◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

スマホ対象の枠組みで制作していないがPCだけでのアクセス表示75万超、「角上」・「寺泊出身」OR「脳の学校」の検索が殺到する好現象。確かにテレビ出演の影響は大きい。
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フジロックに最適な宿発見

 

フジロックの季節
2016/7/22〜25の宴
の文字で今年も検索数激増である。これはかつて郷里出身の人気キャスター・大越さんを寺泊会だよりで紹介した直後の現象に酷似しており、全国で寺泊会に関心が有るはずないのにと思い、検索ワードで分析したら、その理由が判明した。ロックの季節到来が、寺泊会だよりまで飛んで来たようである。寺泊会とは関係ないが、同じ越後に関連するイベントが縁で、寺泊だよりを読まざるを得ないらしいからありがたい。
 
 
フジロックの宿で検索数激増
 

来場者数が10万を超えるロックフェスタは、アリーナや、ドーム球場の出現で、今や珍しくないが、20周年を迎える、このフジロックも、略称そのものが登録商標故に、商売として第三者が勝手に乱用できない。当初は2日コースで観客数3万人からスタートし、6万になり昨年は、3日間で12万余りと発表された。娘を天神平(富士山中腹のスキー場)まで、車で送迎した頃が懐かしい。その名のとおり、富士山の中腹にロック会場が有った。だからフジロックというのかと、15年前に納得していたが、今、会場を移しても名前変わらずである。台風の心配さえなければ、富士山コースは、絶好のドライブウェイであった。御殿場駅から、バスで会場へ行くファンも多かった。

フジロックなる野外音楽会は、会場を静岡県のスキー場から、東京を経て、越後・苗場山に変えた途端人気沸騰。スキー場のド真中に苗場プリンスなる、巨大なリゾートホテルがあるのに、ここに予約できないのが常識となり、ホテルに入りたかったら、背広を着ない業界人になれと言わんばかりである。おかげで、7月末は、会場からかなり離れた民宿や社員寮、老舗温泉宿まで満員となり大賑わいである。

三国街道の老舗旅館・貝掛温泉は、雰囲気良く、温泉場に一軒しかない事が幸いしてか、露天風呂を中心に旅番組で必ず顔を出している。若女将の、テレビ慣れした紹介も楽しい。

静寂の三国街道に潜んでいた、山賊が出たころに、いきなりフジロックの大音響が轟いたら、さぞかし超仰天し腰を抜かしたに違いない。7月後半は台風、低気圧と豪雨でも、ファンは集まる。夏晴れにしてやれと、天に言いたくなるが、人気アーティストの生音を、聞けば、皆満足した顔で帰ってくるから、雨でも風でも問題なさそうである。越後の観光協会長も大喜びであろう。


さて東京新潟県県人会は、創立110周年も近い。日本国の通常国会は、今年が190回目だそうであるが、財団法人・県人会恒例の定時総会、寺泊会も所属する、総務委員会が取り仕切って、賑々しく、執り行われる。
毎度の準備に馴れた委員。総勢20人は、この日が楽しみである。第2部懇親会を終えたあとの、打ち上げ会・会場を近くの割烹で予約したうえで、101回目を迎えた当時の物語である。

 
新潟県・観光協会・会長さんが身内の一大事として、越後の旅館へどうぞと集客協力要請

新潟への観光PRをしながら積極誘致

今年の御来賓は、社団法人「新潟県観光協会会長・高橋正」氏が引き連れた「旅館組合の野沢幸司理事長」をはじめ、「旅館の女将、若女将」さんたちであった。

大震災後に、越後の旅館へはキャンセル続出、
総数12万件のキャンセルは、越後の宿の一大危機である。自粛もいいが、新潟県の宿の良さを全国にアピールしてくれと、新潟県知事・泉田裕彦氏に訴えておられた姿が、先日のテレビで紹介されていた。
そういえば、今春お会いした際頂いた、知事さんの名刺にも、ユニークなロゴが書いてあった。

さて、押しの利いた声量を持つ、新潟県・観光協会会長・高橋正さんが仕切る引率者さんたちの紹介で、第2部の懇親会は始まった。
かつて、新潟市議会で主流・半主流を取りまとめた、議長経験があるだけに、積極性ある態度ながら、物腰柔らかく、その話しぶりが、大変魅力的であった。

名物弁護士さんの、あいさつも、楽しい。今年のテーマは、100周年記念誌当時の、販売に関する取り組み方に対する意見陳述であった。
私見としながらも、100年だろうと500年記念誌だろうと、どんなに立派な装丁と構成であっても、所詮、作り手の自己満足でしかない、従って、販売の取り組みには慎重性を要する..と弁じた。
会場の参加者の多くは、何らかの会の、会長か幹部で、何冊かの販売責務がある。慎重に聞いていた。ちなみに寺泊会関係者は、合計50冊を手にしたが、小林秀雄会長の協力があっての話である。

堅いお話はともかく、越後の旅館組合を代表して、奥湯沢の旅館・貝掛温泉の若女将長谷川秀美さんも、5代目の主人を支えながら、温泉来訪大歓迎のメッセージを発していた。苗場スキー場周辺にある、民宿の倍以上の宿泊費も、泊まる価値十分にある。
全国「温泉湯宿を守る会」のメンバーとしても活躍している。

東京寺泊会からの提案であるが、夏の「フジロックフェステバル」で、まだ宿の予約がとれていないファンは是非、苗場に近い、ここの温泉旅館も検討してほしい。

■御存じのように、毎年苗場プリンスは、予約困難、周辺民宿もすぐ満杯になる。
会場ゲート近くへの専用バスを用意させたらどうか。若女将の秀美姐さんに相談したら・・・。その予定はないが、いつだったか、著名アーティストと、露天風呂で一緒になったファンが大感激したこともあったそうである。


那須の温泉に行くならこのお方を紹介する。県人会相談役の横野寅雄氏である。東日本大震災でも、宿の地下層の岩盤強く、びくともしなかった由。
その名も有名な・五ツ星旅館、掛け流し温泉「大鷹の湯」の経営者さんが越後人である。
後方は、参加者と名刺交換に忙しい、新潟県東京事務所・池田幸博所長である。

総会議題の1〜4号議案も無事可決され、2部の懇親会終了後は、予定通り、総務委員会の打ち上げ宴会を上野・御徒町駅近くで開催。総会も終了し、ホッとしたのであろう、お偉いさん方は、県庁から出席された、特別ゲストを交えて痛飲。越後人は本当によく飲む。都会に住んでいて.越後出身ですというと、必ず「お酒は強いんでしょうね」と問い直される。
年金の多寡から退職金の差異にかかわらず、同等に杯を交わしながら、思考衰えず、他を詮索しない豪放な70代達と混じる、ひと時は、実に楽しいものである。県人会を退会したて久しいから毎年の総会には、懇親会の司会をするお座敷もかからないので、当職としては他人事になっているが。



 
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寺泊人脳科学者加藤俊徳博士の世界

  ●ニッポン放送・高嶋ひでたけ

寺泊出身の先生がニッポン放送に出演。

毎朝放送している「ラジオ人間ドック」に
加藤俊徳氏、生出演早朝6時15分・・
「ラジオ人間ドック」のドクターとして。



■他番組の5月以降出演情報は随時更新致します。


「あなたは、右脳使ってますか」偏。
寺泊出身の加藤俊徳博士が4月14日(木)第61回東京寺泊会で講演されました。

脳の劣化を防ぎ、脳に新しい血流を注いで頂きました。

会場:芝パークホテル
期日:2014/4/14(木
受付:11;45〜
第61回東京寺泊会
  ふるさと交流懇親大会
ご来場記念(全員)

寺泊港 角上鮮魚店特選
 ■海鮮ギフト詰合せ
加藤俊徳医学博士

脳科学の世界は覗けば覗くほど面白い。この世界を知ると、毎日行き交い、すれ違うヒトを見る目が違ってくる筈だ。最近ビジネス本のコーナーには、「脳を活性化して営業収益を伸ばす法」とか「経営者が取り入れる社員の脳分析」・・等,等が目につく。
一般本コーナーでも「認知症にならない脳活動」、「あなたの脳年齢はいくつ」「長生きするひとの脳」などの本が並んでいる。
脳は誰もが関心があり人類すべてが当事者である。即ちニーズと期待に満ちている。



◆寺泊町の東方には、霊峰弥彦の山が鎮座する。
大河津と統合前の寺泊中学校校歌には「東に弥彦、西に佐渡」とある。
その中学校正面は、広い階段になっている。チョーテツこと長岡鉄道の「寺泊新道駅」があったが、これを知る人も少なくなった。
広い階段は、この駅の正面にあった。スクールバスが開通しても、この階段を上って校舎に入る。階段脇には哲学者アリストテレスにも似た、たくましい姿の少年像が40年間も立っている。


◆寺泊中学校に、ただ一人脳みそに興味を抱いていたお坊ちゃんがいた。
階段脇の少年像こそ、のちの脳科学者加藤俊徳博士である、
小学校時代からわんぱくで力持ち、健康優良児だったそうで昭和時代のモデルに選ばれたのだろう。
4月14日の寺泊会には、越後長岡市の森市長もご来臨される筈なので、長岡市の文化財にどうかと推奨してみよう。


◆さて弥彦山麓の平野一体を野積(のづみ)と呼ぶ。塩たき節伝説にある「天香具山命」が越後へ最初に逗留した際に、高度生産技術を教授してくれた地でもある。生産性の高い技術,即ち収益性のある作業を伝授した。これには基礎体力が要求されるが、野積の衆は、後世に相撲取りや立派なアスリートを輩出するほど、昔から筋力に優れており力持ちが多く、オナゴ衆も負けてはいなかった。生まれながらの素晴らしい人種の集団であったから命(ミカド)の教えはすぐに呑み込み実行出来た。その証拠には、この地には歴代のの名杜氏が何人もいるし、安定した稼ぎの有る製塩手法を取り入れたのも野積人である。日常の必須品を生産することこそ、収入の安定性に繋がるのである。 古代から平成の現世までの歴史を振り返りながら、加藤博士の持論は脳科学を側面に捉えながら、寺泊・野積に生まれ育まれたこと、幼少時代に、80過ぎても漁船を操る強靭な体格の漁師だった祖父のそばに常時いたことが、以降の全人生の活力の源になった、と確信しておられる。何しろ自分が4歳の頃から、体を漁船のヘリに縛り付けて漁を楽しませてくれた思い出を今でも鮮明に覚えているほどだ。最高のフィールドで、特上の経験が、研究心を煽ったようである。


結論。これ以降の理論、なぜ野積の風土ヒトのパワーを日本人が必要とするか・・・について1年半の歳月をかけて上梓する「日本人が最強の脳を持っている」(幻冬舎版)を脳科学者の立場で説いた単行本並びに電子版が、まもなく全国の書店で紹介される予定だ。再び加藤俊徳博士著によるベストセラー本の登場である。

これまでに刊行された主な著書「脳の強化書」(あさ出版)「脳コンディショニング」(かんき出版)「完全脳の創りかた」(李白社)・・など多数が書店に並んでいるが、2016年3月16日発売の日本人のどこが最強の脳かを知ることで、これまで想像できなかった加藤博士の世界を覗く事が出来る筈だ。良寛、山本五十六、田中角栄などには、すべて共通項目があるというが興味ある説である。幻冬舎発行 3月度最新刊 加藤俊徳著「日本人が最強のをもっている」で詳述している。

