弟57回東京寺泊会が無事終了し、役員反省会も終え一息ついていた頃、佐野久治氏逝去の知らせを受けた。
東京寺泊会の名誉顧問として、大会案内の出席はがきを、誰よりも早く頂戴していた。それは1年前から待っていたかのように。
:
◆三月末に、体調が悪いので、参加できないのが残念とのお電話が、最後の御言葉となってしまった。いつも、多額の寄付を賜り、宴席では真っ先にカラオケを唄って頂いたり、会には奥様やお孫さんの裕子様をお連れし、終始楽しそうに宴席を過ごされておられた。
佐渡おけさの踊りになると、熱心に鑑賞されていたことが印象的であった。
奥さまを昨年亡くされ、浅草在住で同じ町内会の樋口孝四郎氏(クロスター会長)と、慰め会をやろうかとも話していた所であった。樋口氏所有の浅草雷門近くのビルに久治さんとお邪魔し、墨田川花火を観賞したこともあった。永眠されたということは、もう二度とお声を聞くことも、寿司屋さんに二人で行くことも、できない事である。非常に残念でご家族のように寂しいものである。
:
◆ご遺族からは、「私共は心淋しい思いではございますが、祖母と天国から見守ってくれていると思っております。」と心境を綴っておられた。尊敬する殿を、お悔み申し上げるとともに、故人のご冥福を心より、お祈りいたします。九四年の人生を、まっとうされた浅草の殿と、平成24年4月17日・桜の季節が、永久の別れとなってしまった。 合掌
■第52回・東京寺泊会大会
浅草在住の呉服商「つゞれ屋」会長・佐野久治さん(磯町出身)に
特別講演をお願い致しました
ご商売の話、浅草そして日本も復興した、古き良き時代に三弦漂う、向島・神楽坂の花柳界のお話など、
たっぷりと語って頂きました
◆浅草の殿・プロフィール
昭和8年 18歳で上京
浅草で呉服業の世界に
昭和16年 入隊・4年間軍隊生活を送る
昭和21年 戦争で消失した浅草店舗再築
昭和25年 銀座進出・土地購入
★ 趣味で描いた油彩画 :景徳鎮 ★
つゞれ屋の商権を獲得以降
昭和26年 朝鮮特需・着物ブーム到来
日本はモンペ時代を脱する
昭和27年 日本橋に店舗購入・商圏拡大
「高級呉服専門店」稼業一直線
昭和46年 東京呉服専門店・連盟会長就任
昭和60年 5期10年間務めたあと会長を辞任
昭和56年 全国呉服専門店連合会会長就任
昭和60年 2期4年間務めたあと会長を辞任
東京都養護施設収容の孤児(7歳及び5歳児)に
お祝い着250組贈呈。昭和37年以降毎年継続。
昭和58年 鈴木俊一・東京都知事表彰
平成元年・勲五等瑞宝章受賞
平成16年日本橋三越本店新館、三越グループと共同建築
平成 22年4月16日、浅草の鮨屋「橋口」で、我々に55周年記念大会の労をねぎらってくれた。
その会食後移動し、三越新館の一階に構える自身の店舗■日本橋店を案内された佐野久治会長は、、銀座4丁目の店舗にも連れて行って下さった。日本橋店の2階には豪華な作品で溢れ、顧客同様の懇切な解説を賜り、日本文化・和が呈する素晴らしさを堪能することができた。この時の佐野久治さんはまだ九二歳であった。
■佐野久治の名誉にかけても、作品として後世に残せるものにしたい、と長い間この哲学を変えてはいない。
▼共同オーナーとして建てた日本橋三越新館フロント写真
▲日本橋店の2階にある常設サロンでは、絢爛な作品が訪れた者を優しく迎えてくれる。寺泊人で良かった