越後の画家・藤井克之・斎藤順生・橋本直行さんを御紹介
✴藤井克之✴斎藤順生✴橋本直行 。 感性異なる才能に潜むエネルギー |
■寺泊町はその昔三島郡(サントウグン)にあった。三島郡寺泊は今や、長岡市の一部の寺泊、と変わり、サントウグンで頑張っているのは、聖僧・良寛、生誕の地、出雲崎くらいのものである。寺泊町とは、海続きのお隣さんである。
■西蒲原郡(ニシカンバラグン)、巻町も同じである。今は県都・新潟市の一部になってしまったが、かつては、西蒲原郡の中の町であった。ニシカンバラグンで頑張っているのは、神社・競輪・温泉街、と豊富なレシピを持つ弥彦村(ヤヒコムラ)だけになった。寺泊町と合併すると噂していたのは、もう大分前の物語になった。若作りの村長は、東京弥彦村人会(会長・掘 優)に毎年元気な顔を見せてくれる。
■郷里・西蒲原をこよなく愛す、新潟市巻在住の藤井克之氏から企画展開催の案内が届いた。東京・青山にある新潟のアンテナショップ新潟館ネスパスで、2012年3月23日(金)から26日(月)までの期間で開催する。高校の一教師だった当時、教え子の実家が、和紙の生産者だった事が縁で、ここまで著名な画家になったのである。
■インタビューしたのは、かなり前だが、映画で俳優が、鋭い眼で事件の本質を追う刑事のように、強靭で精悍なお顔のようだが、氏の墨採画を見るたびに、画材が和紙のせいか、心が安らぐ。
■西蒲原のハザ木は、南国人にとって、浜辺のヤシの樹的存在であるし、江戸ッ子にとっては、大川端のほとりに揺らぐ、柳のようでもある。藤井克之は、墨でしか用途のなかった、和紙に色を乗せ、墨採画(ボクサイガ)なる言葉を生んだ人物である。片岡鶴太郎とも、所謂、同業の縁で親交が有る。実は、聖地エルサレムにある神殿遺構「嘆きの壁」を、墨彩で制作した熱心なクリスチャンでもある。HP上では自らを聖書画家と紹介しておられる。
▼同じハザ木の絵でも、制作者の意図と優しさにより、表現する作品モチーフを異にする。
■蒲原のハザ木に思いを馳せる著名な越後の画家は、他にもおられる。吉田市在住の画家・斎藤順生である。
■ハザ木で童話を創り、絵本にした。老木は切られ、やがて燃やされる。見事なまでのハザ木に愛着を示し、創作し、絵に残したのである。
■東京新潟県人会には、首都圏えちご蒲原会(会長・池田孝一郎)があるくらい、旧・西蒲原地方出身者も多く、秋にはバスを仕立てて、「蒲原の稲刈り―ツアー」を企画しているが、募集すると即満員になってしまう。
■同じ越後人でも内陸部出身者は、稲刈りが好きなようである。同じ話を、海岸側に子供の頃、過ごした寺泊会の会員に投げかけても、誰一人と賛同する者はいない。おら、稲刈りなんかより、海上花火大会ツアーの方がいい・・。と、乗ってこない。
■一方で寺泊在住の画家・橋本直行は、寺泊人だけに、土壌の匂いより、汐風の匂い、特に沖縄・八重山をこよなく愛し、描き、これを業としている。銀座の個展では、号数が大きく見るからに大作の絵から順に売約済のラベルが貼られ、嫁入り先が決まって行く。個展の招待状をもらい、いざ出かけ、観賞し興奮しても、これを即、買えない無念さ。もっとも、あいにく、小宅では、かくも、でかい絵を飾るスペースは無いが。
橋本直行氏の描いたハザ木(上)
銀座の個展で人気を博した、八重山の原風景。
(掲載した絵の一部はいずれも、各氏のHPより)
▲、ご3人には取材協力して頂きありがとうございました