◆平成に入って、日本は世界有数の高齢化社会に直面し、これから老いた人種に突入するであろう多数が危惧する、脳機能解明に身を置く脳科学者、加藤俊徳博士が野積生まれ野積育ちの寺泊出身となると、先人のDNAは平成の今に生きていると断言せざるを得ない。ご本人は砲丸投げで県大会優勝、野積在住の寺泊中学校の生徒たちは、野積〜寺泊間を通常はスクールバスで通学する。加藤少年はこれに乗ることなく、一人走って通学するほど筋力が卓越していた。
中学校のグランドで陸上の練習中に、脳の機能に興味を持って以来一貫して脳の研究に携わる運命に出会った。体力を支配するのは脳の働きに大きく関係あるのではないかと疑問に思ったのがきっかけとなり、その少年がいつの間にか、海外の学会で発表したり、万人が興味を示す、脳関係の斬新な話題を提供し、メディアで盛んに登場する科学者になっていた。



◆加藤俊徳、小児科医で医学博士。昭和大学大学院卒業後はミネソタ大学(米)放射線科で研究・臨床を重ね帰国後は、慶応義塾大学、東京大学などで研究に従事、脳科学に新分野を取り入れ、自ら「脳の学校」を設立、科学者として実業界にもその成果を生かしておられる。恩恵を受けた実業界のトップは必ず、その素晴らしさを自分の組織に活用しビジネスモデルに採用している。
企業経営は、組織に携わる経営資源の資質向上を目指すことに他ならないが判っていても実現は容易でない。稚拙な経営者は社員の理解力・力量能力のなさを根源から分析することなく諦めてしまう。実にもったいない話である。
いくら教育に経営資源を投入しても、ダメ人間の改善には、役に立つ方法を見いだせないでいる現状が多い。

◆ここで登場するのが脳力解析である。言葉で表せば単純であるが、脳みそ120個所に番地をつけて分解し、脳のどの部分が本来の仕事をしているか、いないかを分析。脳細胞は使わないと死滅するが、僅かにある残脳を生かせば、100歳でも劣化するどころか再生することを、博士の臨床研究で今実証されたのである。
俗に言う「アタマは一生働かせなさい」である。幸いにも現代は微・巨視的レベルの研究に有効な、フィールドの充実と進展は著しく、ナノ単位の細胞でも鮮明に画像で見れ、脳画像のコンピュータイラスト技術も遥かに進んで来た。

◆支援サイト貢献の恩恵を受け、お茶の間のテレビ番組でも、理研BSI(理化学研究所・脳科学総合研究センター)の博士レベルしか判らなかった画像に溢れており、人体皮下の部分は、動画と画像王国となっている。科学者たちにとっても学会誌の発表だけに名声を焦らなければ、じっくりと研究に専念できる。加藤俊徳少年の時代は、医学部があっても、脳科学研究を専門に扱っている学科はまだ無かった筈で、早々とよくぞここに迄辿りましたねと外部ながらも言いたくなる。
脳血流中のヘモグロビンの流速状態が、波長の長い赤外放射の利用で、血管に非接触で測定している研究内容がTV番組で紹介されたが、素人万人でも理解できるのは3D動画のお蔭である。脳科学の世界にますます興味を抱いてくる。TV番組はこれに心理学側面を重ね、喜怒哀楽の源はここにあるのだと解説してくれるから馴染みになり判りやすい。理研BSIでは若者にも脳科学に興味を向けようと毎年多くの高校・行政からの訪問見学を受け入れている。寺泊会の会員からも「俺もあと60年位若かったらなあ」と、ため息が聞こえてきそうだ。
その時はこう慰めよう「その年で脳に興味を持っているあんたがえらい」。

◆「おめさんの脳で、使ってないミソが見つかったら、どうしなさるか」は、寺泊会の宴席で、冗談ながらよく飛びかわす言葉であるが、それ以前に「オレは自分のミソを使っているがどうかさえも判らんすけ」、で話は終わってしまう。


医学部教材に使用されるGEL製脳

そこで役員会での席上、脳ミソのことならこの前ラジオに出ていた、野積・荒谷の、キュウゾウさんちのあんちゃんを呼んで、もっと詳しく語ってもらったらどうかとのことになり、白金に有る脳の学校でインタビューとなった。今や著書、DVD多数がベストセラーになるほどの有名人となった加藤俊徳博士が、コバゲンさん以来、創立61周年を誇る2016年4月14日開催の、第61回東京寺泊会の講演を快諾してくれた。

 

それどころか想像以上の熱烈寺泊ファンで、郷里のためなら何でもやりましょう、と他の会での講演会や客員教授として教えている、母校昭和大学での授業でも必ず寺泊・野積の良さをアピールしています、とデータファイルを見せてくれた。昨年の寺泊会交流大会のゲストさん 角上・柳下社長同様、期待超大である。
認知症が気になる年齢層の多い寺泊会の会員さんの役にたつこと間違いなしであろう。                                             取材協力 脳の学校広報部







 

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今日もでこかで国際マラソン大会 ISO2015年版的見地



4・2章 利害関係者のニーズと期待偏(ISO2015年11月発行を引用し寺泊会が考察)
 この近くで
立ち小便スベカラズ

名勝の寺泊海岸、さかなのアメ横通りができるかなり以前の夏のはなし。環境・品質のコンサルを生業にしているせいか、どうしても気になる思い出が浮かぶが、寺泊会の集まりでも70歳以上が必ず回顧する共通の話題となって盛り上がるのがこれである。

寺泊海岸では、砂地の面積が現在の3割しかなかった当時でも、夏ともなれば、ゴマンと海水浴客が群がる。近頃は大型駐車場が整備され公衆できれいなトイレもでき、清潔そのもので安心して利用できる。一方昭和の中ごろとなるその昔は、灼熱の太陽の下で、近郊の町村からの来浜者で、地元のこ子供達はほとんど海の遊びを終え、家か自宅近くで遊ぶ時刻の、正午近くになると海水浴客の人出は、近郊の町などから押し寄せるので一向に減る気配なし。日よけどころか暑い砂浜で興じるのであった。
昭和半ばまでの地元町民が持つ、浜のイメージはとは、家庭ゴミを捨てても、いつか灼熱の太陽が溶かしてくれと勘違いし、ペットボトルやプラスティックのないころだから、有機系廃棄物ばかりがやけに目に着いた。食べ残したスイカや、大根の葉っぱ等のごみは平気にその辺の浜に捨てていた。こんな環境下で男性はこんもりした砂浜に向けて、ごく自然に、小用を足していた。

 ションベンスベカラズ

ここはきれいな浜辺にせねばと、町の有志が立ちあがり、この立て看板を作り続けた。あっちこっちにあるものだから。小学生のころは、よく目にした。もっとも小便などと、上品に書かず「・・ンベン」とカタカナ表記であったが。耳慣れたフレーズとなっていた。男は正に立ち止まって済ませ、女の子はしゃがんで済ませていた。これもおっかチャンになると前かがみになって、お辞儀をしたような格好でしていた。もっとも、浜辺でなく新道の坂道や、小学校の校舎わきの大地(オオジ・3区の山の奥にある地名)へ入る細い道脇あたりでよく見た光景だ。今や民俗文化遺産となる。

さて、郊外はいざ知れず都会ではさすがに道路脇でも、立ちながらの小用は、かなりの酔っ払いでもない限りは、見かけなくなった。但し、時折「ペッ」はまだ見かけることもある。駅のホームから、線路に向かって、かと思うと側溝の僅かな隙間めがけてと、いろいろ工夫している。環境保全と美観・衛生の観点から、いかがなものか。と講演で提案したのは数年前で、今ではホームの美化意識には目を見張るものがある。電車が来るまでガードフェンスが閉じられ、簡単に件の行為はできなくなっている。ゴミ箱は殆ど無くなり、その周囲にゴミが散乱することもない。但し大都会周辺の駅に限るが。トイレの美観化対策も徹底して頻繁に清掃の手が入るので、大勢が利用するリスク管理とステークホルダーのニーズと期待には、日本では考慮が計画と運用され2015年11月版新しいISO審査といえども指摘事項には改善の余地はない。即ち適法である。

所がマラソンはどうだろうか、走れば息が苦しくなり、唾のひとつも吐きたくなる。だが、一人が0.01CC出しても、東京マラソン等のように4万人超えるランナーがいたら、総合計排出量は、想像を超える量になってしまうであろう。しかしながら、競技関係者と高名なかつてのマラソン勝者で、今ではテレビ解説をしていても、これを気にする体はないようだ。
ランナーの中には手で、鼻の片方を抑えてプーとやる、通称「つかみっ鼻」をやってしまう輩もおられる。越後生まれのマラソンの名手、宇佐美先生(元・東海大学教授)は、現役時代に決してこんな事はしなかったが、文化の違いか、海外トップクラスが集まる、国内3大マラソンで優勝するかもと疾走している、先頭集団になればなるほど、画面一杯に放映する機会が多いだけに、飛ばし合いを目にすることも珍しくない。


給水ポイントも曲者である。走りながら給水してむせる者もいる。口内フラッシングと呼ぶんだろうか。
砂漠に近い大陸にある大地の如く地面が褐色土ならいいが、水はけの良くないアスファルトだし、風邪予防のうがい水の捨て方は、小学生すら、ルールを知っている。

近い将来環境アセスメントで、施行レベルの法遵守に挙げなくとも、下位レベルの都県条例を発令し、マラソンは、ハイテクペーパー持参5枚まで、などとルール化するかも。

良寛も歩いた景勝地を走る、寺泊シーサイドマラソンは、どうであろうか。18里先の佐渡島を横目に抱える寺泊シーサイドマラソンが毎年開催されているが、参加者多数でも全員エチケット感にあふれ、海岸マラソンを堪能できる素晴らしい大会にしてくれている。何しろ日本海の新鮮なオゾンを含む寺泊海岸の空気を吸いながらの走りゆえに、参加者たちの呼吸器系が破壊されることが無いからであろう。

こうして市民ランナーさんも、全員で良質な環境意識を持っておられるから、ふるさと寺泊の品質向上に大きく貢献してくれて有難い。


   (イメージの写真と該当する現象とは全く関係ありません)


 

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高橋孝一杜氏、黄綬褒章受章特集

 東京寺泊会創立60周年記念稿
寺泊の杜氏さん編

 
 
     春の受勲と寺泊人
高橋孝一・杜氏に黄綬褒章。
銘酒「越乃寒梅」を経て「越乃景虎」酒造り。

東京寺泊会で酒造り唄を披露してくれたのは、2010年春であった。この年に清酒品評会・チャンピオン3連覇。更に同年秋には「現代の名工」として、厚生労働省から認定を受けた新潟県民3人衆の中の、ひとりとなった。時に66歳。
あれから2年.黄綬褒章に輝く。寺泊出身の杜氏は、全員が褒章該当者に値するとも言われている。酒造りにひたむきな情熱を捧げて50年以上の経験を持ち、出来上がった作品の品質は、個人の嗜好に依存し、甲も乙も付けがい。丁度、美人コンテスト世界大会にも似ている。皆さん眼が大きく背が高い。腰のあたりに余計な肉がないしプレゼンも上手で、髪も脚も長い。即ち一流の資質を持った者を集め、1等賞をつける審査にも似ている感がする。


高橋杜氏さん、最初となる酒造り修行の場・石本酒蔵では、頭(かしら)まで登りつめ、越乃寒梅造りに情熱を燃やしていた事を知る者は、地元の人でもそう多くいない。
◇2年前、高橋杜氏らをステージに迎えた寺泊会大会はこんな様子だった。
平成27年の今レビューすると。


  

大会の模様は、新潟日報4月5日付け、日報ウェブニュースで配信、更に、同月6日発行の新潟日報19ページ、地域面でも、大きく掲載された。

 
     
 新潟日報ウェブニュース

● 55周年記念大会アーカイブ。
● 特別出演 野積杜氏など5人衆による酒造り唄   
                           
寺泊会創立55周年記念大会。東京おかみさん会を主宰する高橋和子さん率いる「おけさ会」の皆さま、大枚の、ご祝儀持参で、踊りの披露を賜り心より御礼申し上げます。県人会の芸能大会で、司会をさせて戴いたご縁でのお付き合い以来4年になるが、友情参加してくれないか,の一言に、快く即応して戴き大感謝であった。
  
