◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

経営に使うISO戦略が日本のふるさと会創生に有効的であることが認識され出し、リテラシーある企業退職者が動く。余裕あるボランティア族の先陣を寺泊会にいる輩が実証。
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東京青山・表参道で学ぶ良寛の会とは。

 
五合庵・乙子草庵があった国上山(上の写真右側の小高い山中に籠って、30年もどうしなさったかね)
    (2011年7月23日寺泊海岸・魚のアメ横あたりから望む遠景)
分水町・町長「藤田正夫」さんが良寛の会で解明・寺泊会共催事業2011年7月22日(金曜昼どき)参加者数:61人也。


        第8回;聖僧・良寛勉強会.
                            藤田正夫先生
期日;平成23年7月22日
  表参道新潟館ネスパス3階
     
 90分の集中講義
           
       
経済至上主義の世を切り抜き、自社ビルを建てた越後出身の実業家もいれば、他人に施しをして、何らの見返りのない事を気にする庶民もいる。喧騒な大都会には、良寛の世界を知り、癒しを覚える輩が多い。第8回を数える勉強会には、江戸後期の文化芸術を味わおうと熱心な聴講生が集った。明治神宮の杜から、新潟県の物産館・ネスパス近くに立つ樹木のある、青山通りに飛来して来た、遠慮がちな、セミの声を聞きながらの優雅なスクールとなった。寺泊会からの参加者は、小林副会長(元・小平市議会・議長
)ら4名。
良寛は「了寛 」とも書かれる事もある、良寛の最期を、貞心尼と二人で看取った、遍澄和尚が描いた良寛の素顔は、こんなお顔をなさっていたらしい。
手毬を持っているこの絵は、写真製版されたものであるが、高僧風でとっつきにくい
だが当時は、庶民も豪商も、庄屋も医者も、皆、このお方の才覚・教養プラス力量表現(書)を敬慕した。あなたのためならいつでもスポンサーになるよと、このセオリーで良寛は越後中央部に君座する、名山・弥彦山(634M)の隣に位置する国上山に、居となる庵を、永年無償提供してもらった。
最晩年を過ごした国上の山から下りて、島崎(和島・小島谷)の木村家へ居を移す際に、新しいワンルームを、腕のいい「吉」(旧寺泊町)の大工さんに普請してもらいましょうか、と提案したところ、木村さんちで余っている、使い古した庵の方が良く眠れますし、もうこの年らすけ、安心して屁もこけますからと、良寛は、ニコニコしながら新築提案を受け入れない。
本日の講師、当日新潟から上京された、藤田正夫氏(元・分水町・町長)は、国上にあった草庵生活こそ、良寛芸術が量・質とも円熟を迎えるのに、春夏秋冬最適な環境だったと説く。事実たき火に使った一葉の落ち葉も、寺泊の海から吹きさらす浜風も、句作の肥やしにしたのだろう。




果たして、当時のスポンサーとは誰であろうか。国上山(標高313メートル)の中複にあった、庵、「五合庵」、さらにもう少し山を下った、乙子神社に、乞食風態の聖人良寛を導いてくれたのは、「阿部」様 「解良」様 「原田」様 「中村」様そして「富取」様・・・いずれも庶民が、前を通る時には、尻を向けて歩けなく、うやうやしく敬称を付けて尊じる、時の豪商・医者・豪農など、生活力有り余る、且つ知識階層の諸家達であった。高僧・良寛の付加価値が、彼らとの距離を近くしていた。
昔の話で、遠い存在の事かと思っていたら、その庄屋さんを先祖とする御方が本日の勉強会にお見えであった。

写真左の白いスーツ姿の先生こそ、庄屋「阿部家」の実系であられる、牧江春夫氏(東京良寛会・会長)である。
そのお隣さんは、良寛の弟さん筋の直系(山本良一氏)との由。かの良寛を身近に感じてしまう。現在は東京良寛会・統括幹事として尽力。ご先祖をいつまでも敬うこころ忘れずで、丁重なお方とお見受けした。
こちらからのお声がけにも、気さくに応えて下さった。

さて、本日の勉強会には、いつも出雲崎弁でまくしたてる、常任講師・内藤久吉さんの御姿がなかった。
現在、ご自身の体を強化調整中とのことで、次回10月7日(金)の第9回大会までおあずけとなった。
進行役は平出英雄さん(東京新潟県人会・文化委員会・副委員長)が懇切に司会進行。同氏が所属する県人会・文化委員会主催の講演会のパンフ持参で頑張っておられた。
良寛に学ぶ会でボランティア活躍している御仁は、他にもいる。東条玉英さん(東京出雲崎会・幹事長)も、そのひとり。1時30分開始の勉強会のために11時過ぎに会場設営の労を難なくやり遂げていた。ちなみに、新潟館・ネスパス3階の会議室は、会場借り受ける際には、広い部屋が、ガランとしており何もない。會舘備え付けの、机や椅子の設営から、ゴミ出しと、後かたずけまですべてを、自分達でやることになっている。

         
◎     ◎     ◎

講義の合間に、弥彦神社の門前銘菓「玉兎」を茶菓として頂いたり、講師持参の、ホッとする良寛さんの版画(布施一喜雄作)を観賞しながら、めでたく、本日の良寛勉強会をお開きとした。


  酒好き良寛・おねだりの巻。
蛍は、良寛のあだ名 詠んだ場所は
与板の酒造屋・山田家。
黄金の水=日本酒、妹=酒屋の奉公人さん ●たまふ=賜りたい(意訳)・・・などの雑知識がないと、簡単な単語でも、良寛流・万葉集手法の奥深さで複雑にし、やっと理解できる動態詩。
(わしを草むらのホタルと呼ぶんなら、日も暮れたことだし、これから照らさにゃいかん、元気の出る、お水(酒)を頂戴、おねえちゃん)と理解した。
講師曰く、良寛詩歌の楽しみ方は、100人居れば100通りの感性で味わうことができることにある。従って自分なりに意をくみ取って、楽しむのがよろしい・・正に如意であった。   
   
      
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