究され、知識豊富な方が本当に多くおられる。


ところで、100周年記念誌編集委員としてインタビューしていると、様々な 先輩方にお会いする機会があるから面白い。大森駅近くの商店街にあった「越後屋」なる豆腐屋さんもそのひとりである。今は近隣在住者で構成する、新潟県人会を仕切っているが、自身のビル一階のテナントにはチェーン店も多い、焼き鳥やさんが入っている。

かつて、都の豆腐屋と風呂屋は越後人で成り立っていたとの近世の史実がある。今になっては風呂屋も豆腐屋さんも姿を変え、そのオーナーの多くは80代前後の越後人であるが、ここの価値ある不動産を生かし、平成に入ってから、中層のビルやマンションに建て替えている。駅前の小型ビルも案外、越後人が持ち主だったりする。法人にしたり、納税額を1000万以内にしたりで、名前は公開されなくとも、都会においては高齢者に限れば、比較的余裕のある衆が多いのも、新潟県出身者の特徴であるが、このような視点でメディアが着眼する機会はないからトピックスにもならない。
さすがに丸の内や八重洲には,いないが、私鉄沿線駅周辺の小型マンションオーナーは、目立たないが、相続を気にする越後出身者が多数おられるのである。
これらの郷人会などの詳細をまとめた、東京新潟県人会創立100年周年記念誌を、同会が20人の編集委員を使い編纂中。2011年3月 2000円にて発売予定である。
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老後の小遣い稼ぎ

 
年金だけで満足ですか

最下段に2014年9月度役員会開催案内掲載中

寺泊会の会員さんは元気な六十代後半か、七十代が多い。自営で顧客探しに苦労しない商売もあれば、定年後に、関連会社で頑張っておられる方や、ご主人と二人でそば屋、八百屋さんを営んでいたり(都内で)、息子に建築業を譲り、自らは、町内会のまとめ役として世話人になっておられる方もいる。

勤勉な越後人気質で人生を乗り越えて、概ね安定生活に入っている。だからこそ、毎年の寺泊会行事に参加できるというもんであろう。迎える側としては、楽しんでもらおうと、最高のサービスの提供に心がけている。一方では、かの高名な、老舗デパートの共同オーナーであったり、都心で、何棟かのビルを持っている旦那と結婚して、都市開発に便乗し、益々優雅な人生を送っていたり、寺泊人も様々である。

ビルのオーナーとまではならないまでも、若者向けに、ワンルームのオーナーになって、小遣いを稼いでいた輩も、結構いるようだ
だが、話を聞くと最近のワンルーム市場は、借り手のわがままを聞いてくれて、ネット回線が完備しBSアンテナも付けないと、ダメらしい。収入のある老人が多いので、ついつい、不動さん屋さんのセールスマンに口説かれ、買ったものの、借り手がなかなか見つからないと嘆いていた。供給過剰だから、駅そばでない限りは、ハンディがかなりある。

寺泊会役員さんから聞いた現代貸室事情
(掲載許可済)

▼仲介業者様のご要望により 約6か月掲載していた見取り図面は、2014年10月以降、非掲載とさせていただきました。

 
不動産投資の甘い罠

この間取りは、川崎市幸区で駅から15分位歩くものの、8帖のカーぺットが敷きつめられ、バストイレ付のワンルームである。家賃は55000円にしたそうだ。(去年までは59000円の由)
これでもなかなか、借り手が見つからない。これでも固定資産税だけは、かかってくる。年金の副業もなかなか、ままならない実情だ
続報


3月末から法人契約で入居者が決まり、54000円でテナント決定の由。と前稿であげたのに、
2013年夏に転勤で転居され、現在は49000円で賃貸中らこてね、と、役員会でのんきに話してくれた。
寺泊から上京し、大学生活を楽しんでいる若者も、こんな8畳のワンルーム生活を送っているのだろうか


寺泊人会にはいなかったが、新潟県人会には、風呂屋、豆腐屋さんを経営して、街のお役に立っていたお年寄りがゴロゴロいる。越後農家のオジゴンボ(長男以外)の多数が大戦前後に上京し、早朝深夜と、きつい商売にも関わらず勤勉に働いていた。

東京都公衆浴場組合と豆腐屋さんの組合では、7割は越後人だったらしい。現在はその土地を利用し、ほとんどがマンションを建てたり、貸しビルにしたりと、結構な話である。京急大森町駅近くに、永年豆腐屋さんを営んでおられた、魚沼出身のお店も、今では一階が居酒屋になっている。豆腐屋さんがビルを建て、テナントとして貸しているのである。

現在八十代に突入したお年寄りも、今からそう遠くもない古き良き時代だったからこそ、駅のそばでも土地があったし、買えた。現代人は、到底無理であろう。残念であるが、現実である。だいいち今時、都会の駅前通りで、空き地がない。あったとして手が出せない。開発プロジェクトに携われる大手さんだけは、高層建築物ブームで仕事を独占しているが。


 9月度役員会のご案内

●●次回寺泊会の役員会は、2014年9月8日(月)
午前11時半から定例の聚楽で開催。
時間を気にしない暇人は集合。●●
▼テーマ▼
1)2015年4月、創立60周年記念大会の行事企画採決。
2)昨年夏に市長提案の、大長岡東京会(仮称)発足の進捗確認。
3)長岡市地域振興課からの連絡事項。
4)女性理事待遇役員(4名)の中から副会長選任討議。



 
        by 管風庵亭主
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上杉香緒里は蒲原育ちで佐渡を唄うプロ歌手。

最近検索トップに躍り出た訳は第20回吉田会出演にあり
http://niigatakenjinkai.com/activity/20140518/index.html
                                        (動画出典:東京新潟県人会情報)様

蒲原に建つ高校出身の歌手に話題が集中している。西川竹園高(昭和42年創立)である。越後出身の代表的歌手といえば、三波春夫さん没後は、永年、小林幸子だと、県人会あたりでも、定番であった。かつて報じられたマイナス面の話題も鎮静化し積極活動が目立つとはいえ、ゴタゴタ問題のほうが、スクー−プとなり、本業の話題は、上ってこない時代もあった。このタイミングで、実力どおりの、越後出身の女性演歌歌手が、躍進中である。そのひと、上杉香緒里さん(1975年生まれ) 20歳でデビュー以来、19年のキャリアで新人の域は超えたが(株)テイチクエンタテイメントを石川さゆり や、綾小路きみまろ、なんかと並んで稼がせている。(テイチクレコード)

 毎年恒例の8月寺泊の夏祭りで、熱唱する香諸里さんの唄は、寺泊の浜の特設ステージでの、板塀の前がよく似合う。日本海を見おろしながら、おけさ海峡を唄う姿は、このまま紅白に出てもおかしくない。いや出るに値する。近年のテレビはバラエティや、短命タレントたちが番組出演を席巻し、なかなかじっくり、プロ歌手の唄を観る番組は少ない。演歌歌手で毎日テレビ出演しているのは、吉幾三を除くと、後は思い出せない。作業着(ワークマン)と健康食品や住宅建築のコマーシャルで、幾三さんのお声は、聞き飽きるほど毎日の出演機会が多い。だがネットという便利な道具があるから、ここでじっくりと香緒里さんの演歌を聴かせてもらおう。(フリー動画の共有サイトを利用)。
彼女が卒業した、西川竹園の校舎は、曽根の代官所のあった、あの、越後曽根駅近くにある。駅開設以来100年になるが駅名が、曽根になったり、越後がついたりでで忙しい.
越後線巻駅よりは一ツ新潟寄りで、自分たちは巻よりは都会なんだと、同地の出身者は我々のように、土地勘の少ない、寺泊出身者に話していた。曽根と聞くと代官所を思い出し、
岩室甚句と、だいろを連想する。越後線の旧和納駅は、岩室駅になった。東京にある岩室だいろ会でも、香緒里さんの話題沸騰中で、広域出身者で見れば、新潟交通の佐藤社長もこのあたりの出身地であるらしい。忘れてはいけない。香緒里さんは吉田うまれだそうで、首都圏吉田会の渋木前会長も近い。あの吉田町が今は、燕市となったから、ややこしい。かの小林幸子さんは、越後生まれの後輩の大活躍で、さぞかし、喜んでいなさる寺泊弁で状態を表す尊敬の意を含めた丁寧語)事だろう。一方、幸子さんの最新曲は、大ヒット中でこれも越後人として嬉しくなる。かたや、香緒里さんは、上杉謙信にあやかって、上杉香緒里にしたとは、お強いこと。先輩を抜くことは意識にないにしても、全国のファンは各実に増加中の体である。
■寺泊人といえば、○○すけをよく使う。      NHK/ NW9で活躍中の、大越さんは夜の番組であるが、朝ドラで放送中の「梅ちゃん先生」は、土地の方言を大切にしようと、青森出身者を登場させ、面白いすけ、・・とか、〜すけ〜すけ、を時折使っている。津軽弁の青森だったら、「〜だはんで」じゃないかと思ったら、岩手に近い八戸などの八戸南部弁では、すけを、通常使っていたそうである。寺泊などの中越地方も、「すけ」は使っていた。うちの父チャンは、給料が少ねかったすけ、テレビジョンを買えねかったんだてね、の時代の話である。
僅か50年位前の話らろも。
「お〜けさぁ をどりいに オンデコが〜」とゆったりした歌詞は、高低が少なく、カラオケでも歌いやすく、おじさんが腹から、歌い上げるのにぴったりの曲である。一回聴いただけでついて行ける、演歌ファン好みだ。しかしながら幸子さんの越後に眠る も寺泊町で聴いたらこれまた最高である。
かたや、香諸里さんの宣伝用イメージ撮影は、越後のどこの海岸であろうか。日本海・寺泊海岸にも似ているが遠景が弥彦山でないし。佐渡にしては山が遠いし。
何はともあれ数の多い東京新潟県人会組織の中でも、郷人会総会に呼びたくなるほどファン激増中と聞く。
一方2014年夏、寺泊の港まつりには幸子さんのご出演でまことに喜ばしい限りである。香緒里さんが熱唱したあの舞台で、幸子節を楽しむことができる寺泊は素晴らしい。