     ▼
出演杜氏さんのご紹介
  

酒造り唄公演・杜氏さんと蔵元代表銘柄一覧                                                                         協力・寺泊酒造組合
            ▼ 杜氏{出身)  代表銘柄   蔵 元
会 長 藤井正継(野積)   〆張鶴      宮尾酒造{村上市)
副会長 高綱 強(野積)   自然郷      大木代吉本店{福島・矢吹)
副会長 高橋孝一{引岡)  景 虎       諸橋酒造(長岡市)この2年後、黄綬褒章
青柳長市(大和田)          宝 山       宝山酒造(岩室)
加藤儀兵  (野積)        笹 祝       笹祝酒造 ( 巻)

 
         
酒造り唄音声笹祝酒造提供


写真左から笹祝〆張鶴宝山自然郷景虎を産み出すスター杜氏さん
職場では近寄り難い杜氏顔でも、この日は柔和なおじさん顔でありがたい。


それぞれの蔵元の最高責任者として、(写真中央左側が高橋孝一さん)手掛けた作品を持参した杜氏さん推奨の銘酒をテーブルに持ち廻り、会の出席者全員に振舞ってくれ、感謝感謝である。・・・東京寺泊会一同。
この翌日となる5日には郷里寺泊支所を会場に、清酒品評会が開かれ、55周年記念大会に出演された引岡出身の高橋幸一さん出展越乃景虎」諸橋酒造が3年連続の優勝を飾った。日本を代表するスター杜氏をゲストに抱く東京寺泊会の素晴らしさを改めて実感する

優勝した「虎を」造る杜氏・橋孝一さは、東京寺泊会の・外山健太(現会長)と平石國男(現副会長)両氏や、風間幸恵さん旧姓三上幸恵さん(松沢町)とは寺中時代の同期生である。互いに顔を合わせて目をパチクリさせながらの40年ぶりの再会を喜んでいた。



宝山酒造は野積から弥彦山を跨ぐ温泉地・岩室にある。ここの杜氏は青柳長市さん、ここで造られる年間1200石の酒造りに全責任を負う。自然豊かな村の蔵で、四季神酒を産み出す自信と誇りを、仕込み唄で披露してくれた。青柳さんは自身の名刺に弥彦神社おみきの杜氏、大きく銘記しておられる。
来賓としてお招きした十日町出身の弁護士・春日寛氏は,長年の宝山ファンである。青柳さんの粋な喉と唄を激賞。
今年九月開催の朱鷺メッセのステージでは、寺泊
酒造組合の出演が決定している。この芸能大会は3人の司会構成であるが、東京寺泊会もその一人つぃて、受け持つこととなった。(写真は仕込み唄を唄う青柳長市さん)



単純な動作なのに酒造りの匂いで充満

       ●       ●      ●

  
場内を佐渡おけさで盛り上げる、東京おけさ会の姐さん達平成26年4月22日(金)に開催する第61回寺泊大会にも出演交渉中である。

友情参加の東京おけさ会 高橋和子社中6名は相川音頭で杜氏さんを前に、東京で味わう越後佐渡の代表的な民謡を披露今年初参加の、野積出身・青木重善様のスピーチは、「野積人の誇りとは」と演題を決めた当会からの直前依頼にも関わらず、ワラジ持参で、見事に素晴らしいトークをされ、粋で豪快な野積ダンディの姿に酔いしれた感じであった。
ご祝電感謝

小林清燕市長様・32号昨年同様ご祝電を戴きまして、ありがとうございました。司会者より会場で披露させていただきました。来年度も鈴木新市長様へ継続されますよう、宜しくお願い申し上げます。
記念撮影に間に合いましたか


東京寺泊会の特徴は大会開始の合図が全員の集合写真である。大会の開催時間即ち写真撮影となるので皆さん時間通りに集合される。宴会はこの直後に始まるのである。
撮影の際に宴会場から移動し、ホテルの専用スタジオで行われる。果たして遠く離れた寺泊の諸は、この顔の何人をご存じだろうか。夏戸・大和田・本山・松沢町・上片町・上田町・荒町・白岩・野積などを出身地とする首都圏在住のオールスタッフのメンバーが参加した。4月15日に役員が手分けして、下記の御参加者全員に、この写真を送付致しました。
 男性会員    女性会員  
相場要平 白岩
小林秀雄 白岩
高綱清庸 野積  下田信子 上片町
外山健太 上田町  浅見幸子 荒町
橋本寛二 上田町  石井光枝 蔵場町
平石國男 小川町  寺坂寛子 松沢町 
外山 格 上田町   冨田範子 金山
松井繁男 白岩   笹平京子 松沢町
早川賢市 蔵場町  田中桂子 松沢町
松永達一 本山  越智綏子 大町
廣田 勝 上荒町  部セツ子 戸崎
大井長一郎 上片町  大石裕子 佐野家
小熊春夫 七ツ 石   田尻加代子 湊町
竹田秀雄 磯町  風間幸恵 松沢町
小越弘栄 夏戸   小越文子 萬善寺
近藤半治 夏戸    
石原勇一 蔵場町  
内山 清 大和田  
小林孝之 蛇塚    
青木重義 野積    
 
   
  来賓 順不同敬称略
山崎和夫 長岡市地域政策監
長谷川知雄 寺泊・支所長(夏戸)
古川原直人 長岡市議会議員(野積)
山田省吾 長岡市議会議員
山田栄三郎 寺泊観光協会長
大倉英雄 寺泊観光協会副会長
伊藤  勝 出雲崎会副会長
春日 寛 東京十日町会会長
矢部正二 北区新潟県人会会長
山田 寛 新潟県人会理事
堀 優 弥彦村人会会長
武石賢次 弥彦村人会副幹事長
平出英雄 東京分水会会長
大島芳昭 東京分水会副会長
高橋和子 東京おかみさん会会長
吉澤米子 新潟県人会常務理事
三上喜久治 東京寺泊会相談役
渡部作次 東京寺泊会相談役
落合美三重子 新潟県人会常務理事
細谷シズ 新潟県人会理事
外山勝志 明治神宮・名誉宮司
佐野久治 つゞれ屋・会長
新潟日報社 井川恭一支社編集部

フィナーレはカラオケ・ トップバッターつゞれ屋・会長 ・ 93歳の佐野さんが音頭とり















寺泊酒造組合藤井正継会長が熱唱応戦















笹祝・杜氏加藤儀兵さんも楽しそうにマイクを握る


「自然郷の杜氏」野積の高綱  強さん・・・寺泊会開催の後日に行われた、平成22年5月の役員改選で寺泊酒造組合の会長に就任・・・は仲間の唄に手拍子で声援を送る。この法被姿が素晴らしい。麹と蔵の壁を想像させるコージ・ホワイトと襟元の対比がたまりません。
自然酒にこだわる、福島県矢吹町にある大木代吉本店の銘酒「自然郷」。矢吹町と言えば、元ジャイアンツの中畑清の出身地である。同氏が次期参院選に「たちあがれ日本」党から、出馬するのでは、との話題で持ちきりらしい。高綱会長の酒造り唄は高音で延びがあり、実に味がある。また達筆で、素晴らしい書体で書かれる手紙は、大変価値がある。寺泊の杜氏さん達の特徴として、皆さん全員が相当な達筆者であることだ。これは、銘酒を飲まれた顧客からの便りに対する礼状などを、お書きになる機会が多いので常日頃訓練されているからか。
中畑氏当選の暁には自然郷で乾杯かと思われたが、残念ながら当選は叶わなかったが、プロ野球横浜DeNAベイスターズの監督としてメディアに再登場の人気者である。
                                                                     

高綱さんはこの1年後の2011年3月11日・東日本大震災で酒蔵が被災。倒壊した酒蔵のなか、現在までに生産体制を建直し、人気の銘酒・自然卿を造っておられる。
ボランティアで寺泊会出席のため上京される予定である。

 
 
寛風庵最新号
 
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96歳で振り返る60年前の寺泊会

東京寺泊会創立60周年を祝う

第一回大会参加者:下鳥 ハル(96歳)


此の度は寺泊会の創立60周年本当におめでとうございます

これ程長く続くのは代々の会長さん役員の皆様のお骨折りのお陰と感謝致しております。

思えば60年前に聖徳寺の窪沢住職さんからお声が掛り、3歳の娘を連れて浅草の西徳寺へ集まりました。
寺泊小学校の青柳清作先生も出席されていました。
総勢十数人だったかと思います。


写真提供;本人(娘と二人で参加しました)

皆さんの意見で、寺泊の様子を知りたいと、窪沢住職に頼んだところ、一か月に1回の割で、生の寺泊の様子を知らせて下さることになりました。


青柳先生は寺泊の歴史などを書いて「ふるさと便り」として送って下さいました。
私のように遠く離れていても故郷の様子が身近に感じられて、毎月楽しみに読ませて頂きました。

窪沢住職が亡くなられてからは、興琳寺の中村さんが交替されて50周年で機関紙としての「ふるさと便り」は一応終わりましたが、伝統の東京寺泊会はいつまでも続いております。
私も会員として60周年大会に出席したいのは山々ですが、96歳になり膝痛がひどく、
歩くのに困難して居りますので。残念ながら欠席とさせて下さい。ほんの僅かですがお祝いを同封致しました、御受納ください。

これからも会の益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。
平成27年2月23日
下鳥 ハル 



 
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福島原発事故と寺泊出身・福島県・酒蔵の杜氏さん

寺泊会創立61周年記念特別編

3月11日酒蔵から生還した野積杜氏

        

津波と大地震。あれから満5年経過する3月11日がまた来た。景気浮上より、復旧・復興を優先して目を向けてくれと、現地取材の著名なテレビキャスターやアナウンサーたちのインタビューに答える多数の被災民がおられる。
無償ボランティアで、汗の代償を求めない若者たちに感謝しつつその一方で。ここで去年の春の新聞を読み返すとこうであった
復興支援の原資にするからと、2年前の話であるが定年間近の教師達に、退職金かけ率に協力して欲しいと呼びかけた。だがこれ以上の関連する記事は寺泊会とは離れているので一部分を削除した方が良いのではと、当事者らしき方面から掲載3か月後位に声が出て、詳細は他のメディアを参考に、それぞれがご理解された方が良いであろう・。

 
順法とは言うものの、生徒達との絆拒否先生の善意は、対象者全員が協力すれば、支援の薄い住民の補助になったであろうになどと、金銭的なアプローチをする余裕は寺泊会だよりにない。論争を継続する時間のないほど、不可思議なニュースばかりに追われている平成28年春。

かつてこの45億円を目標に掲げていたのは誰か、そのような論点は、平成25年春の話題だけで何もなかったことのように消滅・終了した。追及を持ち出す新聞社も記事になく、行政話もない。不思議なものである。2016年春、一部大手のベアも決まり、やがて雇用が上向けば、万民からの血税があるからと安心しているのに違いない。


 
さて、あの震災当日の3月11日、福島県の酒蔵で仕込み作業中の寺泊・杜氏さんがいた。
 
 
福島の銘酒自然卿を造る寺泊出身の杜氏「高綱 強」さんの地震・原発と酒造り人生 再現記事


現役スター杜氏・高綱 強さんは寺泊会で語ってくれた。3年前の震災当日、大きくゆれ動き、のたまわる酒蔵を思い起こしながら・・・。  福島の地酒・大木大吉酒蔵の自然郷はネットでも入手可能だがすぐになくなってしまう。

