生きた夕陽を観ませんか
■魚のアメ横でのショッピングも終え、宅急便で頼んだ鮮魚たちが、関越自動車道で揺られながら、佐川急便と湯沢インターあたりを疾走している頃が、寺泊の夕陽作品として、いちばん見ごたえがあるのに、はるばる寺泊を訪れてき来たゲスト(世間のショ)たちはいつも、お帰りになってしまっている。太平洋沿岸では、決して味わうことのできない風景を見ずして、お帰りになるのは、本当にもったいない。たぶんユウヒとは真っ赤な太陽のオレンジかレッドだと思っておられるのに違いない。
■生きた夕陽だから、無くなるまでの短時間勝負である。旅館のコマーシャル写真のように一面の紅でなく、あくまでも紫に近い。関東では、江ノ島を東から見る夕日のごとく、富士山の借景を借りることなく、はたまた、西伊豆・土肥海岸から覗く、夕日とも違って、日本海の寺泊は富士の遠景がないからこそ、海と共存している夕陽が最高である。すなわち海を見るか、空を見るかのどちらかなので、あれこれと想像したり、ひとり、ぼやーっと考えたりするのに役立っている
■この時間、魚のアメ横あたりを見ると、人も車もまばらで、ひっそりしている。買い物をしなくとも、散歩でもしながら、佐渡を望む海を眺めれば、夕陽君は公平に歓迎してくれる筈である。
■こんなことが、寺泊にいた頃は、気がつかないで、自然に味わっていた.タダで。もっとも我々が寺泊でガキの時代には、魚のアメ横はなかったし、駐車場のあたりは遠浅の海岸の一部で、あさりのひとつでも拾ってた。
(写真は7月3日、夕方6時過ぎにライブカメラからの利用) したがって、決して美しい写真でなく、本物を見たかったら、一泊しながら現地へお運びを。
■だが、一面に真紅の夕陽が圧倒的に人気があるのは確かである。面白いのは越後では日本海に沈む太陽=夕日というものは、オラが土地が一番と思っている。出雲崎・柏崎・間瀬・新潟・瀬波まで、同じお天道様なのに、その土地によって、沈む雰囲気が、がらりと異なる。
■優劣をつけて、1番だの2番だのと順位を決めることは、どんな専門家にせよ、時間がもったいない。
- | permalink | comments(0) | - | - | - |