 
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来年の東京寺泊会60周年記念行事粛々と進行中

        4月15日(水)ご来賓参加要請へ

2015年4月寺泊会60周年大会の話で恐縮ですが
 日本に在住している限り、そこがどこの都道府県だろうと、天下のNHKからは逃げられない。中でも夜9時の報道ショー番組となると、古くは磯村尚徳キャスターの頃に沸騰しその後は、でこぼこが続きながらも、アカデミー賞中継にも匹敵する人気番組として君臨している。現役メインキャスターへの東京寺泊会だよりインタビュー記事(ネット掲載)は俗文調のため、細胞研究して提出する博士論文や学術論文の英文版と異なりコピペとしての利用する学術員こそいないものの、同氏について何等かの関連記事を著す際の参考として、今でも全国で多数採用されている。幸いにもウィキペディアの脚注に使用されたことに端を発し、紙媒体でもパンフでも、はたまた同氏を壇上で司会者が紹介するシーンでも。 大越さんは幼少時○○で□□で・・・・と ほとんど寺泊会だよりを参考に制作されている場面が多いと聞く。 
                    



写真提供NW9編集部



4月5日(土)県人会の影響でしょうか

ここへきて東京寺泊会だよりの検索ログで大越様のお名前が沸騰してる。これは例の指の怪我以来の現象である。それもそのはず、来る4月5日(土曜日)は、「ニュース報道の核心を語る」
と題して東京新潟県人会館主催で大越健介氏の講演会が上野東天紅で開催されるのである。



75分のトークショー詳細/3分に1回の笑いの極意

●東京寺泊会からも多数が申し込み参加した。但し、翌日の4月6日(日)が東京寺泊会59周年大会だったので(詳細は下記参照)こちらの準備に追われる役員さんは大変だろうが、他の県人会と違って郷里の寺泊人が講演をされるのに、行かない訳にはいかんだろうと張り切っていた。思えば寺泊会も大越氏に、大会ご臨席案内を拝送したのは3年前の話であった。県人会の総務委員会に在籍当時、周囲に紹介したが、あまり大きな話題にはならず、あれから県人会館の講演会までには随分と時間がかかったものである。
既に生地、長岡市寺泊、同窓会(青山会)、昨年暮れの学士会館、他に商工会やら多数の講演会なるものをこなしておられる。
報道の核心を、あのウィットに富んだ柔らかい口調から発せられるのだから、多くの聴衆を魅了するはずである
。 
講演会の翌日が東京寺泊会の総会日である.残念ながら、大越氏は参席
されないが参考までにそのメニューを紹介すると・・・。  
(youtube 動画掲載時215カウント)

東京寺泊会・平成26年4月6日(日)に開催。
特別出演:銀座ジャズクラブ(ボサノバ系、クインテット編成)



■おみやげ協賛:寺泊、山源蒲鉾店謹製郷土名産・良寛かまぼこセット
運営協力:寺泊観光協会
■大会開始前にスタジオで全員の集合記念撮影あり
長岡市、森市長ご臨席は60回大会へ調整中
■会場:芝パークホテル
12時PM〜15時PM

TOPIX▲▼平成26年度春の受勲:
             東京寺泊会・小林秀雄会長受賞の噂。
             詳細は内閣府発表またはWeb、総会会場で。


    

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ニュースキャスターさんの指だけでアクセス集中

 
 これでわかった
▼検索ワードで判る視聴者心理  とその心配度
 

ネットの世界は、何かがきっかけで、検索数が沸騰することがある。別な言葉でいうと、あやふやな知識を自分で確認し、整理したいのであろう。芸能人が話題を提供すると、結婚でも離婚でも、即自分で媒体を通して検証したくなるのが世の常である。
9月の終わりころ、「指」で検索上の話題となったのが。多感な幼少時を過ごした寺泊町と、尊敬する御母堂がお住まいの、郷里越後に、人知れぬ愛着をお持ちの、昭和好きなキャスターさんである。

ウイークデイの毎日、ゴールデンタイムに登場されているので、少しでも昨日と変わったところがあれば、注目の矢が放たれる。眼鏡が新しくなった。ネクタイが変わった。髪型が変わった。すべて興味の対象である。
衣類や装飾品の外観だけの変化なら、その場では、さほどネット検索・確認も少ないと思われるが、キャスターデスクにそっと乗せた手の指に変化あり、となると、真実を知りたいと、あらゆる手段で確認したくなったのに違いない。

9月下旬に突然見慣れない検索キーワードが寺泊会だよりに集中攻撃を受けた。


いつもと違うキーワードである、これは単数の読者からではない。さっそくTVで確認。確かに指に包帯をしておられる姿を拝見したら、あたかも、こちらにミッションが与えられたかの如く、逆検索作業しながら、創作意欲が湧いてきて本稿が完成した。

逆検索で真相追及。

あの日はいつものように部屋で爪を切っていた。利き手は右なので、左の爪から始めた。プチン・プチンと歯切れの良い音が響く。今度は爪切りを左手に持ち替え、親指から人差しへと、またもや快音が響く。これは新陰流の名刀なみの、刃ぎれの良い爪きりだなあと思いながら作業は進行。
テレビから、自局の朝の連続テレビ小説「あまちゃん」が好評だったことを報じている。確かに、元気な姿で好演したキョンキョンや薬師丸さんも、昭和からの魅力を失わないで感じよい。見えないところで、人知れず努力をしてきたのだろう。魅力を失わせないで継続させることが彼女たちの仕事である。

ふたりにエールを送りながら、俺も、グラウンドで声援を受けていた頃のように、もうひと踏ん張り頑張ろうか。と思いながら爪切りに力が入る。中指の爪も終わり、苦手な薬指に差し掛かっていた。実はこの薬指が苦手だ。左手に持つ爪切りで、右手の奥の爪を切るには、右肩を少し上げ二の腕を胸の方に、かなり近づけなくてはならず、つい、ちからが入ってしまう。

思わず叫んだ。切りにくい爪をこれでもかと、マンホールのふたを開けるがごとく、爪切りの鋭利な刃の部分を爪の先端から差し込んでしまった。たちまち薬指の爪の根元から変色して来た。外科に駆け込んだのはこの直後であった
細菌のせいですよ。切開した患部を閉じながら、落ち着いて宣言する医師。
とにかく処置は終了した。痛々しい包帯だけが目につく。しょうがない明日の番組もこのままで出るか。編集の若い彼らになんと説明しようか。
高校の野球部の監督に、将来大学へ行って野球するなら、キャッチャーをやれと言われたほどパワーがあったもんだから、なかなか衰えないもんでね・・で解ってくれるかなあ。それにしても阿川(佐和子)さんに会ったあとでよかった。もしこの包帯を見られたら、あの才女にどうやって言い訳をすべきか悩んでしまう。(阿川佐和子さんとのインタビュー記事は、週刊文春(9月19日号)に掲載中。

幸いにも10月に入ってからは包帯は半透明なカット伴に変わっていた。




この独特ななポーズはNC9のキャスターを続けている限りいつでも見ることが出来る。よく観察するとピンマイクの位置は右だったり左だったりするが。まさか右隣に座る20年若い、岡山県出身の女性キャスターさんが指定している訳でもあるまい。


文中指の写真はテレビ画面より、他はNS9編集部提供。引用記事は「大越健介の現代をる」。より。

 
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東京寺泊会が許可されたリンク特集

越後寺泊出身者・ゆかりのひとを顧客に迎える「交流懇親会」のマネジメントを品質目標に抱え、イベント企画演出・郷里の民俗芸能の東京公演、寺泊出身の実業家・著名人の講演 企画 インタビュー。
平成25年は元市議会議長の第8代会長が仕切り、会長の代が変わるたびに、職業が異なるが、第7代は、製造業・サービス業・幼稚園経営組織向けに、品質と環境規格の認証システムを支援するプロコンサルで、第5代会長はレーザー会社の経営者、更にその前の第4代会長は,建設会社の経営者だ。創立58年間で昭和・平成へと8代の会長に引き継がれている。
画像 022.jpg

創立 昭和32年、寺泊出身者・ご縁のある方及び郷里との交流の会です
登録会員数=約200名 
定期・懇親交流会=毎年4月第一日曜日開催
2013年は、4月7日に開催された。

寺泊(てらどまり)は、,東京から日本海に伸びる上越新幹線に乗って90分程の新潟県長岡市という地方都市の西側にあり、新鮮な海の幸や温泉もある海岸町である。 
また、創建の古い、由緒ある寺院がたくさんあり、寺泊会・会員さんの菩提寺として心のふるさとでもある。6代会長と同期の興琳寺さん(カラオケ上手で有名な住職さん)は時々寺泊会の宴席で、得意の、のどを披露して下さった。
sos9001and14001@xpost.plala.or.jp  
 ■メール受信多数により、返信遅延ご容赦ください
今の時期は首都圏在住者は越後寺泊に大関心。中でも買い物ツアーの、このポスターが旧称・国鉄駅の柱や掲示板をひとりじめ。我々と同期のきんぱちさんの山田栄三郎氏・68も大喜びだろう。1月4日・御徒町駅構内にて撮影。




寺泊の地図
 平成23年の冬、朝6時半と12時半の比較写真。砂浜一面に真っ白の雪・冬の寺泊 も一興ありか。こんな朝でもお昼頃には必ず太陽が差し込み明るくなる事を地元の人は知っている。酷暑の夏は、寒い寺泊、冬の風景を想い出し、涼を楽しむのも一興である。
   





 
東京でも見られる寺泊海岸・・・ライブカメラ・・・640/420推奨
リンク許可先一覧
以下は「東京寺泊会だより」中でのリンク使用許諾を得ております.リンクご許可戴ける組織様はご連絡ください。記事中文章にて、適宜使用させて頂きます。   
長岡市のホームページ寺泊きんぱちさんのご案内  野積割烹の宿・山長さんのご案内 寺泊角上さんの首都圏店舗  
寺泊の最新トピックス    寺泊法福寺さんのHP 良記念館・・越後出雲崎         寺泊観光協会    新潟県・市の観光情報  編集長の道楽 寛風庵    つゞれ屋さん    小平市のホームページ            
東京新潟県人会        ● ベルノ・リカール・ジャパン     笹祝酒造株式会社

軸屋酒造株式会社(薩摩焼酎)



           
   