地震当日は、酒蔵の床にへばりつきながらも、この酒の命を守りぬいたという。

◆揺れが収まっても、なかなか蔵から外に出てこない高綱さん。

◆ほかの従業員が案じ、師匠は仕込み樽に押しつぶされて、死んじまったのだろうかと
言ってたそうである。

◆馬鹿いうな。死んでたまるか。おれは大揺れの最中でも、仕込み樽にホコリが入らないように、
周りを養生していたんだ、と堂々としたものである。


その2011年3月11日、金曜日.一億総日本人の誰もが、重い経験を味わった。ショックを受け脅威におののき、怒り苦しんだ。僅か3,4年の経過で、これから逃れられるほど軽いものではない。
映画でしか見れなかったような、浪に飲み込まれる家屋と失われ行く自然。メディアは、これを映像にし、繰り返し流し続け、人間が受けている、現実の悲惨さを報じている。家族を失い、建物を流出。取り返しのできない惨事。加えて、福島の原発事故。格納庫には、酸素がないので、水素だけで、安心ですと、時の総理大臣に説いたお仁は、やがて更迭された。時折、比較される言葉は、チェルノブイリである

水素爆発2日あとのウクライナ版プラウダ紙でもこのショッキングな写真を大きく取り上げていた。

平成の放射能製造マシーンは、この瞬間から、半減期に30年以上を要する、セシウムを飛びちらし、まき散らし続けているである。
気ままな風に乗って、100キロ以上離れた関東圏以南迄運び、翌日には北上し、北では雨によって地上に堆積、もはやISO環境目標だの、京都議定書だのといったレベルではない。先ずは、体内細胞分裂の盛んな、幼子から、目に見えない放射能の吸収を防ぐ事が肝心である、と評論家は言い始めたが。放射線レベルの許容基準値を都合よく何回も改正した。最初は半径5キロ圏内、次は10キロ、そして20キロ圏内、やがて50キロ圏内の住民はすぐ戻れるから町から離れなさいと、未経験からくる上から下までの行政の知恵は実に安心できない。



花火工場爆発の、火の粉程度しか考えていなかった我が国は、近隣住民だけを逃げろと、避難させたころの写真だから怖くなる。

毎日一緒に東京で仕事をしている、ウクライナ人は25年前に父親がチェルノブイリにいた。彼も原発で働く技術屋であった。同国の新聞は、今回の日本の事故をどのように報道しているかを、新聞を、見せながら説明してくれた。一面記事で、東京電力・3号機の水素爆発を報じたが、当初の見出しで見る限り、重篤ではないような表現も、炉体容器そのものが爆発したチェルノブイリに比較すれば、との見解もあるそうだ。以降のロシア語の新聞には[フクシマ]の文字が何度も登場していた。彼は何度も何度も、森が一番やられると語っていた。


科学が進んでいると思っていた、日本で、相当、古い装置が稼働していたのかとも、疑念を抱かせた。今振り返ると、GE又はWHの指定で、米国から輸入した、圧力制御機器や温度スイッチ,、リミットスイッチ、水面計など多数の機器を、この原発に納入した。来日したメーカーの技術者と製品説明のため、何回か通訳として同行した経験があるが、現地構内にあったGEのゲストハウスに泊めてもらった。1970年の初め頃であった。

福島県では万が一の原発事故が起こる前の、放射能漏れを国が想定しており、東日本沿岸海域に、多数のモニタリングポストを、設置してもらっていた。津波さえなければ、測定機器は、破壊されることなく、この写真以降の、放射性物質の飛散状態を、正確に強度と、分布をとらえたのであるが、残念ながら数機を残して壊滅。残された僅かな機器を使用して、大学・研究機関で解析中である。事故がない時に、モニタリングしていたのに、事故が起きてから測定できない神の仕業は、あまりにもむごたらしい。20箇所あまりの、モニタリングポストは壊滅したと思われていたが、やがて学者の執念で、この内の1か所にあった機器が健在であった事が判明し、これを使用しバックデータを分析中していると聞いたのは、かなり後になってからのことである。

それと東京寺泊会との関係があるかと思われるが、ここに示したのは、日本酒を測定した放射能レベルである。フクシマ原発の風評被害で、同県で醸造された日本酒の売れ行きが思わしくない。そこで蔵元が、放射能の影響がないことを、分析機関に依頼測定し、結果を公表している。セシウム・ヨウ素共に含有していなかった。


蔵元の社長さん(左)は、放射性物質含入ナシの測定データを手に、どうぞご安心くださいと、呼びかけておられる。

■実は、ここの杜氏さんこそが、寺泊出身の高綱 強氏(野積)である。福島の銘酒・自然郷の杜氏さんだ。
昨年新潟県人会100周年記念大会では、朱鷺メッセ(新潟市内)で、見事な酒造り唄を披露し、55回大会の2年前にも、寺泊会のステージで唄ってくれた。寺泊酒造組合の会長さんでもある。

東京寺泊会は、第57回寺泊会で,杜氏人生を語る特別講演会を企画。

3月11日の東日本大地震で酒蔵は倒壊。仕込み樽も横倒しとなる環境の中でも、蔵の伝統を守り酒造りを復興させた。

高綱杜氏殿、寺泊会大会で講演を願いませんかと、手紙を出したのは、地震が発生した年の秋の事であった。「何とか都合つけようや」と翌年の4月に開催した、第57回東京寺泊会において記念講演にこぎつけた。逆境下での酒造り奮闘記を、たっぷり語る姿に杜氏の里、野積人の豪快さを垣間見た。(於・芝パークホテル)。(震災の写真は大木大吉酒造さんのHPより転載)

 

         ▲
酒造り唄の名手・高綱 強・杜氏(写真上)

 第57回東京寺泊会大会は、4月8日()盛況のうちに執り行われた。
 

福島県地酒・自然郷 大木代吉(おおきだいきち)本店宣伝版より

 ■創業は明治維新をひかえる慶応元年(1865年)。大木代吉本店のある福島県西白河郡矢吹町はその昔に奥州街道の宿場町で、皇室のご猟場町としてもさかえたまちです。
 ■この矢吹町は中畑清監督の出身地で、三つの河に囲まれる水質・地質に恵まれた地域で、地価から汲み上げる仕込み水は口にすると柔らく、瑞々しいあじわいがたのしめます。

 複合汚染が社会問題となった昭和40年代には、環境保全や、ひいては酒文化の復権の考えから純米酒「自然郷」を発表。篤農家との関係を深めながら米作りに精力を傾け、現在は契約栽培や60aの自営田を社員による酒米作りに取り組んでいます。

 また昭和52年に日本の食文化たる酒・すなわち料理酒造りに着手。醸造から造られる100%安全な調味料・本格派料理酒として取り組んでいます。「玄人仕様」をモットーに醸造の可能性に挑戦し、日本の古き良き食文化を次世代へついで参ります
   (記事はネット通販業者のHPを転載させていただきました)

 

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大越健介さんがNHKニュースウォッチ9のキャスター

NHKニュースウォッチ9・キャスターは寺泊町出身。

検索数が多い日は何かがある(2015/1/22=1450件
同郷人、大越健介キャスター氏のお蔭で、東京寺泊会だよりは、年間を通して安定読者数を保持していた。


◆少しでも大越さんに関連した噂が出ると、これまた過去60万を誇る検索数が、超がつくほど増加する。
◆当初は、寺泊会が直接取材したわけ訳でないので、真偽は不明だったが、今春の人事で「
大越氏、2015年3月でニュースウォッチキャスター交代・⁉」と、週刊誌、タブロイド夕刊紙に出るや
またまた、沸騰している。思えば同氏がキャスターとして登場したのは、2010年3月であった。それから5年後の2015年2月3日の同局による、人事異動で大越氏から河野憲治氏、井上あさひさんから鈴木奈穂子さん、スポーツ担当には広瀬さんが佐々木彩さんへと、バトンタッチすると発表があったので、噂は本当だった。
◆公式発表前に情報を流す者がいて、僅か一部のメディアがこれを買い記事にするとは、恐ろしい世界である。お蔭で検索数の激増に貢献してくれた。午前0時に始まり午後11時までの中で、何千とアクセスが来るのだから感謝するしかない。正に寺泊会だより検索ワード貢献大使さんとして、4月大会で感謝状を出したくなる感がする。
◆正直なところ、大越さんがこれほど有名な人気キャスターになるとは想像していなかったので、気楽な気持ちで渋谷のNHK放送センターへ行き、寺泊同郷人ですがと勇気を出してインタビューしたのが幸した。

例によって、読者層は同氏の名前でウィキペデアから入り、脚中に本人のプロフィール情報の一部出典が、東京寺泊会だよりと記載されているので、多くの読者さんが、改めて、東京寺泊会だより迄辿っている様子なので、過去記事をアーカイブすると

 5月の大安日・22日に、寺泊会の顧問、外山さんが名誉宮司を務める、明治神宮で挙式を執り行うとはいえ、結婚披露宴延期の青山祐子アナと、日本放送協会始まって以来の、名キャスターコンビとして話題沸騰させた1年間であったが、お二人での競演は4月2日にフィナーレを迎えた。しかしながら、国難が襲う憂うべき世相で、代わりにご登場の新人女性キャスター、知的で聡明さが目立つも、毎日難しいテーマの報道に、笑顔での受け応えどころではなかったが、それは編集長の好みの問題だよなどと、弥彦会の会員様に言われながらも、NC9は5月23日に新装する噂がある。
 確かに背景は、手書きのアナログ型に親しみやすく改装された。スポーツキャスターとメインキャスターのデスクの距離も近くなり、発信者一体型となるように工夫され、気軽感もある。
お天気キャスター・大変身」の巻
何といっても、その横顔は、有り余る長い御髪のため、横顔を映すと、「頬」が見えないのは、子供の頃から怖かった、髪の長〜い「幽霊」を想像し、この場面になると、画面を見なかった事が懐かしい。やがて、無造作に後ろに束ねたかと思ったら、新装の5月23日では大変身の、お天気キャスターさん、これで、毎日安心して観ることができる。その横顔は、品の良い、小さくとがった顎が理知的で、ヘアーメークさんも仕事のやりがいがあるだろう。ファッションもスタジオでは、目立つ存在となった。夜7時30分登場で、絶大な人気が有った、お天気ねえさんも交代した現在、新しいファンが増えること間違いなしであろう。こんな雰囲気を創り上げる、寺泊出身のメインキャスターのアイデアと英知とは。

大越健介さんに特別インタビュー       
◇NHK夜9時から始まる「ニュースウォッチ9」の 評判は、
すこぶる良いまま継続中。
中でもキャスターをしている大越健介氏/169cm、49歳・体重は非公開(2010/12/22、同番組の大腸がん検査推奨のコーナーより)の 気取らない雰囲気に人気が集中している。

そして2011年4月2日(土)、通常は放映のなかった土曜であるが、東日本大震災発生以来、特別枠で、毎回大越氏と被災地、原発事故問題などを伝えていた。この日でスポーツアナから数えて8年に渡る、毎晩、9時台のキャスターを卒業した。
3か月前の番組中に、自身の結婚をコミットメントするような、オーダーで、大越氏が仕込んだ構成に、全国で多少の!!もあったが、大震災・原発事故と壊滅状態の日本を報じていた職務上、3月27日()に予定していた披露宴をキャンセル、多くの招待客も納得の延期であろう。挙式は1年以上も経った、2012年10月吉日、明治神宮で執り行われた。
4月4日からは、同局の昼時間1時05分からの登場となる。大越キャスターは夜番組を継続するので、夜9時のお顔としてお会いできる。新スタッフによる番組進行も楽しみである。

一説によると、青山さんの瞬間出演もあり、とのうわさが,囁かれている。ニュースウォッチ9の女性キャスターをこなせるコンピテンスを持ち、大越氏と組み、つぶやきギャグを受けとめてくれる、知的な姐御を、同局内で育てあげるのは、易しいことではないであろう。彼女にしてみれば、夜の番組終了後の、クールダウン時間が無くなり、ほっとされておられるに違いない。これからは別のメンバーと、居酒屋に顔を出すことになろうが。

実際、毎日拝見していても、ブラウン管での 女性キャスター・青山裕子さんが10年遅く入局した後輩ながら 体力・知力備えた賢明な、お姉様として60分間弟をかばいつつ隣に座っている風にも見え,安心感がある。
その検証には、8月第3週のように、青山さんが夏休みの期間中は、このシーンは当てはまらなかった。

