◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

経営に使うISO戦略が日本のふるさと会創生に有効的であることが認識され出し、リテラシーある企業退職者が動く。余裕あるボランティア族の先陣を寺泊会にいる輩が実証。
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2011/5/14の朝は風が強かった

 ■月の寺泊の海は、イワシがたくさん捕れて、これを焼いて食べると最高にうまかったのを思い出す。人間は魚の思い出が「食べて旨かった」ことにあるから恐ろしいイキモノである。。
今朝5月14日(土)の海を眺めると、風が強く波高しであった。いつもの風景。中央海岸から、スカイツリーと同じ高さの名峰、標高634Mの弥彦山を見ながら、弓状の海岸線を絵にしてみたくなり、PCで一工夫。
これってテーマのないときの、お遊びってか。
少し古くなるが、見ごとな海岸線は、1922年夏(大正11年)、丁度、瀬戸内寂聴さんがお生まれになった年に、越後国・信濃川洪水の解決法として完成した河津分水が、寺泊町に通水した。

ここから
吐き出された、きれいな泥水が、90年かけて、何万トンも、寺泊中央海水浴場の浜に堆積してしまった。魚のアメ横さんの駐車場としては大助かりであろう。太っ腹の、1000台分無料駐車場有り、の所以か。
幸いにも大河津分水からは、周囲には原発もなく、工場排水もなく、近年は素晴らしい可動堰で、浄化機能もあるから、河からの汚染はない。寺泊海岸水質調査ではいつも、クリーン度最高である。
だが、海辺に土っぽい砂浜が増えるのはいいが、海がどんどん遠くなって行く珍風景。太平洋側の湘南・大磯あたりと全く反対の現象である。浸食どころか、土地が増えて増えて、浜が広大になってしまった。
良寛が修行した、倉敷市玉島と違って、寺泊海岸砂浜の下は岩盤になっている。地震に強く、柏崎・出雲崎が揺れた時も、こちらの被害は、隣町程多くはなかった。首都圏のモダンな街のような、液状化現象も心配ない。
玉島は元禄時代は海だったと、良寛を学ぶ会の講師が説明していた。
だから玉島地方の埋め立てた土地を干拓して、苗を植えても、塩水が出てきて、いつまでも米が育たない。そこで考えた村の衆が、綿の木を植えたら、大成功。こうして倉敷が紡績の盛んな都市に変わったそうな。倉敷の紡績の歴史が見えてきた。
だが。かくいう越後平野全部が、古代は水面下だったと聞くと、蒲原地方の洪水は納得がゆく。



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