「 寺泊和太鼓演奏」芝パークホテル  写真提供・50回大会実行委員会 







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寺泊の歴史ロマンを覗きませんか

   
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寺泊観光協会(0258−75−3363)
寺泊に好奇心が東京寺泊会のキャッチコピーである。
その寺泊の歴史を探るのに最適な一冊が、日本海の鎌倉「寺泊の歴史ロマン」誌である。

源義経と頼朝の伝説を足がかりに、聖僧良寛・日蓮上人と進み、寺泊の豪商・菊屋五十嵐家を紹介。 更に江戸の文人・十返舎一九と井原西鶴が絡み、近代現代に至っては、俳人・歌人とともに水上 勉の寺泊観が覗かれる。
そして何故ゆえに「北の鎌倉」と呼ばれるようになったかが、この一冊の中に
詳説されている。

佐渡へ八里のさざ波超えて〜鐘が聞こゆるてらどまり」のおけさを想い出しながら読めば、益々寺泊ファンになることであろう。 
日本ペンクラブ会員・広井忠男著(日本海企画社発行=1500円)
 寺泊観光協会で販売している。
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小平市長小林正則さんが当選


2013年4月7日(日)小平市長選挙の当日、第58回東京寺泊会が開催された。正午開宴の来賓席にはまだ現市長の姿はなかった。「今年は本人の投票日だから、多分、寺泊会のご臨席は無理だろう」と案じられながらも、開宴後まもなくお姿を見せてくれた。

3選を目指し奮闘した現職市長、正則さんの選挙結果市民に公表されたのは午後10時32分であった。
(写真は午後2時頃の寺泊会檀上での熱弁姿)

 
 2013年4月7日(日)
小平市長選挙選挙結果
 

小林正則・当選 33106 票
永田政弘・次点 19106 票
小方蔵人      837 票
ふるかわとおる   475 票
(総投票者数= 54153人) 小平市企画政策部・秘書広報課発表による


前回の選挙と異なり、民主党からでなく、無所属での出馬であった。但し、民・共・生・社からの推薦に対し、競争相手は自・公や維新などが推す、市議会議長さんの永田政弘氏で知名度もある。追い風の自民勢に、向い風の正則さん。(若造りだが、今年60歳)。

今回もな寺泊会・会長の広大な敷地の一角に選挙事務所を構えていた。道路沿いで便がいい。何せこの事務所を使った候補者は、国会議員・区魏会議員・都議会議員など多数おり、落選したことがなく、縁起良い、評判の選挙事務所である。
直近では、赤松広隆氏(衆議院)もこの事務所を使って当選。

小林市長の講義 
 
拓殖大学・大学院客員教授
大学や大学院にはユニークな客員教授がいる。三選した、小林正則市長は地方行政学を拓大・大学院で担当し、昨年10月から講義をしておられる。寺泊出身で最初となる、著名大学の大学院で講義をする人物として記事が書けそうである。

プロ野球の野村監督は日体大で、サッカーの北沢豪(國學院大學)、原辰徳(国際武道大学)、生島ヒロシ(東北福祉大学)、片岡鶴太郎(青森大学)、森田健作(麗澤大学)・・などなど、契約任期,は通常、短期1年であり、新旧入りまじりで楽しい。
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第58回寺泊会大会詳細日程決まる参加者募集中


第58回寺泊会大会開催決定・2013年4月7日

 
東京寺泊会は昨年第7代会長・橋本寛二が退任、新会長に小林秀雄が就任し、今年で創立58周年を迎えた。創立以来、先人より毎年価値ある記念大会を開催している。近年では、先月、人気テレビ番組の「カンブリア宮殿」にノーネクタイ姿で出演し、村上龍を感激させた寺泊の実業家さんも、寺泊会に協力してくれた。その寺泊会での講演会も、ノーネクタイスタイルで登場され、圧巻であった。

またある年は、高名なスター杜氏さんの酒造り唄ショーの素晴らしいパワーと酒と唄で、会場の参加者達を酔わせ、更に郷土の民俗芸能継承団体の22名を招いた古典民舞公演などなど、寺泊会ならではの、思考を凝らした企画を役員会が発案し、旧寺泊町や、長岡市の助成金を賜りながら継続しつつ、現在に至っている。出演者はすべて寺泊出身者達である。

残念ながら寺泊町が長岡市に編入するや、助成金は、他に11もある合併した市町村と歩調を合わせて欲しいと、1/4に減額されたが・・。(ひと頃の4-50万円時代が懐かしい。)そんな折、、磯町出身の佐野久治さんが毎年多額のご寄付をされ、高額行事継続の源資となっていたが、佐野翁は、昨年に95歳で故人となられ、間もなく一周忌を迎える。

ちなみに、寺泊で活躍するノーネクの実業家さんは、寺泊会での講演料は無償で、素晴らしい海産物のお土産まで、参加者全員に振舞って下さった篤志家である。

今年は新しく就任した小林秀雄(白岩)会長(▼写真左から2人目)のもと、58回大会の統括本部も新設され、新鮮な会になりそうな気配である。特記すべきは、今大会から集合記念撮影を廃止し、省資源を貫くことになったことであろう。
確かに会費の中から、スタジオ利用費、撮影費、増刷費、発送費を賄うのは、価値があったのかと、振り返ると新体制で討議されたことも、有意義な処置であった。新会長は、小平の自宅近くに、立派な老人施設のビル▼を所有されたり,歴代民主党議員の選挙事務所として自宅開放されるなどと積極果敢な人生を驀進する75歳。
 更に市議会議長の経験もおありで、古い慣習より、有効性を重んじるのも、ISOの品質マネジメントの目的方針に類似する戦略である。

かくして58回大会の日程は決った。

 大会期日・・・2013年4月7日(日) 
   会 場 ・・・・・・芝パークホテル
 開宴時間 ・・・・12時〜
 会 費   ・・・・10000円
 ●今年のお土産=寺泊・山源さんのかまぼこ詰め合わせ

なお、前回友情出演をお願いしたミュージシャン・銀座ジャズクラブのクインテットは、今大会と同日に他会場のライブと重なったため、出演されないので、今年はカラオケ中心の宴会になりそうである。

宴会に参加される寺泊会の会員さんは全員カラオケ愛好家、会長令夫人も大の演歌好き。他の郷人会や県人会のような、特別講演も、佐渡おけさ踊りがなくとも、いかに盛り上がる宴会になるかが楽しみで、実験的な大会になりそうである。東京おかみさん会の高橋和子会長や、小平市長の小林正則様からは、既にご来臨の葉書を拝領した。













特設ステージで熱演する銀座ジャズバンド。ウッドベース、トロンボーン、ドラムス・ギター・サックスも加わった57回大会。

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越後の画家・藤井克之・斎藤順生・橋本直人さんを御紹介

 
 
 藤井克之墨彩画展開催のご案内

寺泊町はその昔三島郡(サントウグン)にあった。三島郡寺泊は今や、長岡市の一部の寺泊、と変わり、サントウグンで頑張っているのは、聖僧・良寛、生誕の地、出雲崎くらいのものである。寺泊町とは、海続きのお隣さんである。

西蒲原郡(ニシカンバラグン)、巻町も同じである。今は県都・新潟市の一部になってしまったが、かつては、西蒲原郡の中の町であった。ニシカンバラグンで頑張っているのは、神社・競輪・温泉街、と豊富なレシピを持つ弥彦村(ヤヒコムラ)だけになった。寺泊町と合併すると噂していたのは、もう大分前の物語になった。若作りの村長は、東京弥彦村人会(会長・掘 優)に毎年元気な顔を見せてくれる。

郷里・西蒲原をこよなく愛す、新潟市巻在住の藤井克之氏から企画展開催の案内が届いた。東京・青山にある新潟のアンテナショップ新潟館ネスパスで、2012年3月23日(金)から26日(月)までの期間で開催する。高校の一教師だった当時、教え子の実家が、和紙の生産者だった事が縁で、ここまで著名な画家になったのである。
インタビューしたのは、かなり前だが、映画で俳優が、鋭い眼で事件の本質を追う刑事のように、強靭で精悍なお顔のようだが、氏の墨採画を見るたびに、画材が和紙のせいか、心が安らぐ。
西蒲原のハザ木は、南国人にとって、浜辺のヤシの樹的存在であるし、江戸ッ子にとっては、大川端のほとりに揺らぐ、柳のようでもある。藤井克之は、墨でしか用途のなかった、和紙に色を乗せ、墨採画(ボクサイガ)なる言葉を生んだ人物である。片岡鶴太郎とも、所謂、同業の縁で親交が有る。実は、聖地エルサレムにある神殿遺構「嘆きの壁」を、墨彩で制作した熱心なクリスチャンでもある。HP上では自らを聖書画家と紹介しておられる。



同じハザ木の絵でも、制作者の意図と優しさにより、表現する作品モチーフを異にする。
蒲原のハザ木に思いを馳せる著名な越後の画家は、他にもおられる。吉田市在住の画家・斎藤順生である。
ハザ木で童話を創り、絵本にした。老木は切られ、やがて燃やされる。見事なまでのハザ木に愛着を示し、創作し、絵に残したのである。

東京新潟県人会には、首都圏えちご蒲原会(会長・池田孝一郎)があるくらい、旧・西蒲原地方出身者も多く、秋にはバスを仕立てて、「蒲原の稲刈り―ツアー」を企画しているが、募集すると即満員になってしまう。
同じ越後人でも内陸部出身者は、稲刈りが好きなようである。同じ話を、海岸側に子供の頃、過ごした寺泊会の会員に投げかけても、誰一人と賛同する者はいない。おら、稲刈りなんかより、海上花火大会ツアーの方がいい・・。と、乗ってこない。

一方で寺泊在住の画家橋本直行は、寺泊人だけに、土壌の匂いより、汐風の匂い、特に沖縄・八重山をこよなく愛し、描き、これを業としている。銀座の個展では、大作(200万)の絵から順に、売約済のラベルが貼られ、嫁入り先が決まって行く。個展の招待状をもらい、いざ出かけ、観賞し興奮しても、これを即、買えない無念さ。もっとも、あいにく、小宅では、かくも、でかい絵を飾るスペースは無いが。

橋本直行氏の描いたハザ木(上)