その青山祐子さん(37)が、結婚報道されるや、この日から寺泊会のサイトの検索数がブレークした。平均200件くらいだった訪問者は、どこでかぎつけてくれたか責任重大である。
懐かしい1月の思い出であった。

大越さんは大きくつぶやいた。「仮にのお話ですが、もし青山さん〔番組では彼女をこう呼んでいる)が結婚されるとしたら、お仕事はどうされますますか・・」
「私は結婚しても今の仕事は、絶対必ず続けます」
「婚活には、女性の立場として、相手を十分知ることが必要ですね・・」
ここで大越さんの名言が飛び出す。
「説得力あるおことば、ですね・・」こんなやりとりが交差するNHK夜9時のスター番組が、ますます人気上昇へとつながって行く。これに伴って寺泊会という、都会で運営する、いなか通信サイトも、うなぎ登りでヒットしているのではないかと、分析した。これでは制作に手が抜けない。
当編集部も他のサイトを「せきまき」するようにならなければ。
この一部始終を知る、2011年1月20日のNC9ウォッチングファンは、おやっと思ったに違いない。大越さんは優しく笑顔で「せっけん」ですよとつぶやいた。実は原稿の最下段に「席」そして改行した次ページトップに「捲」となっていた。しかも用紙は2枚に跨っていた・・と推測する。

                          ●    ●

入局以来政治部で仕事をし、優秀な取材では定評があり同期入社だった 民主党・安住淳衆議院議員は、 「あらゆる事に、ずば抜けた才能を持ち合わせていた逸材」と 評価している。但し、これは週刊誌ネタなので、安住淳氏に直接伺おうと思って、秘書経由でインタビューお願いを出してから、だいぶ時が経ったもまだ実現してないが。二人のエピソードはネタになるのに。


「つぶやくような おじさんのささやき」こそキャスターの魅力
こんな基本条件を兼ね備えた大越健介氏。
ニュースオーダーが変わるたびに、ささやく本番中の小さなつぶやき。
 大学野球の神宮球場のニュースでは
「僕もここでホームランを打った事があるんですよ」
 高校野球で甲子園の話になると
「僕の新潟(高校)は、まだ一回も出たことがないんですよ」
石川遼が全英オープンのラフで苦戦していると
「僕がこのホール代りましょうかね」
賞金の高い試合が,目白押しの、2010年11月のPGAトーナメントでは
「高額賞金を目の前にして、よく繊細なプレーができるものですね。私なんか△※□・・・」。

などなど、時にはおやじギャグになってしまうこともある こうなると、青山キャスターは、 聞こえなかった事にしてさっさと次のニュースへと話題を変えてしまい、「しょうがないわねえ、この子は」とでも言いたげになる。

 多くの大越健介ファンは、彼が女性キャスターの方に体位を開いて、 少し首を右に廻しながら両目を右側にまとめて何気なくつぶやく姿と その言葉こそ最大の魅力と受け止めているようである。
 
だが、9月3日の番組では、2日前の菅首相に続いて、小沢一郎氏をスタジオに招き、政治部の記者時代から身に付けた、適切な質問を投げかけ、相手に語らせる手法も素晴らしいものがあった。2010年の政権交代劇は、同番組を再生することは不可能なため、日テレニュース24のフリー動画で再生しながら検証するとわかり易い。
さて代表選はこんな意気込みでスタートしたが,これから3か月位過ぎた、2010年の12月頃再生すると一興あり。年の瀬の、5幕9場「日本の新政権誕生記録」を観賞されたい。
 

民主党代表選、菅直人代表が再選
この1日あと、菅体制はこんな顔ぶれで登場した.

新政権の笑顔もここまでか。この日の夜、ニュースウォッチ9の大越キャスターは2年先輩の政治部・部長とスタジオで解説。 
菅改造内閣が発足「脱小沢路線」さらに強化
こうやって新内閣が誕生するも、世間には想像を超える幾多の政治問題、事件が発生し
菅政権に対する野党の追及は、止まることなく強まっている。予算委員会での野党中堅議員が発する、テレビを意識したような、発言姿も気になる。
勝ち誇るように付け込み、「責任をとって、おやめになりますか」と詰める、野党幹事長や、質問する若手議員による、相手の弱点を手玉に取る、いじめにも似た例の追及姿勢である。
寺泊会と親しい分水会の大先輩のように将来を見越した視点の論戦ができないものかと、ついつい、気をもんでしまう。だが現閣僚の資質に問題がないとは全くいえないが。

中でも、尖閣諸島漁船衝突の映像流出事件は、報道姿勢が難しい。
 
“漁船衝突映像”事件2、3日後の編集分か 政権変われど,千両役者のように失言閣僚が、日本中に話題を提供してくれる。
その当人が法務大臣だったら、21世紀中この演目は、メデアが繰り返し、記事・映像で使用するであろう
国会答弁はこれに類似するものは、現野党が昭和の時代から、
多数占めていたのに。といいつつも新政権2ヶ月で苦悩する、現・首相である。

柳田氏の法相辞任 政権にも大きなダメージ 

その後の政権で流行った言葉がある。それが「問責決議案」である。後世の参考にはこの動画が役に立つであろう。それにしてもメディアさんは編集がお上手である。豊富な映像をお持ちだから、かなわない。
 
政治家のみなさん、自覚ありますか〜? 
              ▼今や懐かしい古新聞の見出し

<
2010年の言葉「問説決議」と言えば2年前の08年6月を想い出す このようにして民主党は内閣を攻め、不信任をし、当時の首相に対し「政治的コンピテンスナシ」と決め付け、失格させ早期解散総選挙を要求していた。時の先鋒だった人物が、今日、平成22年12月26日(日)、現・野党の自・公により問責を要求されようとしているが。
福田首相問責決議、参院で可決
 ■011年2月17日反乱協奏曲誕生

 
小沢系“反乱”菅政権の今後は 記者が解説
そして4ヶ月後の結末は退陣行進曲へ
 
期限区切った形での大連立を〜岡田幹事長
梅雨明けの節電時代突入も7月10日は、諸事情有りでこうなった

発足以来最低 菅内閣支持率16.1%

その3年後となる2014年12月の選挙結果は、時代の移り変わりを感じさせざるを得まい

コピー元・日テレNEWS24

 

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大越さんの魅力は「パートナーへ本心で発する、こころ遣い」

政治関連報道は、どの局も焦点が画一されているので、ここで寛ぐ画面を求めるのは無理であるが。

かつて、青山キャスター現役の頃、長野への出張レポ^ートが懐かしい。彼女の小澤征爾についての取材に対して、感想を「良いインタビー経験をしましたね」・・思いやりのある、つぶやきは、深みのある語りかけであった。
前日のソニーのウォークマンがアップル社i-pod製品の販売台数でシェアを抜いたニュースには, 「自分のようなオッサンには・・」とこの方ならではの、アナログ人としてのお言葉を発
せられた。
いつも「さらっと発するつぶやき」。 これを期待しながら、今か今かと番組を見ていると1時間はすぐ終わってしまう
「夜の9時と言えば皆さんが家庭で寛ぎの時間帯ですから、肩が凝らないようにニュースをお届けしております」とインタビューで語ってくれた、番組の編集制作責任者としてのコンセプトが、いつも生きている。
2010/9.11早朝の寺泊海岸

東京で新潟県出身ですと言うと、すぐ、雪が多いんでしょうと十日町や湯沢あたりを想像されてしまうが、長岡市寺泊では雪は少ない、その代わり冬場に吹き荒れる強風は半端でない。200年前にはこの道路はなかったが、さすがの良寛もこの強風下では、どこかの庵で過ごしていたに違いない。
雪の寺泊。この風景が何日も続く事はない。魚のアメ横通りあたり、左側の大駐車場には珍しく、車が1台もいない。・・・2010年2月6日観光協会ライブカメラより・・・真冬の海は正に鳥羽一郎の演歌の世界、波しぶきと かもめ飛び交う海景色。これが見たさに冬の寺泊を訪れ、カニの宿に泊り、きんぱちの湯につかったあとの一杯が、たまらんらしい。


雪より怖いのは強風である{11月9日の日本テレビより・ニュース画像コピー)

風速も30メートル近くなるとニュースになる。実際11月8日に吹き荒れた日本海列島強風は全国ニュースとなった。寺泊がニュースになるのは魚のアメ横関連か、夏の水難事故、そして大型台風並みの強風が来襲する時である。事故さえなければ日本海浪の巨大うねりと 岩に砕ける波しぶきの眺めも、絶品一興である。天然の音響はアンプを介してスピーカーから出るロックバンド音の比ではない。但しアリーナを満杯にする程の観客はいない。これは地元人でないと味わえない。これを知った旅人だけが、この時期に寺泊の宿を予約する。それにしても、この風速計はどこにあるのだろう。
 北日本などを中心に暴風 山形は風速28m 

寺泊に帰るのが楽しみだった

春夏秋冬、寺泊は生きているが、大越健介さんは3歳ころまで旧寺泊町(4区・蔵場町)で過ごし その後は県の職員をしていた父の転勤で 県庁所在地の新潟へと移ったが、夏休みや冬休みの度に祖母が住む 好きなふるさとである寺泊に帰っていた。
 父の菩提寺は、東京寺泊会発祥の祖・聖徳寺さんである。
「昭和36年に生まれた私は、寺泊の風土で育ったので特別な意識をしないでも、てらどまり、が故郷と思っています」。

水平線が長い2010年9月11日、土曜日のライブカメラで見た寺泊港の朝は素晴らしい。そして、夕方になると佐渡に沈む日本海の太陽、こんな,郷里が大好きだったのだろう。
    ▽2011年1月9日()雪が薄化粧をしてくれた。朝の強風も収まり良き眺めなり。




同じアングルでも寺泊の晴天は女心の如くで長続きしない。東京から富士山が見えるような晴天の朝の、日本海側は概して荒れた日が多い。2010年12月27日の寺泊の朝。波高しで風強し且つ寒い。これが寺泊の魅力なんだと気がつくのは、土地を離れてからだろう。額に飾られた寺泊在住の画家橋本直行氏が描く200号の油彩なら、鉛色の天は大作で銀座の画廊に飾れば、200万円の値があるのだが。
この色で、松本清張は人々の心をイメージして、昭和時代を見つめて多くの作品を残した。
地元で生活している人にとっては、忍耐のいる瞬間である。

2011年1月25日火曜日・早朝6時過ぎの寺泊港。雪も止み、夜明けの地平線が、また見ものだ。
旅行すればこれに波の音が聞こえ、シーンを盛り上げてくれる。「そうだ、寺泊へ行こう」。

 
荒れても必ず収まる日本海、絵のような真っ赤に染まるシーンの前には、これまたロマンチックな凪の海面で、これから水平線に沈むからねと、囁く太陽と岩辺にささやく静かな波の音を楽しむことが出来る。夕方の寺泊は何度もお色直しをしてくれる。良寛禅師も、その妹の「むら」、古くは順徳上皇から日蓮上人、水上勉も大越健介もみんなこの地に惚れてしまう。熱視線が恥ずかしくて、水平線は、だから真っ赤に頬を染めたのか。
 
 
夕陽に染まる日本海もこんな瞬間を経験しているからこそ、心から癒されるのである。夕方5時には、「東京寺泊会生みの親」、古刹・聖徳寺の鐘の音が。ゴ〜ンとなる。夕日が沈んだ先は佐渡島。流刑罪で波待ちをしていた間に「塩たき節が誕生。
次頁の、塩たき節ものがたりは、長岡市の指定民俗芸能に登録されている。寺泊ファン必見の舞踊である。音程が高く、一曲唄うと、もう2度と唄いたくなくなる、といいながらも、挑戦しておられる継承団体が保存している。



