◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

経営に使うISO戦略が日本のふるさと会創生に有効的であることが認識され出し、リテラシーある企業退職者が動く。余裕あるボランティア族の先陣を寺泊会にいる輩が実証。
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◆良寛伝道師・内藤久吉さん逝去◆

 良寛に学ぶ会・熟年者のカルチャー倶楽部らこてねこのお言葉も、もう聴く事ができなくなりました

 2011年9月27日逝


いつも我々を楽しく判り易く、良寛の世界へと導いてくれておられた内藤久吉氏が、平成23年9月23日に急逝されました

 

  ありし日の内藤久吉


東京寺泊会の会員さんも、毎回数名聴講させて頂いておりました

 

 

 

東京寺泊会は郷里の内陸側隣町・旧分水町や海続きの隣町・出雲崎出身者の団体などと企画し、良寛に学ぶ会を共催している。会員は登録制で、その数は1月末現在で百三十名程だが、その多くは良寛の生誕地・出雲崎と国上寺のある分水(現吉田市)である。寺泊出身者は現在十人。今後増える見込みである。常任の講師は、出雲崎良寛記念館理事の内藤久吉氏が務め、表参道に建つ新潟県のアンテナショップネスパスが常設会場である。第二回のテーマは
■「
良寛とその師・法弟・支援者などが、どのように交叉していたかを探った。史実に基ずく、出雲崎弁士こと内藤久吉氏が懇切に解説。

 

 

 

引用資料は、牧が花の庄屋、解良家十三代当主・解良榮重による良寛禅師奇談」の記述で長短五六話ある貴重な書である。

 ■ 八〇〇年も続く出雲崎の庄屋橘屋山本家では、良寛を後継ぎにすべく、時の代官の元に赴き「我が惣領を次なる名主として務めさせたく、容認の程を」と丁重に挨拶。喜ぶ代官「しかるに嫁御はおられるか」との問いに「近在から当家に嫁ぎ・・」と答えた。名主の絶対条件には、伴侶を必要としたのであった。良寛に嫁さんがいたとする説は、かなり近年になってからの発見であった。寺の過去帳を丁寧に調べた大学の先生が、メディアにセンセーショナルに発表したそうである。 
 

 ■ しかしながら良寛はこの先、名主継承を受けるに心穏やかでない。回避せねばと、禅光照寺の和尚の元へ。禅修行の道に入り、その後に、高僧・大忍国仙と出会う。禅師は初対面の良寛を凝視し呟いた。「何とこの子の眼は澄んでいることか」と、玉島への一行に加えた。

 



 

円通寺で十一年、雲水仲間と起居を共にした後、禅師から「印可の偈」を授かり、これ即ち、永平寺の貫首さえも欲すれば道ありの体であった。しかし良寛はすべの凡欲を捨て、故郷出雲崎に戻る。だが住む家無く宿る床がない。国上に庵を得る迄は、寺社の軒下、浜の荒小屋で乞食姿。

■物語なら、ここで子らに石持て追われるやも。だが良寛の周囲には、熱烈な支援者多く、敬しく来訪を歓迎した。与板・中島・地蔵堂・島崎・渡部・出雲崎・寺泊。杖をつき、請われる儘に出された筆を手に、残した書は数知れず、乞食こそ道元禅師の正方と歩き通し、時を経た現代も戒語・愛語の教えは色褪せる事無く続いていると講師の内藤久吉先生独特の出雲崎弁は歯切れよ良く眠っている者はひとりもいない。
■東京寺泊会は広報を担当し、先に開催した大会には久乃屋さんの塩羊羹を参加者様のお茶菓子として賞味して戴いた所大評判となった。さすが寺泊の銘菓ラテ。

 

 

寺泊へは昨年会員を募り、分水の花魁見学を兼ねてバス旅行を実施。「魚市場」ツアーと「密蔵院」 を拝観。本邦初公開のお宝をご住職が公開してくださり一同大感激。今年も4月に良寛ツアーを企画中。地元在住の人より人気があるようだ。右を見ても左を見ても俗欲の張りあいだらけの世間の空気に身を置いてると良寛禅師が恋しくなるのか。町に有る日蓮宗法福寺さんには良寛の妹むら子のお墓があると言っただけで、東京寺泊会さんの人たちは皆が、あたかも良寛さんに会った事があるかのように、羨ましがられてしまう。法福寺第57代現住持英祥様とは親しい同期生だから鼻が高いが。  寒行も終わったことだろうし次回の東京寺泊会に招待しご法話を賜れれば至極である。
 さて名講師の内藤先生は
出雲崎にある良寛記念館常時おられ繁忙の中、講演の度に上京される。出雲崎の会館を訪れる際 東京寺泊会から紹介されたと告げれば展示作品をより一層懇切丁寧に説明して下さることだろう・・かくなる無礼こそ慎むべきと聖僧は 「愛語」「戒語」の世界で唱えておられるのに。今は故人となられた、内藤久吉氏の出雲崎弁での、あの言葉が消えることはない。
寺泊会一同お悔み申し上げ、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌

この稿は過去に掲載された記事を基に、内藤久吉先生追悼号として、再投稿しております)         

       

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いなかの海岸にクジラが漂着

■ フンドシ町・寺泊の海岸は西から東まで遠浅で、ファミリー連れの海水浴には最高である。
  その寺泊から、出雲崎に近い金山(かなやま)の海岸に、6メートルもある「クジラ」が1頭上がったよーと郷里のニュースマンン小川氏が伝えてくれた。この場所は、さかなのアメ横から自転車で10分位のところにある。想像するに、お盆のフタを裏返して一杯に水を浸したところに、太いフランクソ−セージをゴロゴロ転がしたようなもんだったであろう。    
■ 遠浅な海岸でも、5日は、強風だった。浅瀬をゴロンゴロンと、のたうちながら打ち上げられたのか。
いなかでは、テレビ局が来るわ、新聞に出るわで大騒ぎだったそうな(5日)。

                    (写真提供:小川喬さん(寺泊在住)
■ 関東では正月2日に小田原海岸で6メートル余りのクジラが打ち上げられている。天変地異の前触れでないことを、祈るばかりである。予期せぬ大事が発生しても不思議でない平成の24年正月である。
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