銀座の個展で人気を博した、八重山の原風景。
   (掲載した絵の一部はいずれも、各氏のHPより
、ご3人には取材協力して頂きありがとうございました

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生きた夕陽を観ませんか

 

魚のアメ横でのショッピングも終え、宅急便で頼んだ鮮魚たちが、関越自動車道で揺られながら、佐川急便と湯沢インターあたりを疾走している頃が、寺泊の夕陽作品として、いちばん見ごたえがあるのに、はるばる寺泊を訪れてき来たゲスト(世間のショ)たちはいつも、お帰りになってしまっている。太平洋沿岸では、決して味わうことのできない風景を見ずして、お帰りになるのは、本当にもったいない。たぶんユウヒとは真っ赤な太陽のオレンジかレッドだと思っておられるのに違いない。
生きた夕陽だから、無くなるまでの短時間勝負である。旅館のコマーシャル写真のように一面の紅でなく、あくまでも紫に近い。関東では、江ノ島を東から見る夕日のごとく、富士山の借景を借りることなく、はたまた、西伊豆・土肥海岸から覗く、夕日とも違って、日本海は富士の遠景がないから、海と共存している寺泊の夕陽が最高である。すなわち海を見るか空を見るかのどちらかなので、あれこれと想像したり、ひとり、ぼやーっと考えたりするのに役立っている

この時間、魚のアメ横あたりを見ると、人も車もまばらで、ひっそりしている。買い物をしなくとも、散歩でもしながら、佐渡を望む海を眺めれば、夕陽君は公平に歓迎してくれる筈である。

こんなことが、寺泊にいた頃は、気がつかないで、自然に味わっていた.タダで。もっとも我々が寺泊でガキの時代には、魚のアメ横はなかったし、駐車場のあたりは遠浅の海岸の一部で、あさりのひとつでも拾ってた。
(写真は7月3日、夕方6時過ぎにライブカメラからの利用) したがって、決して美しい写真でなく、本物を見たかったら、一泊しながら現地へお運びを。
だが、一面に真紅の夕陽が圧倒的に人気があるのは確かである。面白いのは越後では日本海に沈む太陽=夕日というものは、オラが土地が一番と思っている。出雲崎・柏崎・間瀬・新潟・瀬波まで、同じお天道様なのに、その土地によって、沈む雰囲気が、がらりと異なる。
優劣をつけて、1番だの2番だのと順位を決めることは、どんな専門家にせよ、時間がもったいない。
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AKB48・ネーミングの天才か・うしろ髪ひかれ隊なんて・・・



 ニュースウォッチ9の話ですが
もう一度楽しみ隊・誕生
 チェックし隊ニュース再現します

世の中のすべては、命名してから始まるものである。赤ちゃんだったら、出生を知ったときから、名前をいただき、長い人生が出発する。新潟県人会登録の団体会員も、オーソドックスであるが、 東京〇〇会だの、弥彦〇〇会、〇〇同窓会だのと、聞いてイメージ湧くネーミングで登録し、決して「ふるさと愛し隊」などとは呼ばない。
一方ニュースウォッチ9にするか、9時のニュースショウにするかは、命名者さんの全くの自由である。日曜朝なら「題名のない音楽会」でイメージが湧くし、聴きたい気にもなったりする。更に、「〇〇討論会」では、見る気も無かったりもする。

さて大越さんの、一度放送された番組のエキスを3日あとにも、流してくれる「
もう一度楽しみ隊」のようなもに、ピッタリのサイトがあった。動画配信であるが、説明は100%アナウンサーの話す口調が文字になっている特徴がある。正に時間のある寺泊会の暇人に最適である。AKB48も渡り廊下走り隊も、ひとりの発想が、その後の大成功に結びついかが、もう一度楽しみ隊も定着すると嬉しい。

残念ながら当選メンバーに越後出身がいなかったので、寺泊会だよりには持ってこれないが、それでも、あるきっかけで「記事こじつけ隊」として創ることは可能である。

寺泊出身ののキャスターは、番組プロデューサ―達と6日のお昼前に行う編成ミーティングで、AKB48イベント当日、ニュースオーダーを話し合っていた。「どのニュースをトップに持ってくるか」。内心で国民的行事に育ちつつある総選挙結果にしたいなあ、とも思っていたが・・・果たして。

当日のN・W9でのスタート時、「世情を鑑みて、先ずこのニュースをお伝えすることも、意味が有るのではと考えまして・・・」とトップ扱いにされたらしい。  (
10日・TBS系放映の「アッコにおまかせ」より)。とのことで寺泊出身のキャスターさんとAKB48のニュースが結びついた。こんな平和な再現シーンを知りたくなるから「もう一度楽しみ隊」のようなページが大変役に立つというものである。寺泊会の役員会で、AKB48に関心があるふりをして、11位につけたチームKにいる、宮澤佐江をこれから上位狙いより、女優に育てたいねと話題を振ってみたら、あんたは、70も近いんだから、ネタ探しに無理するな、と言われてしまったが、AKB総選挙の総合司会をした、徳光さんだって71だそうだ。かくいう東京寺泊会の、男性役員の平均年齢は69.8である。会員の平均年齢は、76となっているので51のキャスターさんより齢だけは超えている。(写真提供=NHK/ニュースウォッチ9編集部)


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寺泊会が大越さんを抜いた時

 
2012年6月の検索
寺泊会へのアクセスが
トップになった何故・

東京寺泊会だよりは地元より、県外在住している、閲覧者が実は多くおられる。地元即ち越後・寺泊町では、初めて見たという読者さんが今でもいる。ネットの普及が低いのかと思うと、50代以上でも、結構家にはPCの一台くらいは置いてあるというから、面白い。
さて、寺泊会だよりは2010年1月に誕生して以来、2年と137日が経過した。東京新潟県人会の3階にある役員室のPCには、どなたがいじったか、お気に入りとしてデスクトップに入っていた。
きわめて個人ニュース的な寺泊会だよりが、連日読まれているのは、寺泊出身の全国区の有名人、NHKのキャスターさんのお陰が、大きく貢献していたことには間違いない。天下の大越様ありきで、ここから入って寺泊会にたどり着いていて、ここから5万・7万、現在は8万と、検索数が伸びていたのである。

コンピュータとはお利口さんのマシーンで、読者さんがどの言葉から寺泊会へたどりついたかを、アクセスログで記録に残してくれる。最近までは、大越さんファミリーやNC9関連が圧倒しており、寺泊会だよりは、おこぼれでしかなかった、と思っていた。

所がこのアクセスログの上位ランキングを見て驚いた。こんなに寺泊会に興味があるとは。世の中、創る側も読む側も、暇なひとが多いのは、こんな所からも実証できる。

2012年6月になると、第一位に東京寺泊会から検索しているから、読者さんとは恐ろしやである。
永年お世話になっていた師匠さんから、漸くひとりだちした気分である。最近はNHK関連の記事が少なく、早く更新して、最新版にせよとの声も確かにあるが、3.11以降は明るい話題がない以上、毎日ダジャレ攻めのやり取りに終始していなく、時代の流れか。プロ野球が、歴史に残るような、いい試合でもしない限り、例のシャレになるつぶやきは、発してこない。

東京寺泊会だよりのおもな検索エンジンはディレクトリー型が「yahoo Japan]一方全文検索方式は[google][excite][goo]などである。夜中、早朝、昼どき、午後9時ころが最も閲覧しているようだ。寺泊会だよりの読者さんを大切にしなければと、ステージに立っている芸人の気分にも似て、ありがたく、心休まらないが、毎日がキャスターの観察眼で、婚活・就活・出世活・読者のひまつぶし活並の努力で、話題収集活動というより、話題こじつけ活動に明け暮れなかったら、これを維持することはできない。
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◇ 浅草の殿の歩んだ人生94年

2012年4月17日・満94歳


佐野久治さん逝去

 


弟57回東京寺泊会も無事終了し、役員反省会も終え一息ついている頃、佐野久治氏逝去の知らせを受けた。東京寺泊会の名誉顧問として、いつも案内の出欠はがきを、誰よりも早く頂いていた。三月末に、体調が悪いので、参加できないのが残念とのお電話が、最後の御言葉となってしまった。いつも、多額の寄付を賜り、宴席では真っ先にカラオケを唄ってくれていた。また、会にはお孫さんの裕子様をお連れし、佐渡おけさの踊りになると、熱心に鑑賞されていたことが印象的であった。奥さまを昨年亡くされ、浅草在住で同じ町内会の樋口孝四郎氏(クロスター会長)と、慰め会をやろうかとも話していた所であった。樋口氏所有の浅草雷門近くのビルに久治さんとお邪魔し、墨田川花火を観賞したこともあった。永眠されたということは、もう二度とお声を聞くことも、寿司屋さんに二人で行くことも、できない事である。非常に残念で寂しいものである。ご遺族からは、「私共は心淋しい思いではございますが、祖母と天国から見守ってくれていると思っております。」と心境を綴っておられた。尊敬する殿を、お悔み申し上げるとともに、故人のご冥福を心より、お祈りいたします。九四年の人生を、まっとうされた浅草の殿と、平成24年4月17日・桜の季節が、永久の別れとなってしまった。     合掌               

 

 
ありし日の講演会追憶抄
 


第52回・東京寺泊会大会
浅草在住の呉服商「
つゞれ屋」会長・佐野久治さん(磯町出身)に
特別講演をお願い致しました
ご商売の話、浅草そして向島・神楽坂の花柳界のお話など、
たっぷりと語って頂きました


浅草の殿・プロフィール
昭和8年 18歳で上京
浅草で呉服業の世界に
昭和16年 入隊・4年間軍隊生活を送る
昭和21年 戦争で消失した浅草店舗再築
昭和25年 銀座進出・土地購入

つゞれ屋の商権を獲得
昭和26年 朝鮮特需・着物ブーム到来
日本はモンペ時代を脱する
昭和27年 日本橋に店舗購入・商圏拡大
 
「高級呉服専門店」稼業一直線
昭和46年 東京呉服専門店・連盟会長就任
昭和60年 5期10年間務めたあと辞任
昭和56年 全国呉服専門店連合会会長就任
昭和60年 2期4年間務めたあと辞任