ふるさと新潟そして・・・新潟
ご自分のふるさとや新潟に対しては、常時、こころに深く抱いておられ、話題がここに連結する、例えば9月10日に放映された、最新の東京・銀座の様子の取材ニュース直後の感想では、久しぶりの直接単語が使われた。
「全国どこでも銀座と呼称されている所はたくさんありますね。私が住んでいた新潟にも西堀銀座がありましたが・・・青山さんの方は○x□※。。」と、隣に向けた。出身地の広島をめったに前面に出さない女性アンカーには、このつぶやきは、大きく発展しなかったが、2か月以上前の高校野球関連のニュースで、はさんだ「私の所の新潟高校ではまだ甲子園には、・・・」以来のお言葉であった。  
 
   
佐渡高校選抜出場
   
さて、年は変わって2011年・春の選抜高校野球大会に、21世紀枠として新潟県立佐渡高校が選ばれた。
 NC9ではきっと話題にするだろうと、期待していると案の定、スタジオ皆で、大越さん良かったですねえと笑顔が浮かぶ。
今では新潟ニイガタとアラフォーの言葉に、青山さんも一柳スポーツキャスターもすごく敏感に飼育されておられる。この雰囲気で、この言葉がでるとスタジオは大盛り上が りになる。
(  新潟高校時代に)3時間かけて佐渡(高校 )のグランドへ練習試合に行ったんですと
述懐する大越氏は、アナログ派だけに、スマートフォンのニュースの後に、新潟情報を発信するチャンス到来の2011年1月28日(金)となった。

              ●    ●


兄が私を野球の道へ導いてくれました
兄とは時間さえあれば二人でキャッチボールをしていました。 野球に夢中になる事の、面白さを教えてくれたのです。小学校へ入ると少年野球チームに入り、中学校・高校と野球部でした。 兄と同じ新潟高校に入学した頃には、彼は医師になる事を、考えていたようでした。

 3歳年上のお兄さんとなる大越章吾さん(現・新潟大学・医歯学総合病院第3内科・准教授)は、新大(医)を卒業後は、大学院を経て、東京の国立ガンセンターで、肝炎ウイルスの研究をされ、1990年・医学博士となる。癌研有明病院でも、論文は生きているはずである。(写真は、癌研有明病院の5階テラスで撮影)

正に誇りとすべき 寺泊出身者のひとりでもある。 各地で開催される肝炎に関する講演会にも出演し、パネリストとして 時折、講演や解説をしている。
 

東大野球部時代
 東大野球部時代は、投手としてサイドスローの投球を貫き 神宮で50試合に出場して8勝の実績を残したエースだった。 東大出身の投手には1960年岡村甫氏(前高知工大・学長)が 記録を作った、71試合で17勝した記録があるが、歴代5位となる 大越氏の記録も優れたものである。 入学した年1981年は早慶から勝ち点をあげて 赤門旋風とメディアで話題になり、東大最強時代を造り上げた。 ここの大学のチームなら 1試合9イニング最後まで投げれる確率は一番多いだろう、 との東大野球部入部の動機は、見事に的中した。
サイドスローの話はエースだった大越氏を知る者の常識であるが
今年の神奈川県大会決勝線で横浜高校に勝った、プロ野球の各球団が1位指名を狙っている、東海大相模の 一二三投手も同じフォームである。
八月一日に番組中で この投球フォームのニュースが流された際
大越さんもきっとこの事に 触れるに違いないと期待して番組を拝見していると
案の定
「僕の投球も最初はオーバースローだったたんですがと途中からサイドに変えたんですよ」 と、
大きくささやくと、隣の青山キャスターも身を乗り出し 「まあ、そうだったんですか」と、このささやきは盛り上がった。
  この直後の「オーバースローからサイドに変えて勝ち進むのは大変なんです」と
自分を振り返ったつぶやきは、大きくは話題にしてもらえなかったが。ところが、このつぶやきは、平成22年夏、第92回全国高校野球選手権の、一二三投手物語へとつながって行く。


▼▼[一二三投手のサイドスロー物語]2010年8月20日ニッポン放送。高嶋ひでたけ「朝ラジ」の番組より、高嶋さん朗読の「スポーツ人間模様を東京寺泊会だよりが脚色公開。 

2010年春、巨人の原辰徳監督は、遠征先の宿舎で一本の電話を受け取った。親父に母校の監督になれと指名され、東海大相模の監督をしている、後輩の門馬敬治からだった。
この年の選抜大会・初戦で敗退した直後、一二三投手が投球フォームを変えたいと言ってるが・・・との相談であった。夏の甲子園出場に向けて、チーム一丸となっていた5月、オーバースローのフォームが定まらなく、練習試合で結果が出せない、すべては自分の責任だと、一二三はひとりで悩んでいたのだった。一二三がサイドスロー投球法に気が付き、閃いたのはそんなときであった。

▼▼続く●●●
                     


今夏の甲子園大会の報道が楽しい 。3回戦を勝ち抜いて、快進撃を続ける新潟明訓高校・4番の柄沢君が寺泊出身であることに加え、ニュースウォッチ9にも、何かある度に面白いことが起きそうである。大越さんご自身の長男も日大三高当時、甲子園経験者である。話題は尽きない。

キャスターの大越健介氏は東大3年の1983年に、日米大学野球選手権に出場している。
 この年の東大の春秋の6大学野球の成績は5位であったが、リーグを代表する選手として 国立大からは、初めての抜擢であった。

記者・・出場されたご感想はいかがですか
大越・・僕はこれで「NIIGATA」「TOKYO」「JAPAN」とすべてトップのユニフォームを経験しました。(同氏のブログより

 同時期に6大学野球で活躍しプロ野球選手の道を選んだ選手には 小早川毅彦(PL学園・法政・ドラフト2位広島)、  広沢克巳(栃木・小山高校・明大・ドラフト1位ヤクルト)、 木戸克彦(PL学園・法政・ドラフト1位阪神)などがいた。
彼らは大学野球界でトップレベルにいたアスリートである。
これと同等で称されるコンピテンスを持って、東大野球部に在籍しておられたのが、寺泊生まれの大越健介氏であった。


▼▼
さて門馬の話を聞いて「身体が憶え、完成までに10年はかかる。今年の夏に優勝を狙うんだったら、そんな無茶な事やらすな」と原は反対した。
門馬は、一二三の筋トレを自分の目で見ていた。ペットボトルに水を満たし、2キロ近い負荷をかけて一日3000回も、横手に振りぬくトレーニングをしていたのである。門馬は原先輩には、報告だけにとどめ、フォーム改革を容認せざるを得なかった。

その一二三はサイドスローに変更した夏の2010年8月20日、甲子園において準決勝で、成田高校を相手に9個の四死球を与え、14安打を浴びながらも完投勝利し、40年ぶりに東海大相模の決勝戦進出を果たした。
大越さんのつぶやきが楽しみである。昨日19日は青山キャスターが休暇中で、掛け合い漫才こそなかったが、高校野球から目を離さない氏が、隣の女性スポーツキャスターに「野球仲間と話してたんですけど、ここまで来ると、球児の力の差はなく、皆が横一線ですね」とコメントしていたが、高校野球を語り合える「野球仲間」とはどなたであろうか。県高・新潟高校の野球部仲間か。まさか東大ではあるまい。
これはご自身の3人の野球好きな息子さんたちに違いないと、勝手に解釈してしまった。
女性キャスターに語りかけた、サイドスローにおける大越さんのつぶやきこそ、日本で最も、横手投げ投法を実践し勝利する難しさを知った男、の言葉であろう。

▼▼

決勝戦でもこの投球スタイルを崩さず、門馬敬治も一二三投手を信頼し、想像を超える多量の点差がついていても、限界まで先発投手を変えなかった。試合終了後に、一二三慎太は甲子園のグラウンドで、興南のアルプススタンドから沸き起こる指笛と嬌声を聴きながら、僕は今のフォームに自信があった、だが「プロに入っても通用するかなあ」小さくつぶやいて、あこがれのグラウンドを後にした。その彼が日本のプロ野球入りの志望届を出したのは2010年10月13日のことであった。
自身の出身地である関西の球団にでも入れば、この記事の続きを書くだけであと10年は持つだろう・・・・・・・・・・・ ・・
一二三投手物語の項は、ひとまず、おわり。敬称略。・・・ ・・・◆

運命のドラフト会議は、2010年10月28日(木)今春東京新潟県人会新年祝賀会の会場と同じ、グランドプリンス新高輪・飛天で開催された。ここのステージには1月に芸能大会で司会として上がったが、スピーカーが天井でもホール後方席の音量は、会場を包むように聞こえ、気持ちがいい。クリスマスシーズンには、加山雄三や、著名アーティストのディナーショーで満席になる。

早大のスター投手に1位指名で、交渉権を持つ球団が決まるや、関係者は満塁打を放ったような嬌声を上げた。
この日の大越氏の番組は開始早々から1/2を占める,約30分を、ドラフト関連のニュースに費やした。「6大学野球に関わっていた自分としても・・・」思い入れが深いのであろう、・・と切り出し、プロとして巣立って行く前途ある若者に、熱いエールを送った。

そのスター投手こと、早大・斎藤ー大石はドラフトでも、スター扱いであったが、2010年秋季リーグ戦では10月2日第4週1回戦で両エースが登場するも、4−2で珍しく東京大学に敗戦していた。東大は6大学野球に於いてリーグ戦35連敗中であったが勝利の記念大会となった


日、神宮の応援席で観戦していた東大の学生数は、早大より64人少ない258人(東京大学野球部HPより
であったが、2戦3戦と逸したせいか、OBキャスターさんは、当時、この話題につぶやかなかった。ただニュースウォッチ9番組でのドラフト関連放送中のネット検索は一斉に、この寺泊会だよりのページに飛んできたがその目的は判らない。(ページ下段に検証エビデンスのグラフあり)

つぶやきには、野球関連が圧倒的に多い、2010年10月11日、体育の日の話題では40歳代の体力がテーマとなり、この年齢層は、使わないと坂から転げ落ちるように筋力が衰える話に飛んだ。
「この前久しぶりに草野球しまして」と切り出し、フライが飛んできたのでボールの落下地点まで走り込んでキャッチしようとしたら、なんとボールは2メートル位後ろに落下したのでした
「あの頃の俺は、一体どこへ行ってしまったのだ」とかつてを反省し懐かしむ。
久しぶりに女性キャスターが「野球のエースだったあなたは、まだ40代でしょうが」と話に乗って来た
 


すかさず 「青山さんも間もなく同じ40代にどっぷり入るはずですよ,※x◇・・・」と49歳の大越氏との掛け合いが始まった。
これこそテレビ桟敷で、待ってましたと叫んでしまいたくなる。民放なら草野球シーンを放映したに違いない。
     
主婦の勘は当たる

青山さん結婚するんじゃない。だって去年の暮れ頃から、「お顔がずっと輝いているんですもの」。
結婚するのかしら。「女って結婚の決意をした時が、人生で一美しくなるものよ」。毎日欠かさず、この番組を見続けている女性視聴者たちのこんな話題が、耳に入ってきたのは、寺泊会だよりに、彼女の写真を掲載してからであった。
責任感強く負けん気の彼女の目は、画面からは、かつては女刑事の眼であったが、平成23年は、天使のような優しい瞳にかわっていた。それでいて、大越さんの言葉を包み込んで、番組のオーダーを進行させている。こんな感想をもってすごしていた2011年1月17日の早朝、ニッポン放送、高嶋ひでたけさんの番組で青山さんが1歳年下で、37歳・会社役員の男性と結婚される(スポーツ紙の紹介で)ニュースを発表したのであった。この手合いの話題はメディア発表の前に、ここで書いておけばと、歯軋りする、我が編集局の朝となった。だが、この日の当サイトは、24時間中、約90秒に一回の訪問者で、あふれる、ありがたい結果を残してくれた。
かくして主婦層の眼力は近頃の彼女の変貌を、すばやく見事に見抜いていた。こんなパワーを持つ主婦層だから、サラりーマンのおじさんたちが会社から帰宅後、かわいい嘘をついて、奥さんから小遣いをだまし取ろうとすると、顔に現れ、すぐにばれてしまうのである。