東京都養護施設収容の孤児(7歳及び5歳児)に
お祝い着250組贈呈。昭和37年以降毎年継続。
昭和58年 鈴木俊一・東京都知事表彰 
平成元年・勲五等瑞宝章受賞

  平成16年日本橋三越本店新館、三越グループと共同建築
  
平成 22年4月16日、浅草の鮨屋「橋口」で、我々に55周年記念大会の労をねぎらってくれた。その会食後移動し、三越新館の一階に構える自身の店舗日本橋店を案内された佐野久治会長93歳は、、銀座4丁目の店舗にも連れて行って下さった。日本橋店の2階には豪華な作品で溢れ、顧客同様の懇切な解説を賜り、日本文化・和が呈する素晴らしさを堪能することができた。この時の佐野久治さんはまだ九二歳であった。

佐野久治の名誉にかけても、作品として後世に残せるものにしたい、と長い間この哲学を変えてはいない。
   共同オーナーとして建てた123456.JPG日本橋三越新館フロント写真
       


日本橋店の2階にある常設サロンでは、絢爛な作品が訪れた者を優しく迎えてくれる。寺泊人で良かった

つづく▼

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◆良寛伝道師・内藤久吉さん逝去◆

 良寛に学ぶ会・熟年者のカルチャー倶楽部らこてねこのお言葉も、もう聴く事ができなくなりました
 2011年9月27日逝

いつも我々を楽しく判り易く、良寛の世界へと導いてくれておられた内藤久吉氏が、平成23年9月23日に急逝されました
  ありし日の内藤久吉

東京寺泊会だよりでは、故人が講師をされた際の音声を大切に保管しております



東京寺泊会は郷里の内陸側隣町・旧分水町や海続きの隣町・出雲崎出身者の団体などと企画し、良寛に学ぶ会を共催している。会員は登録制で、その数は1月末現在で百三十名程だが、その多くは良寛の生誕地・出雲崎と国上寺のある分水(現吉田市)である。寺泊出身者は現在十人。今後増える見込みである。常任の講師は、出雲崎良寛記念館理事の内藤久吉氏が務め、表参道に建つ新潟県のアンテナショップネスパスが常設会場である。第二回のテーマは
■「
良寛とその師・法弟・支援者などが、どのように交叉していたかを探った。史実に基ずく、出雲崎弁士こと内藤久吉氏が懇切に解説。

引用資料は、牧が花の庄屋、解良家十三代当主・解良榮重による良寛禅師奇談」の記述で長短五六話ある貴重な書である。

 ■ 八〇〇年も続く出雲崎の庄屋橘屋山本家では、良寛を後継ぎにすべく、時の代官の元に赴き「我が惣領を次なる名主として務めさせたく、容認の程を」と丁重に挨拶。喜ぶ代官「しかるに嫁御はおられるか」との問いに「近在から当家に嫁ぎ・・」と答えた。名主の絶対条件には、伴侶を必要としたのであった。良寛に嫁さんがいたとする説は、かなり近年になってからの発見であった。寺の過去帳を丁寧に調べた大学の先生が、メディアにセンセーショナルに発表したそうである。 
 

 ■ しかしながら良寛はこの先、名主継承を受けるに心穏やかでない。回避せねばと、禅光照寺の和尚の元へ。禅修行の道に入り、その後に、高僧・大忍国仙と出会う。禅師は初対面の良寛を凝視し呟いた。「何とこの子の眼は澄んでいることか」と、玉島への一行に加えた。

 



 

円通寺で十一年、雲水仲間と起居を共にした後、禅師から「印可の偈」を授かり、これ即ち、永平寺の貫首さえも欲すれば道ありの体であった。しかし良寛はすべの凡欲を捨て、故郷出雲崎に戻る。だが住む家無く宿る床がない。国上に庵を得る迄は、寺社の軒下、浜の荒小屋で乞食姿。

■物語なら、ここで子らに石持て追われるやも。だが良寛の周囲には、熱烈な支援者多く、敬しく来訪を歓迎した。与板・中島・地蔵堂・島崎・渡部・出雲崎・寺泊。杖をつき、請われる儘に出された筆を手に、残した書は数知れず、乞食こそ道元禅師の正方と歩き通し、時を経た現代も戒語・愛語の教えは色褪せる事無く続いていると講師の内藤久吉先生独特の出雲崎弁は歯切れよ良く眠っている者はひとりもいない。
■東京寺泊会は広報を担当し、先に開催した大会には久乃屋さんの塩羊羹を参加者様のお茶菓子として賞味して戴いた所大評判となった。さすが寺泊の銘菓ラテ。

 


寺泊へは昨年会員を募り、分水の花魁見学を兼ねてバス旅行を実施。「魚市場」ツアーと「密蔵院」 を拝観。本邦初公開のお宝をご住職が公開してくださり一同大感激。今年も4月に良寛ツアーを企画中。地元在住の人より人気があるようだ。右を見ても左を見ても俗欲の張りあいだらけの世間の空気に身を置いてると良寛禅師が恋しくなるのか。町に有る日蓮宗法福寺さんには良寛の妹むら子のお墓があると言っただけで、東京寺泊会さんの人たちは皆が、あたかも良寛さんに会った事があるかのように、羨ましがられてしまう。法福寺第57代現住持英祥様とは親しい同期生だから鼻が高いが。  寒行も終わったことだろうし次回の東京寺泊会に招待しご法話を賜れれば至極である。
 さて名講師の内藤先生は
出雲崎にある良寛記念館常時おられ繁忙の中、講演の度に上京される。出雲崎の会館を訪れる際 東京寺泊会から紹介されたと告げれば展示作品をより一層懇切丁寧に説明して下さることだろう・・かくなる無礼こそ慎むべきと聖僧は 「愛語」「戒語」の世界で唱えておられるのに。今は故人となられた、内藤久吉氏の出雲崎弁での、あの言葉が消えることはない。
寺泊会一同お悔み申し上げ、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌
この稿は過去に掲載された記事を基に、内藤久吉先生追悼号として、再投稿しております)         

       
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平成22年の東京出雲崎会

   
    
 東京出雲崎会の巻

ありし日の内藤久吉さん

東京出雲崎会大盛況



東京出雲崎会は名称が現組織になる前は昭和16年の発足にさかのぼる とのことで確かに歴史ある会である。 同町のお寺で発起の話が持ち上がったそうで何やら東京寺泊会と共通 する。更に東京出雲崎会としての発足が昭和32年となるといわば東京寺泊会とは 同期である。
平成22年度の東京出雲崎会が錦糸町駅近くのホテルで開催された 参加者は200名を超える盛況ぶりであった。
寺泊町と出雲崎町は日本海続きの隣町でありながら長い間 互いの会同士での交流がなかったが今回初めて東京寺泊会の正副会長が 招待されて出席する事となった。
 ■会の進行は終始どこの家の生まれであるかを前置きしてのスピーチしていたのが印象的であった。
 宴会場で聴こえる「出雲崎おけさ」で明け暮れた雰囲気の会場は賑やかなことしきりである
フィナーレはおけさの総踊りで場内一杯に参加者が輪を作って興じるシーンは圧巻であった
内藤久吉会長自らも住吉太鼓を叩く熱演に場内から歓声が上がる。












宴席からの帰路、錦糸町駅からは、浅草そばで建設中の新名所・スカイツリーが見えた
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いなかの海岸にクジラが漂着

■ フンドシ町・寺泊の海岸は西から東まで遠浅で、ファミリー連れの海水浴には最高である。
  その寺泊から、出雲崎に近い金山(かなやま)の海岸に、6メートルもある「クジラ」が1頭上がったよーと郷里のニュースマンン小川氏が伝えてくれた。この場所は、さかなのアメ横から自転車で10分位のところにある。想像するに、お盆のフタを裏返して一杯に水を浸したところに、太いフランクソ−セージをゴロゴロ転がしたようなもんだったであろう。    
■ 遠浅な海岸でも、5日は、強風だった。浅瀬をゴロンゴロンと、のたうちながら打ち上げられたのか。
いなかでは、テレビ局が来るわ、新聞に出るわで大騒ぎだったそうな(5日)。

                    (写真提供:小川喬さん(寺泊在住)
■ 関東では正月2日に小田原海岸で6メートル余りのクジラが打ち上げられている。天変地異の前触れでないことを、祈るばかりである。予期せぬ大事が発生しても不思議でない平成の24年正月である。
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NHK大越健介さんが郷里寺泊に、遂にお立ち寄り

    

 ふるさと会シーズン到来
 


    弥彦村人会開催

 
2011年11月6日御茶ノ水駅徒歩3分「ホテルジュラク」にて
 

  ふるさと・わしま会開催!

2011年10月23日(日)
 上野公園グリーンパーク
にて

秋は「ふるさと会」がお盛んな季節である。寺泊会にもどっと「招待状」が舞い込み、役員さんたちは、あっちの会、こっちの会へと、御祝儀持参で顔を出す。

テレビ画面でなくとも優しい笑顔

郷里てらどまりでは、遂に、名物ニュースキャスター大越健介・講演会が実現。母校・青山同窓会(新潟高校)での講演帰りとはいえ、いつでも大歓迎。魚のアメ横近くに建つ文化センターで、9月18日(日)午後2時の開始で独演。ふるさと創生に力を入れる、地域域創生委員会や、観光協会も熱が入る。

■集まったのは、マチの衆ばかりと思ったら、ニュースを聞きつけた、世間の衆(田舎では、セケンノショと発音)も顔を出し、満員の呈となった・・・と参加者から興奮気味に連絡あり。テレビそっくりの、温厚な雰囲気が、人気の秘密か。寺泊観光協会の、山田栄三郎  会長さんから、越後寺泊の宣伝を全国にと、観光大使的な労の懇願に、細い目をパチクリ。

■一方このころ、寺泊会は上野東天紅で、新潟県人会主催の「第4回芸能大会」の進行で大忙し。今年は250人位と観客は少なかったが、浅草の芸妓さんによる粋な踊りや三弦が場内を魅了。珍しく女子高生のバレーがあったり、十日町出身の「爛 燃」さんのプロ歌手・後援会誕生披露があったりで、相変わらず越後人は芸能好きであった。