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年齢の話題にはキャスター同士の反応が速い。
大相撲11月場所9日目、場所が地元の魁皇・1972年生まれながら、いつものように連敗もせず、すこぶる元気いい。優勝戦線参加中の8連勝、今場所はまだ一敗しかしていない。もしかして優勝するかも。
スポーツアナが、この年齢でよく頑張っていますよねと持ちかけると、
女性キャスターは、「38歳頑張れ」ですねと反応。
大越キャスター・「妙に強調しますね。(青山さんも)お同い年ですものね」。「ええ、私も、まあ、つい。△※○x」。 このひと月あととなる、12月27日に米国の大学在学当時、アメフトをやっていた屈強の体格を持つ、男性のプロポーズにOKをだす、彼女の誕生日であった。38歳へのエールは自身へのお言葉だったに違いない。
さて、結婚報道がメディアに周知されて、最初となるニュースウォッチ9は、2011年1月17日の夜9時である。大越氏の第一声はどんなおことばであるかが、これまた興味深い。きれいな白い歯を、一層大きく開けての御祝言になるであろう。サッカーアジアカップ第3戦直前のハイライトに、目を離す話ことが出来ない。民放のように、ワイワイとした場面は抑えるに違いないが。(午後3時記)。

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仕事をするなら新しい世界にチャレンジしよう

大学4年の頃、自分にも、当時社会人野球トップの球団から強烈なオファーがあった。だが、 大学を卒業した後は、これまでと全く異なる世界を覗いてみようと、 マスコミ・報道関係の仕事を選び日本放送協会(NHK)に入社した。
 
東京寺泊会からのアプローチ
NHK入局直後の昭和60年から約4年間は地方局に勤務していたが その後中央に戻り、政治部記者として橋本龍太郎元総理の番記者や 自民党派閥の経世会担当として時折テレビで取材報告をする。 また、解説や選挙報道の番組に顔を出すようになると 東京寺泊会の懇親会があるたびに、 会の中では、大越さんの話題が飛び出し始める



「大越さんがNHKのアナウンサーになられたそうな」、 などと勝手な解釈で納得して、 来賓として東京寺泊会に来賓招待したらとか 講演会を企画せよと、寺泊会の役員に話が飛んでくる しかし、平成17年には、ワシントン支局勤務を知ると こんなに遠方では、とあきらめたが、帰国のニュースでその声再燃。 取材地・NHK放送センター(渋谷)
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100周年記念誌刊行間近

                      
     百周年記念誌発刊記念特集■

あれから4年近く経過したが、記念誌に関連する、東京寺泊会だよりのネット検索数は衰えず。そこで懐かしい記事を再登場させて検証すると・・・。


ほとんどその存在が目立たなかったが、寺泊会と総務委員会を代表して100記念誌編集委員をしていた頃の記事である。公式に発行されている新潟懸人会誌も未取材の、発刊関係者たちのアプローチとフォトを探る物語とは。

2010年9月に新潟市内の朱鷺メッセで挙行された一大イベントに続いて、今我々が県人会で取り組んでいる一大事業が「東京新潟県人会・創立100周年記念誌」の発行である。25名による編集スタッフは毎月一回県人会館に集まり、編集会議を開いている。現在までに、90%程度完成にこぎつけた。会館の役員室に編集室を設け、日直当番制をとってもいる熱心さである。2010年12月2日の編集会議には印刷業者も参加し、カバーサンプルを提示。総ページで240頁にもなる美装本はハードカバーで上質コート紙を使って、一冊2000円で15000部、発行される予定である。
表紙候補のひとつとして紹介された装丁がこれであるが、現在何種類かを見本試作し検討中今年の新年会のイベントで佐渡出身の鍛金工芸家・宮田亮平氏(現・東京藝術大学学長。)の書.
「光」なる文字だと、即判った人は少なかったが。
この表紙のコンセプト「白」が放つ純粋さ、既存の記念誌の持つ「権威的 方向」ではない斬新さを芸大学長の「光の書」をシンボリックに中央に配置。「削ぎ落とすインパクトをコンセプトに装丁しましたと表紙デザイナーは説明。
この文字を表現するため、学長自身が巨大な墨壷を制作した。ここに墨汁をたっぷりと満たし、見事な芸術文字「光」を書くパフォーマンスで、品川にある、グランドプリンス新高輪の大宴会場・飛天に集
う1000人を超える参会者を魅了したのであった。
一升瓶がミニチュアに見える「スミツボ」。


今でこそ、この「スミツボ」の意味が判るが、今年の新年祝賀大会で司会をしていた際に、ステー−ジの袖にいた芸大の学生らしき若者に、いきなり、墨壷を紹介してくれといわれ、「ス・ミ・ツ・ボ, what?」状態になってしまった。
 頭の中は黒い墨のツボのイメージで、どこを見廻しても無い。 まさかこんなピカピカ状態の芸術品とは知らず、どこにあるんだいと慌てて探す始末。それでも何とか「先ほど宮田先生が,ご使用された、特大筆用の墨汁が入っておりました「スミ・ツボ」でございます、と紹介し、更に「中にある氷で冷やしてございます、越後の銘酒を、お飲みになれば、100年長生きしますよ」 と、とっさに思いついたことをマイクで呼びかけた。このとっさのアナウンスメントで会場が一瞬ざわめいた。
幸いにもこの、めでたい酒を飲みたいと、何人かの方がそばに来られ、飲んでくれたおかげで、和やかな雰囲気の中で進行することとなった。一升瓶がこんなに小さく見えるから、名匠品スミツボ、がいかに巨大作品であったかがわかる。
学長がキンコン・カンコンと叩いて制作された芸術作品、鍛金「墨の壷」であった。

賢者は権威あるも驕らずで、愉快かつ気さくな芸大学長、金工家・宮田亮平さん(写真左)は、昭和20年生まれ、とおっしゃるから、同じ越後出身で分水町生まれの著名な彫刻家・茂木弘行氏・とは、芸大で1年後輩となり、西蒲原・吉田出身の高名な画家・斎藤順正氏の2年先輩となる。)はスピーチも面白く、取材に詰め掛けたテレビ局や新聞記者にも気軽に応じておられた。佐渡出身の賢人はすばらしい。
■警視庁辣腕公安刑事を輩出した広神村や鹿瀬町などの出身者が編集委員として奮闘中。
町村合併で五泉、魚沼、阿賀などと名称変われど、新潟県内の広範な地から、郷里(ふるさと)へのラブレター感を抱きつつ、想い入れの深い、越後人が協力し合って各自のテーマを分担し合い、ボランティアで100周年記念誌の制作に携わっている


 印刷業者も熱心に記念誌の装丁を説明。こうやって今、東京新潟県会創立100周年記念誌の編集が急ピッチで進んでいる
   
100周年記念誌
2011年3月発刊
一冊2000円で予約受付中
   東京新潟県会事務局

問合せ03−3832−7619
編集委員は見本誌で手触り感覚をテスト。半端に妥協はしない。100周年記念誌の主な執筆内容



                   広告使用許諾・東京新潟県人会広報委員会

                    ●    ●      ●     ● それから、しばらく経過

 
お陰様で無事刊行いたしました

2011年4月8日、編集委員だけで、「100周年記念誌刊行記念納会」を、節電のあおりで、桜の木にお花見のあかりが灯らない、上野公園近くの中華料理店で開催した。
長期間のボランティア作業御苦労さまでしたと、互いに慰めあった。諸事、自粛ムードのなか、銘酒「久保田、寒梅」の差し入れと、珍酒「田中角栄」で、静かに納会を執り行った。
この日は、地方のテレビ局2社、新聞社1社が取材。
記念誌販促に一役買ってもらった。


■於 上野東天紅
■編集委員総数25人(欠席10名)
制作協力(株)第一印刷所

我々編集サイドの無理難題のわがままを、丁寧に聞いて下さった第一印刷所(本社・新潟市中央区)の若手営業マンも祝福にかけつけた
記念誌編集委員長・池田孝一郎氏(新潟市・巻出身)に新潟日報社報道部記者井川恭一氏が、見事な出来栄えに驚きながら、熱心に取材していた

編集・副委員長は2人、佐渡出身の菊池氏(左)と新井市出身の飯塚氏(右)、記者(中央)に各ページを説明。両氏とも善良なる70代。この方々の熱心なサポートが、予定期日までの発刊にこぎつけた。
我々は,ここでは、若い方だから、副委員長のさらにサポートか。
だが、仮に我々が70代後半になったとしたら、このおじさんたちのように、素晴らしいエネルギーを持つ自信がない。時間は余っても、視力・体力・集中力がついてこないであろう。
東京寺泊会も編集に携わり、大田新潟県人会、中之島新潟県人会、大森新潟県人会などの8団体を取材、「100歳万歳特集」では、面識のあった、104歳の安沢隆雄さんや関根五郎さんの記事を出稿したが、今後の課題は記念誌を、約150団体ある、県人会内部組織で、何冊領賦できるかである。
現在寺泊会は20冊(1冊2000円/・送料800円)を購入し、郷里の寺や希望者へ拝送済み。
3月末現在で、約1200冊が県人会全体で購入予約済みであるが、時間がかかりそう。
ご購入希望者は、東京新潟県人会事務局(台東区上野)へ、お申し込み下さい。
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入場大歓迎

 寺泊の杜氏さん10名が出演     「酒造唄」を披露
 
         
 新潟朱鷺メッセ公演  
         
           東京新潟県人会創立100周年記念大交流大会
           9月26日芸能大会2日目プログラム決定
司会 桑原政夫・橋本寛二
  ヤングキャベツ・中靜佑介
会場 新潟朱鷺メッセ・マリンホール
1 笑ってスタート・・お笑いコンビ「きぬがさ」  
           
2 「相撲甚句」・・・相撲甚句保存会  
3 「無法松の一生」・・大坂美喜社中    
4 「十二はしご」・・十二はしご保存会  
5 「妙高山賛歌」・・・妙高高原民謡愛好会  
           
6 「幸せはすぐそこに」・・伊藤章二(東京松の山会)
7 「千の風になって」・・・東京おけさ会  
8 「津軽三さがり」・・・おけさ船橋会  
9 「佐渡日記」・・・・佐渡小町会    
10 「米百俵」・・ ・東京関原会    
11 「心寿」・・・・東京おけさ会     
    唄 岩崎康一郎    
12 「琉球舞踊・四つ竹  鳩間節」・・・  
      沖縄より参加  
         
13 「越後路ひとり」・・・林 蔵之助    
14 「故郷酒」・・・・・本多光政    
15 「フラダンス」・・ホアビリフラ新潟校  
16 「愛の賛歌」・・渋谷文太郎    
  「ひばりの佐渡情話」・・渋谷文太郎  
17 酒造唄」寺泊酒造組合      
           
16 「フィナーレ輪踊り」 観客全員参加   
           
           
      大交流会の詳細    
       □  東京新潟県人会公式ホームページ 

朱鷺メッセ一階の物産展には寺泊からきんぱち・はまやき山源かまぼこが参加。

東京新潟県人会創立100周年記念大交流会は動員目標・4万人のところ、4万3000人が朱鷺メッセに来場した。
物産展の参加ブースも県内の観光地などから、合計125店が出展する大規模展となった。

                                         