■来年の寺泊会は、4月8日開催が決定で、テレビ局の新編成期と重なる。大越さんのご来臨は、また持ち越すだろうが、寺泊へ足を運んで下さっただけで、満足・満足。

■2012年の寺泊会は、銀座ジャズバンド(7人編成)のアーティストを予約済み。ウッドベースとパーカッションがさえる。これに野積出身の杜氏・高綱強氏の特別講演、トークショウを絡めば会員さんも、ご満悦であろう。高綱氏は、3.11地震で自ら杜氏を務める酒蔵が倒壊しながらも、社長と復興に全力を尽くしている福島県名代の蔵元で働いておられる。
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郷人会を御存知ですか

 
寺泊会と交流のある会一挙公開

東京出雲崎会
 
東京弥彦村人会
 
東京分水会

東京寺泊会は56年の歴史の中で、7代の会長で継承されているが、先代、その先代から新潟県の地元と距離の近い、出身者の会と、交流が継承されている。互いに来賓となって参席しあいながら、顔をつないでいる。今振り返ると、その度に、新しい発見と、郷里の著名人にお会いすることは、実に楽しいことである。ある人は、村長さんであったり、村の神社の宮司さんだったり、教育委員会、商工会古くは農協あたりの長さんたちは、共通して、話が面白い。
これまでに来賓招待され,出席させて頂いた郷人会は、上記の3組織のほか、北区新潟県人会、小平市新潟県人会、蒲原新潟県人会、その数は多数であるが、ご招待を受けても、体はひとつ、制限を付けざるを得ない。新宿新潟県人会、葛飾新潟県人会、小国会さんなども、知人が多いだけに、懇親会は楽しそうであるが、欠席ハガキを出すのも、申し訳ない。次回には参加します、などと記して投函すると、あっという間に1年が経過し、同じセリフを使う訳にも行かず、首長のようなお偉いさんと異なり、公務が無いから、逃げられない。
さて、平成23年6月19日(日)は、東京分水会の懇親交流会がある。ここともお付き合いが古い。会場は例年、お茶の水「ジュラクホテル」である。かつては町長さんもさんも御来臨されたが、その町長さんは、後の平成大合併で、市長さんになられた。今年の春には、一期限りでご退職された。やっとお顔を覚えて頂いたのにと残念であった。
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東京青山・表参道で学ぶ良寛の会とは。

 
五合庵・乙子草庵があった国上山(上の写真右側の小高い山中に籠って、30年もどうしなさったかね)
    (2011年7月23日寺泊海岸・魚のアメ横あたりから望む遠景)
分水町・町長「藤田正夫」さんが良寛の会で解明・寺泊会共催事業2011年7月22日(金曜昼どき)参加者数:61人也。


        第8回;聖僧・良寛勉強会.
                            藤田正夫先生
期日;平成23年7月22日
  表参道新潟館ネスパス3階
     
 90分の集中講義
           
       
経済至上主義の世を切り抜き、自社ビルを建てた越後出身の実業家もいれば、他人に施しをして、何らの見返りのない事を気にする庶民もいる。喧騒な大都会には、良寛の世界を知り、癒しを覚える輩が多い。第8回を数える勉強会には、江戸後期の文化芸術を味わおうと熱心な聴講生が集った。明治神宮の杜から、新潟県の物産館・ネスパス近くに立つ樹木のある、青山通りに飛来して来た、遠慮がちな、セミの声を聞きながらの優雅なスクールとなった。寺泊会からの参加者は、小林副会長(元・小平市議会・議長
)ら4名。
良寛は「了寛 」とも書かれる事もある、良寛の最期を、貞心尼と二人で看取った、遍澄和尚が描いた良寛の素顔は、こんなお顔をなさっていたらしい。
手毬を持っているこの絵は、写真製版されたものであるが、高僧風でとっつきにくい
だが当時は、庶民も豪商も、庄屋も医者も、皆、このお方の才覚・教養プラス力量表現(書)を敬慕した。あなたのためならいつでもスポンサーになるよと、このセオリーで良寛は越後中央部に君座する、名山・弥彦山(634M)の隣に位置する国上山に、居となる庵を、永年無償提供してもらった。
最晩年を過ごした国上の山から下りて、島崎(和島・小島谷)の木村家へ居を移す際に、新しいワンルームを、腕のいい「吉」(旧寺泊町)の大工さんに普請してもらいましょうか、と提案したところ、木村さんちで余っている、使い古した庵の方が良く眠れますし、もうこの年らすけ、安心して屁もこけますからと、良寛は、ニコニコしながら新築提案を受け入れない。
本日の講師、当日新潟から上京された、藤田正夫氏(元・分水町・町長)は、国上にあった草庵生活こそ、良寛芸術が量・質とも円熟を迎えるのに、春夏秋冬最適な環境だったと説く。事実たき火に使った一葉の落ち葉も、寺泊の海から吹きさらす浜風も、句作の肥やしにしたのだろう。




果たして、当時のスポンサーとは誰であろうか。国上山(標高313メートル)の中複にあった、庵、「五合庵」、さらにもう少し山を下った、乙子神社に、乞食風態の聖人良寛を導いてくれたのは、「阿部」様 「解良」様 「原田」様 「中村」様そして「富取」様・・・いずれも庶民が、前を通る時には、尻を向けて歩けなく、うやうやしく敬称を付けて尊じる、時の豪商・医者・豪農など、生活力有り余る、且つ知識階層の諸家達であった。高僧・良寛の付加価値が、彼らとの距離を近くしていた。
昔の話で、遠い存在の事かと思っていたら、その庄屋さんを先祖とする御方が本日の勉強会にお見えであった。

写真左の白いスーツ姿の先生こそ、庄屋「阿部家」の実系であられる、牧江春夫氏(東京良寛会・会長)である。
そのお隣さんは、良寛の弟さん筋の直系(山本良一氏)との由。かの良寛を身近に感じてしまう。現在は東京良寛会・統括幹事として尽力。ご先祖をいつまでも敬うこころ忘れずで、丁重なお方とお見受けした。
こちらからのお声がけにも、気さくに応えて下さった。

さて、本日の勉強会には、いつも出雲崎弁でまくしたてる、常任講師・内藤久吉さんの御姿がなかった。
現在、ご自身の体を強化調整中とのことで、次回10月7日(金)の第9回大会までおあずけとなった。
進行役は平出英雄さん(東京新潟県人会・文化委員会・副委員長)が懇切に司会進行。同氏が所属する県人会・文化委員会主催の講演会のパンフ持参で頑張っておられた。
良寛に学ぶ会でボランティア活躍している御仁は、他にもいる。東条玉英さん(東京出雲崎会・幹事長)も、そのひとり。1時30分開始の勉強会のために11時過ぎに会場設営の労を難なくやり遂げていた。ちなみに、新潟館・ネスパス3階の会議室は、会場借り受ける際には、広い部屋が、ガランとしており何もない。會舘備え付けの、机や椅子の設営から、ゴミ出しと、後かたずけまですべてを、自分達でやることになっている。

         
◎     ◎     ◎

講義の合間に、弥彦神社の門前銘菓「玉兎」を茶菓として頂いたり、講師持参の、ホッとする良寛さんの版画(布施一喜雄作)を観賞しながら、めでたく、本日の良寛勉強会をお開きとした。


  酒好き良寛・おねだりの巻。
蛍は、良寛のあだ名 詠んだ場所は
与板の酒造屋・山田家。
黄金の水=日本酒、妹=酒屋の奉公人さん ●たまふ=賜りたい(意訳)・・・などの雑知識がないと、簡単な単語でも、良寛流・万葉集手法の奥深さで複雑にし、やっと理解できる動態詩。
(わしを草むらのホタルと呼ぶんなら、日も暮れたことだし、これから照らさにゃいかん、元気の出る、お水(酒)を頂戴、おねえちゃん)と理解した。
講師曰く、良寛詩歌の楽しみ方は、100人居れば100通りの感性で味わうことができることにある。従って自分なりに意をくみ取って、楽しむのがよろしい・・正に如意であった。   
   
      
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2011/5/14の朝は風が強かった

 ■月の寺泊の海は、イワシがたくさん捕れて、これを焼いて食べると最高にうまかったのを思い出す。人間は魚の思い出が「食べて旨かった」ことにあるから恐ろしいイキモノである。。
今朝5月14日(土)の海を眺めると、風が強く波高しであった。いつもの風景。中央海岸から、スカイツリーと同じ高さの名峰、標高634Mの弥彦山を見ながら、弓状の海岸線を絵にしてみたくなり、PCで一工夫。
これってテーマのないときの、お遊びってか。
少し古くなるが、見ごとな海岸線は、1922年夏(大正11年)、丁度、瀬戸内寂聴さんがお生まれになった年に、越後国・信濃川洪水の解決法として完成した河津分水が、寺泊町に通水した。

ここから
吐き出された、きれいな泥水が、90年かけて、何万トンも、寺泊中央海水浴場の浜に堆積してしまった。魚のアメ横さんの駐車場としては大助かりであろう。太っ腹の、1000台分無料駐車場有り、の所以か。
幸いにも大河津分水からは、周囲には原発もなく、工場排水もなく、近年は素晴らしい可動堰で、浄化機能もあるから、河からの汚染はない。寺泊海岸水質調査ではいつも、クリーン度最高である。
だが、海辺に土っぽい砂浜が増えるのはいいが、海がどんどん遠くなって行く珍風景。太平洋側の湘南・大磯あたりと全く反対の現象である。浸食どころか、土地が増えて増えて、浜が広大になってしまった。
良寛が修行した、倉敷市玉島と違って、寺泊海岸砂浜の下は岩盤になっている。地震に強く、柏崎・出雲崎が揺れた時も、こちらの被害は、隣町程多くはなかった。首都圏のモダンな街のような、液状化現象も心配ない。
玉島は元禄時代は海だったと、良寛を学ぶ会の講師が説明していた。
だから玉島地方の埋め立てた土地を干拓して、苗を植えても、塩水が出てきて、いつまでも米が育たない。そこで考えた村の衆が、綿の木を植えたら、大成功。こうして倉敷が紡績の盛んな都市に変わったそうな。倉敷の紡績の歴史が見えてきた。
だが。かくいう越後平野全部が、古代は水面下だったと聞くと、蒲原地方の洪水は納得がゆく。



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良寛に学ぶ会を支える郷人会たち

 全国良寛会・東京良寛会・岡山良寛会・・・などなど日本国には登録団体が無数あり、聖僧・良寛は280年経っても、その人気が衰えることがない。我が東京寺泊会も「良寛に学ぶ会」なる組織の活動を他の越後郷里会と一緒になって支えている。思えば、師の生誕の地、出雲崎は寺泊の隣町であるし、師の妹も寺泊に住んでいた。備中、現・倉敷市玉島修行を敢行あと、諸国行脚し、寂れた実家をながめてから真っ先に足を向けた地も、一里離れた寺泊のはずれの寺であった。
さて、「良寛に学ぶ会」は、東京糸魚川会、首都圏わしま会、東京出雲崎会、東京分水会、首都圏いわむろ会、はては、佐渡相川会そして東京寺泊会と,かつて良寛が住み、托鉢に歩き、又は、その親族が出生した、など所謂「ゆかりの地」で構成する、合計7つもの会が共催後援する、「良寛哲学勉強会」である。
2011年5月連休の最終土曜日7日も、7回目となる講演会を企画した。会場は、表参道のおもて通りに面する「新潟館・ネスパス」3階ホールを常設会場としている。

■会場に集まる聴講生は、40代以上が多い。
この会の会長も、勿論、熱心な良寛ファンである。糸魚川出身の実業家で従業員5000人を携える越後人、多忙な日常に、閑なしと見えるが、責任感強固で勉強会には決して休まない。近年上梓した志と野心のあいだ」で、氏の生きざまを、切々と述べている。
西新宿の高層ビル36階が本社。
オフィスである。組織・経営・管理・どの一つが未完でも企業は成長しない。
良寛の眞髄のどこかに、自らの生きざまと、人間のマネジメントに、発見が有るかのようでもある。

第7回の開会あいさつをする小林会長。
ところで、共催郷人会の一つである、東京分水会の平出会長も熱心な良寛愛好家である。
会場の進行役には、良寛情報に詳しく、真面目な同氏が欠かせない。さぞかし。現役サラリーマン時代は、同僚を裏切ることのない、実直な会社員だったに違いない。昨年は、その会社のOB会を引き連れ、寺泊・佐渡と旅行会を先導した。
寺泊の宿としてきんぱちの湯」を選んだ。応対した亭主・山田栄三郎(寺泊観光協会・会長)は、その人柄を気に行って、「佐渡汽船の出航まで見送ったよ」、とうれしそうに話をしてくれた。ここの亭主も。良寛に似て、相手の見返りを期待しては、行動しない。
平出氏は、東京分水会の会長となって3年が経過した。

その分水会から、6月19日(日)に開催する、同懇親交流会(分水町出身者の集い)の招待状が寺泊会に届いた。寺泊会からは、永年にわたり、毎回2名が出席しているが今年も楽しみである。


本日の講師:吉備国際大学講師・小野敏也先生(倉敷からお招き致しました)
倉敷市文化財保護審議会委員の同氏は、同市の観光パンフレット持参で玉島観光をPR.
演題:
1)玉島のこと
2)越後と玉島
3)良寛の修行
4)良寛をめぐるひとびと
5)岡山県良寛会のこと

特別授業
玉島の町は元禄時代は海だった
倉敷が紡績の街となった時代背景
円通寺僧堂日分行事査定  (修行僧・朝3時起床から、夜9時就寝までの一日)
面白いお話続き90分ではとても、足りませんでした・・。

次回案内:2011年7月22日(金曜)午後1時〜ネスパス3階。 講師は元分水町・町長で良寛研究家の藤田正夫氏の予定。聴講無料。茶菓代・500円。



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2011年5月3日の寺泊

 
例年寺泊の5月3日は白山媛神社の大祭がある。
今朝も世間から大勢さんが寺泊に来た。寺泊に来馴れた観光客なら、まず、さかなのアメ横前の無料駐車場(今日も同じかは不明だが)にパーキングしてから、露店めぐりや、時代絵巻の行列見物へと繰り出す。旧寺泊町の中央部にあたる、2区の大町を中心として、露店がズラーリと並ぶ、寺泊の一大イベントは圧巻である。
昭和時代なら、旧呼称で「ヤシ」がいて、子供ながらに、怖〜いと言いながらも、テントめぐりには、興味があった。寺泊の親は自分の子供に「親の言うこと聞かないと、ヤシに連れてってもらうぞ」と時々、脅しをかけたものであるが、こんな事を知る平成の親御さんは、さすがに居ないだろう。
町中を暴れまわる、「大カグラ」が来ると逃げ廻っていたが、その大きな口で、頭をかじってもらうと、その年は、無病息災の恩恵を授かる有難い、神事行事なのである。東京出雲崎会の懇親会にも似たような、カグラがお出ましになるが、寺泊とはちょっと違っていた。



2011年の様子は「寺泊ウォッチング」なる地元発行のすぐれものが、きれいに紹介。

2011年5月3日朝10時。アメ横あたりの風景を想像し、さっそくクラフトスケッチ。車が多いのは良いことである.………………寛風庵亭主
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街頭募金開始

 
 東日本震災復興支援活動
■本日の街頭募金場所

東京寺泊会は、首都圏在住の会員様からお預かりした、震災復興義援金を県人会館(台東区上野)に届けながら、東京新潟県人会(会長・平 辰)の街頭募金実施呼びかけ隊に混ざり,平成23年3月26日(土曜日)午後1時より、上野駅前周辺において、募金活動を実践した。

東京新潟県人会事務局発表「募金場所別結果」報告書

3月26日土曜日分
1)JR上野駅。浅草口=138,500円
2)同上。丸井デパート前=40,365円
3)京成上野駅前(西郷さんの銅像近く=108,685円
4)「東京文化会館」 付近=158,062円

なお、この募金活動は事務局に申し込み参加自由で、3月24日から28日の5日間において実施.。25日は土曜日であったが、元全日空幹部で、新潟県人会奴々川会・小堺会長もひと役、私立であろうか真面目そうな小学生も協力、これをハッピを着ながら見守る、現役弁護士で元・立正大学法学部教授の春日会長(十日町会)も、うれしそうに、お礼のことばかけながら、募金者ひとりひとりに、深々と頭を下げておられた。
義援金の枚数分思いやりが生まれる。

3月26日の街頭募金は、東京新潟県人会有志約40人で実施され、
当日の募金金額は「44万5616円」が集まった。一人で2万円を募金される人、ポケットから小銭をさがしてくれるひと、金額はまちまちだが、慈善の気持には変わりない。
募金には、通行される、総じて背広組だけは無関心であったが、中越沖地震の際の募金活動と、同じ光景となったので驚かない。

出陣式集合場所となった県人会館会議室に集まった参加者。70代をリーダーにし、これを4組に分けて出発した。



寒風下での街頭活動もやっと終わり元・銀行勤務が、馴れた手つきで、カンパ金を集計。
  ▲カンパ金詳細

上野駅浅草口の場合
10000円札=3枚、5000円札=2枚、
1000円札=62枚、500円硬貨=33枚、100円硬貨=145枚、
50円硬貨=20枚、10円=120枚 5円=8枚、1円=120枚
合計=138500円 
 義援金は、4日間を合計し、後日、新潟県庁・泉田知事経由で、被災者の元へ届けられる。

東京寺泊会と同じ、上野駅浅草口要員として一緒に参加した、笑顔を絶やさない優しい応対の方がおられたどなた様かと思って、反省会の席上で思い切って、好奇心交じりで、名刺交換した。▼(写真)
同氏が、暗算が得意だという事を知る者は少ない。カンパ金の貨幣別枚数合計を読み上げているうちに、たちまち合計金額を当てた

何と、越後出身で、我が国の高名な科学哲学者・西脇与作教授(慶應義塾大学・大学院文学研究科)であった。今日は三田の研究室を離れ、東京都市と、かつて学んだ都市・ハーバード・ボストンの比較哲学を量子物理学的に、サイエンスしておられる風でもあった。
昭和22年生まれの60代にして、有り余るほどの長髪がうらやましい。

さっそくネットで同氏のプロフィールを検索。著書・論文の多さにビックリ。平成17年誕生・えちご妙高会の会長さんである。研究室では、慶応や他大学の先生を指導しておられる。
これをきっかけに、寺泊会で先生の講演会を企画しようと、2年後の第58回大会の楽しみが増えた。今後三田の研究室に何回か通えば、口説けるだろう。
第56回大会の、今年の講演会は、寺泊出身の、元・トヨタ自動車ヨーロッパ社長、錫村寛海氏が快諾しておられたが、大会を中止したので、1年延期せざるを得なかった。そこで西脇先生には、2年後になりますが、お願いいたします。ご性格上、固辞必至。これを口説くのが、東京寺泊会の力量となる。



この日は、東京都知事選挙の告示翌日となり、街頭演説と重なった。我々のすぐそばに、立候補者が街頭演説をしていた。昔の俳優のようにスマートなオトコマエであった。同じ街頭に立つとは、これも東京寺泊会とのご縁か。

ご協力ありがとうございました
 
街頭募金・350万6650円
 

新潟県人会理事・参事が中心となって3月24日(木)〜28日(月)までの5日間での街頭募金活動も無事終了。
東京新潟県人会では、引き続き、7月31日まで義援金の受付をしております。

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ニッポン放送に東京寺泊会が声の出演

 
ニッポン放送の電話取材!
 垣花 正・那須恵理子さんから

垣花 正のあなたとハッピー」のオンエアー中に東京寺泊会が出演
東京有楽町にあるニッポン放送から、2011年3月21日午後電話が入る。
「東京寺泊会ってどんな会ですか」と来た。創立56年の歴史があり、今年は社会情勢を鑑みて、創立以来、初めて大会を中止しました。「長岡・中越地震のときは、上野駅周辺で東京新潟県人会のハッピを着て、義援金を集めた経験があるので、今回の東日本大震災についても、同じ行動を取る予定です・・・」などと、やり取りをした。

前日から電話が来ることを知っていたら、
東京寺泊会は「那須恵理子さんがお生まれになる、4年ほど前に、誕生しまして、
7代の会長で引き続き、毎年誕生会のお祝いをしておりましたが、今年は中止したんです・・・」などと洒落たことを話せたが、そうも行かなかったことが残念であるが、これを機会に1年後の復興を祈り、2012年の4月大会には、ニッポン放送のパーソナリティ・ご両人に招待状を出そうと決意。これに今夜も9時から出演される、寺泊出身のNHKキャスター・大越健介さんも来られたら、正に夢の実現となる。