          芸能大会点描

芸能大会は2日間かけて開催。県内の民謡団体や民俗芸能保存会などが演舞。
ワンステージでの登場人数の多さには、司会しながらも驚かされた。





寺泊酒造組合の高綱 強会長以下、越後を代表する野積杜氏さんが勢ぞろい。蔵元紹介のあと、酒造り唄を披露。銘酒「日本海」「景虎」などを造る杜氏さん全員が寺泊人。





    熟唱するシャンソン歌手・渋谷文太郎さん。
9月には銀座で3回のライブあり。

・・京都新潟県人会推薦
新潟市西区出身






              沖縄からも参加して琉球舞踊を披露。踊り手がステージから退いても、音声が消えるまで司会の声を入れないようにとの注文があった。守ったが、さすがプロ意識。
                                      
                                   新潟フラダンス校からも多数が参加。会場におられたハワイ新潟県人会のpalolo本願寺住職・西脇誠五郎」さん・・長岡市出身・・も拍手で迎えてくれた。まさか、ハワイの本願寺さんが越後人とはびっくり。
いつでもホノルルに遊びにいらっしゃいと言って下さったが、海の向こうとはいっても、寺泊から赤泊へ行くのとちょっと違い、いつになるやら・・。

ホノルルにあるpalolo本願寺外観・・・同寺のhpより


反省会にも多数集結

新潟の朱鷺メッセに参集していた、首都圏在住の東京新潟県人会員も大挙帰京し、東京・上野では10月5日に、大交流大会の慰労反省会が開催された。100人を超える大会関係者が集う

ここは東京新潟県人會館2偕大ホール会議場。
100年に一度の大交流大会の企画発案は主として、元気な七十代であった。大交流会を振り返り、話が尽きない首脳陣
来年もやれと言わんばかりに、万歳三唱でも血気盛んなメンバーたち。


所で気になる寄付金総額は,・・・県人会會館ロビーに張り出された寄付金者一覧、個人で100万円も出資されるのは、愛する越後の為かと、その思い入れにジーンとする。
海外勢に交じり、東京寺泊会も僅かながら協力


多くの郷人会がある中で、年会費フリーを貫く当会も、僅少ではあるが協力をした
ところで偶然にもお隣さんとなった50万円寄付された「ベルノ・リカール・ジャパン」は、どちら様かと会社の総務部さんに問い合わせると、あの有名なシーバスリーガルなどの洋酒を販売されている法人さんであった。商品群は同社のホームページで紹介されている
新潟県出身の社長さんが経営する、我が国の、著名な居酒屋チェーンさんにも卸しているに違いない。

ベルノリカールジャパンさんで扱っておられるお酒の一部。


10年9月現在での事業資金寄付金総額は、事務局発表によると、 約3894万円余りとか。ブラジル新潟県人会も積極参加。日本にいるよりは、越後愛郷心強しか。県外はもとより、海外に点在する多くの新潟県人会をつなぐ、連合組織の設立案をブラジルが提唱。

東京新潟県人会に登録されている41の県人会と152の郷人会組織一覧を見ても、毎年この数だけ懇親宴会が開かれているはずであり、驚嘆に値するが、地元への稲刈りツアーだの、芸能大会だのと、更には「聖僧・良寛に学ぶ会」/東京寺泊会は共催、などと、高尚な愛好会もあるが、いかに越後人は結束力の強い、マメな民俗かが判る。
この良寛に学ぶ会は10月9日に5回目となる勉強会を開催した。

タイトルは「良寛さんの書の観賞」である。講師の萬羽啓吾氏が自ら所蔵する軸を持参で
遺墨による書美の変遷を詳説。美術館や記念館ではガラス越しの観賞となるが、今日ここでは、肉眼でお目にかかれるとあって、愛好家たちは興奮気味であった。
これらが本物の良寛の書である。
萬羽氏は神田神保町の骨董商としての眼力で本物の見方を伝授。時折、紙質や筆使いから判定する贋作との見分け方も説明。
当日の勉強会を学術的に知りたい場合は、良寛の生まれ故郷・出雲崎出身者の集いで構成する「東京出雲崎会のホームページ」、同会の知識人、東條氏が制作する「第5回勉強会報告」を参照。それにつけても、このホームページを読んでいると出雲崎会さんには、良寛さんの書を研究され、知識豊富な方が本当に多くおられる。


ところで、100周年記念誌編集委員としてインタビューしていると、様々な 先輩方にお会いする機会があるから面白い。大森駅近くの商店街にあった「越後屋」なる豆腐屋さんもそのひとりである。今は近隣在住者で構成する、新潟県人会を仕切っているが、自身のビル一階のテナントにはチェーン店も多い、焼き鳥やさんが入っている。

かつて、都の豆腐屋と風呂屋は越後人で成り立っていたとの近世の史実がある。今になっては風呂屋も豆腐屋さんも姿を変え、そのオーナーの多くは80代前後の越後人であるが、ここの価値ある不動産を生かし、平成に入ってから、中層のビルやマンションに建て替えている。駅前の小型ビルも案外、越後人が持ち主だったりする。法人にしたり、納税額を1000万以内にしたりで、名前は公開されなくとも、都会においては高齢者に限れば、比較的余裕のある衆が多いのも、新潟県出身者の特徴であるが、このような視点でメディアが着眼する機会はないからトピックスにもならない。
さすがに丸の内や八重洲には,いないが、私鉄沿線駅周辺の小型マンションオーナーは、目立たないが、相続を気にする越後出身者が多数おられるのである。
これらの郷人会などの詳細をまとめた、東京新潟県人会創立100年周年記念誌を、同会が20人の編集委員を使い編纂中。2011年3月 2000円にて発売予定である。
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橋本直行2012そして2014年10月の個展・・東京・新橋

  
 
  ◆橋本直行油絵展
     open :2012年10月18(木)〜27(土)
 
        the place 東京・新橋=いつき美術画廊
                                      (JR新橋駅・レンガ通り徒歩8分)
最新NEWS速報
2014年10月23日(木)ー11月1日(日)
 ・・今年も、港区新橋で個展開催・・ 
 「橋本直行氏の在廊予定日」・・10/24/25 13.00-17.00


 
   
橋本直行氏を応援している高橋秀樹社長は、世の女性の味方、エステ業界専門の化粧品会社を経営する。業界では著名な経営者である。寺泊出身者がここでも活躍していた。
     
橋本直行氏(50)は、寺泊在住の画家である。郷里の海や雲と共生しながら、時折何千キロも遠く離れた八重山諸島で時間を費し、風を感じ充分な光を浴びては故郷に戻り、油彩画に変えている。写実味溢れるその精緻な作品は、眺めているだけで、作者の自然を取り込む感性を訴え続け、飽きることはない。橋本氏の個展開催は、かなり広範囲な依頼元からのオファーが絶えない。寺泊会と作品との初対面は、銀座並木通りから少し入った文芸春秋画廊で開催した個展であったが、月日の経過は早いものですでに10年が経過した。                           
◆寺泊会名誉顧問の外山勝志さん(明治神宮・宮司=当時)も橋本直行作品の熱烈なファンである。郷里寺泊の実家は4区にある。自ら大町にある橋本氏のアトリエに出向き、 好きな作品を求められたこともあった。明治神宮には橋本直行氏が奉納した傑作作品  「椿」がデーンと鎮座している。

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    海からの風1997(162x130)

寺泊・野積・分水の境界も景勝地である。 多くのブロガーが記事にし世に知らしめる。この作品は、分水河口近くの浜の風景で、浜で鮭あみを干す。外山宮司は、明治神宮に隣接する、明治記念館にこの絵を寄贈した。                                                     
一階のバンケットレストラン・羽衣に飾ってある。                                            

 
港からの快い潮風が漂う、クーラーのいらない寺泊のアトリエでは、夏の期間は短パンで過ごすことが多い。いつもお世話になっている、easelが3台あり下絵を支えながら自分たちの出番を待っている。
◆10月の個展に出展する約10点の作品(3〜20号)は、美術展覧会・個展情報の専門誌「月刊美術」10月号に掲載したガイダンスによると嬉しいことに                         
「越後長岡の冬景色から沖縄で遊ぶ山羊の姿まで」。とある。郷里寺泊近郊の風景を、たっぷりと油彩画で楽しませてくれるであろう。                                 
◆大地のおおらかさ存分に味わいたい・・とコメントしているように、変化する天空や自然現象をモチーフに、ダイナミックながらも、ゆったりと描いた作品たちが待機し、今回の個展も、多くの橋本直行ファンを喜ばせてくれることだろう。下絵が終わり画架に乗せたキャンパスは、色を重ねたり乾燥を待ったりで、作品の完成までに時間がかかる。                              

◆ここからが、選ばれた絵筆と、厳選された絵画材が仕事をこなす瞬間である。求める絵肌表現を出すためにも、彼らにいい仕事をしてもらうしかない。長年絵を描いていると、「同一メーカーの型番を購入しても、均質な画材が手に入れににくくなって来ました。」と橋本氏は語る。
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       ◆10月個展の出展作品案内◆
◆冬晴れ 国上山
   
 「この道は 例の路かと 良寛訊き」・・・ 寛風庵     
  ■良寛が晩年過した島崎の地へ降りるまでは、この国上山の庵で過ごした。国上寺をコクジョウジと呼び、国上の山をクガミと呼ぶからややこしい。                       
足腰は強靭であっても、老体の禅師は一人トボトボと、何度ここを登り降りし、昼夜歩いたのであろうか。この楓の木のおじいさんに聞いたら分るかもしれない。                   
冬場の輝く雪道を描いた油彩画からは、写真では撮り切れない柔らかさが伝わってくる。      
鑑賞意欲が湧いたら、個展会場で作家とゆっくり語りあいながら、味わうことも一興あり・・・・か。 
      
   ◆雪の浜
これはまた、冬場とはいえダイナミックな寺泊中央海水浴場の風情である。夏場は広大な砂浜に人が群がり、分水側から流れる土砂が堆積し、道路からははるか遠くになった海辺である。雪が雲と遊んでいるような、砂浜のイメージの冬景色も一興有。                     
       
  ◆赤坂山



■アカサカ山は寺泊町のほぼ真ん中あたりにある。山頂には山城跡があり、地元上田町居住者を中心に奉賛会を作って山上ルートを保護している。寺泊会会員の小学校時代には、遠足で山上を目指して1時間くらい歩かされたコースである。道は暗く、時折差し込む光を、絵にするとまさにこの通りで、見覚えのある木々が懐かしい。
■アカサカ(赤坂)というと、 上京当時、東京にも、赤坂という地名を発見したので親近感が湧き、   行って見たらビルだらけだった。放送局のビルもあったが、今では想像できない、打ちっぱなしの大きなゴルフ練習場もあった。ここの会員専用ロッカーにクラブを預け、仕事中に練習しに行ったのが懐かしいが、40年経てもゴルフは上達しなかった。


 
 
    ◆冬の浜辺 
    旧西蒲原郡にある作者が通った高校のある巻町の浜を描写したものである。

 
◆寺泊から近い蒲原平野も時折絵になる。日本で著名な、越後在住の多くの芸術家が蒲原平野の出身である。         
齊藤順生(絵画)、藤井克之(絵画)、茂木弘行(彫刻)、吉川花意(能面作家) の諸氏も東京寺泊会会員と、何らかのつながりを持っており、個展案内や作品展の招待状が舞い込む。
◆この絵は写真では判らないが、枯れた浜辺のすすきの穂先を一本一本丁寧に、1万本位、極細の絵筆で仕上げている。こうなると、角田の浜辺も味がある。油絵は筆を薄く走らすと乾燥したあと透明になり、これが絶妙な立体感を表わし、写実味が出てくる、と入門書に書いてあったが、    そのとおりであった。                                                             
大小2人の橋本が105萬円の作品を真ん中にして立つ。フサフサが、高名な画家で、ボウズアタマが環境・品質のコンサルタント、人生いろいろ、商売様々てか。共通点は、多くの良き顧客に恵まれ、西に東にと御座敷がかかり、多忙なところか。                      
 

画家を支える陰の主役として、いつも奥さまが傍におられる。実に微笑ましい光景である。
(出展画廊にて撮影)                            
                                                        
        ◆ (作品情報掲載は作家の許諾済)
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