この翌日となる3月22日朝、この放送を聴いたという、
寺泊出身の荻原さん(千葉県在住)が僅かながらも、被災者さんのお力になればと、義援金をお送り下さった。

 
ふるさと寺泊では、「夕映荘」を避難所として提供中
 

先月寺泊支所に、福島県から来られた家族が来庁。避難場所を探しておられる由、地域振興課で協議し、風光明媚な金山に建つ「老人憩いの家・夕映え荘」を紹介し、11世帯39人が避難生活中。期限は、定めていない。
大きな入浴施設も完備しているので、ゆっくり、体を休め、英気を養ってと、長岡市寺泊・地域振興課の佐野さんは語る。
一方、寺泊の床屋さん組合では、定休日の4月4日(月)に、ボランティアで散髪を提供。

優しい心の寺泊人が、ここにもおられた。
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第56回東京寺泊会交流懇親会中止のご案内

 

平成23年4月3日(日)開催予定の
 
第56回東京寺泊会中止のご案内


東日本大震災の被害に遭われた被災地様に衷心より お見舞い申し上げますとともに、1日も早い復旧をお祈り申し上げます

東京寺泊会は、第56回の交流懇親会を、平成23年4月3日(日)に開催予定し、ご案内しておりましたが、余震・電力・交通事情や原子力発電所の事故などを鑑み、芝パークホテル様の了承の許、「大会開催を中止」とすることに致しました。3月15日の申し込み締切日までに
各地在住の、多数の皆様から参加申し込みの、返信はがきを頂戴しておりましたが、この方々全員に、本日、中止通知のはがきを郵送させて頂きました。 
           平成23年3月18日 東京寺泊会
              会長・橋本寛二・役員一同
 

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原発事故を心配してくれるアメリカ人

 
 
 心温まる海外からの励まし



仕事で知りえた30年来の知己で米国籍取得の、キャンプベル(カリフォルニア州)在住・中国出身の友人から、こんなメッセージをもらった。私は、ジョイや安藤優子さんと違って英語は辞書を見ないと理解できないし、CNNも見れるデジタル機械が無いので、観る機会が無く、真意はどうかと思うが、多分アメリカで、日本の原発事故を想像以上に危惧し、東京は危険だと報じているらしく、「ツナミや地震の見舞い」と同時に
東京が高濃度の放射能で汚染されていて、暮らせなかったら、しばらくアメリカの我が家で一緒に暮らしませんか」とジーンとくるような言葉が入っていた。遠方でも、ここまで思っていてくれるのかと、感謝し、その発想が忘れられない。私的メールではあるが、公に扱っても、連日300人くらいのアクセスで訪れてくれる、東京寺泊会だよりファン(か否かは不明だが)からは、怒られないだろう。ちなみにメールをくれた、相手さんに対して何かいい事を施した経験は一切無いので、恩返しでもなさそうだ。中国生まれのアメリカ人ながら、聖僧・良寛のこころをお持ちのようである。
 
郷里・長岡市でも避難先受入れ
2011年3月20日のNHKは、東日本大震災の被害に遭った被災者の家族は、首都圏へも多くが避難され、埼玉スーパ−アリーナが期限付きで受け入れたり、新潟県長岡市でも多数を対象に対応中と報じていた。
3月23日(水)では、長岡市に避難されている、南相馬市からの被災者さんたちが、川口の温泉に招待された、とも報じられた。




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東京新潟県人会創立100周年記念式典

 ◇寺泊観光協会からも、お二人が来賓参加◇


2010年(平成22年)は、東京新潟県人会創立100周年メモリアルイヤーであった。
 記念行事の幕開けは、1月30日のグランドプリンスホテル新高輪で開催された。
総参加者数1350人の大所帯となり、ここにおられる皆さんが、全員越後出身かと思うと、ホテル周辺を歩いていても気落ち良い。参加団体は115組織と言われたが、首都圏には、ずいぶん沢山の、越後関係の会があるものだ。
会場は、かつての芸能人の巨大結婚披露会場で名を馳せた「飛天の間」である。だが最近はこの呼称は、ホテル側の意図で大宴会場「飛天」に変わっている。ここの会場を訪れたものは誰でも知っているが、ゆったりと大きな螺旋形の通路を通ってから、宴会場に導かれる。この通路は各会の威勢良いノボリで溢れていた。
          
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東京寺泊会の色は深紅のノボリであった。写真では読みづらいが、赤の左から2番目に東京寺泊会の文字が見える。このアイデアは、聞くところによると、東京新潟県人会を牽引する実業家の、平 辰氏で、東証一部上場の「大庄」をはじめ22の飲食系企業の総帥でもある

寺泊からは、観光協会を代表して山田会長と、大倉副会長が参加された。             
山田会長は、これで2回目の参加、大倉氏は初回である。多角経営のきんぱちさんと、野積の割烹旅館・山長さんが来なさった、と思えば嬉しくなる。両氏とも、今春の東京寺泊会交流懇親会にご臨席予定である。実に有り難く、この大会のために上京される、野積の杜氏さんもご存じだそうである。東京寺泊会と郷里の寺泊は近くなったものである。              

100周年記念の大宴会は趣向様々で、文化と芸術に溢れていた。東京芸術大学・学長(佐渡出身)のオープニングセレモニーに始まり、祝賀能・高砂、そして宇宙飛行士の毛利衛氏によるサイエンス講演、「宇宙からの視点」と続く。DVD、インターネットを馳駆しした講演は、出演料100万円との噂も価値あるものであった。今夜のこの時間にも宇宙に滞在している、宇宙飛行士とも毎日ネットで交信しておられる。地球は狭くなった・・なんぞというレベルと異なり、大気圏と地球の話は圧巻であった。

祝宴でのアトラクションには、民謡の小杉真貴子さんが十日町小唄など3曲を披露、張りのある艶っぽいお声が、会場に良く響いた。アトラクションのフィナーレに輪踊りの司会を頼まれていたので、2回目の出番前に真貴子さんにインタビューしたが、普段でも声が高く、はっきりと話されるお声は、とても若々しく素敵であった。我々と同じ三島郡の出身で、東京越路町会の名誉会員をされている。

会場を見渡すと、米山稔・ヨネックス名誉会長も来賓としてご臨席された。更に会場内では、今年4月4日の第55回・東京寺泊会で、8人を引き連れて正調佐渡おけさ踊ってくれる「東京おかみさん会」の高橋和子会長さんに挨拶され、川村敏夫(佐渡奉行末裔・県人会副会長)と3人で写真におさまったくれた。


東京芸大の学長はBSNの取材で、自らの作品の前でインタビューされておられた。きっと新潟では今夜のニュースに使われるのだろう。
同氏は、気さくな方で、関西弁調に聞こえる佐渡弁で応えていた。

かくして400人を超えるご来賓をお迎えし、盛大に開催した100周年祝賀の宴は、無事終了したのであった。

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東京寺泊会新潟県人会殿から感謝状を授かる

 

東京寺泊会の活動に対して東京新潟県人会・代表 平 辰様より平成22年1月30日、感謝状を授かりました
県人会創立100周年となる、平成22年度も引き続き、越後の文化教養、郷土芸能の普及に協力し、会の運営を推進します。今年の東京新潟県人会はゴールデンウィークでの巨人横浜戦を主催。更に9月には朱鷺メッセで4万5千人を呼び込むイベントを企画中。東京寺泊会は、イベントの一つにある芸能では寺泊の強度民俗芸能の参加を寺泊支所と企画中
。4月4日開催の東京寺泊会創立55周年記念大会に出席された長谷川知男新支所長と相談済み。寺泊浜ッ子会や酒造組合の出番が、待ち望まれている。

新潟県人会は毎年5月中旬に、郷人会会長や県人会理事など100名位の参加者を集め、年度総会を開催する。総会は議案提示し議決を図る公式な行事であるが、総会終了後には必ず懇親会が開かれて、それまで激論を交わし白熱し合った敵味方もこの時は、ノーサイドとなるが、この雰囲気作りも容易でない。この総会の進行は県人会・総務委員会が中心となって遂行する。東京寺泊会出身者が、懇親会の司会を引き受けたのは4年前の第96回大会であったが、本会議では「100周年記念大会]の議案がこの時には、すでに提示されていた。エックス・ジャパンを呼ぼうという企画もあったがいつの間にか消えてしまった。ヨシキと直接会える夢は、残念ながら実現できなかった。
これが5月連休の巨人・横浜戦に変わったのであろうか。

早いもので、あれから既に4年が経ったが96回大会以降、懇親会の司会は、毎年東京寺泊会出身者の担当となってしまった。ついでに、上野東天紅で開催する、芸能大会も3年連続で任されている。今年は新潟市の朱鷺メッセが会場となるが東京寺泊会出身者が寺泊の民俗芸能の司会で紹介したら最高である。
平成22年の5月には第100回総会が開催される。今年も総務委員会が段取する。総会の進行役は、総務委員会の委員長が受け持つ。
その委員会は4月30日午後8時過ぎに問題なく終了。恒例の反省懇親会が上野松坂屋から道路を挟んだ、割烹で開かれた。何せ委員会の開催案内のはがきに、公示が織り込み済みであるので、皆さんは期待と覚悟を持って座敷に上がる。


かくして反省会は女性委員2名を加え沸きあがった。警視庁出の佐藤委員が、今秋、褒章受勲のニュースや、その祝賀会企画話、委員会旅行を今年は「糸魚川」へ行く事や、東京寺泊会に来賓参加された、春日寛さんの立正大学記念講演の話題ありきで、19年春、立正大学の法学部教授を退官されて2年ぶりでの、記念講演には、多くの学生が集まったそうである。過日、講演会の感想文が約300通が、銀座4丁目に構える自身の弁護士事務所に届き、大学に再度、戻って来て欲しいとの懇願分もあったそうである。
さて、5月15日の第100回新潟県人会総会の懇親会には、東京寺泊会出身者が今年も司会を受け持つ事となった。当日は、お祝いのお赤飯が用意される事も、決定した。    次のページは下の1/2 page 矢印⇒をクリック
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