◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

経営に使うISO戦略が日本のふるさと会創生に有効的であることが認識され出し、リテラシーある企業退職者が動く。余裕あるボランティア族の先陣を寺泊会にいる輩が実証。
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100周年記念誌刊行

                      
  新潟県人会百周年記念誌完成特集

 東京新潟県人会100周年記念誌刊行特集号掲載から数年以上経過したが、記念誌に関連するページの寺泊会だよりへのネット検索は衰えず、記事ログ分析でも数値を延ばしている。

そこで懐かしい記事を検証した。

 

多分「記念誌」なる文字検索は同窓会・学会・業界・会社創立記念誌と、日本全国どの組織でも制作の機会があり、出版業界の営業マンや記念誌編集作業者たちが先ずネットで調べ参考にし、自分たちの刊行に役立てているのだろうと推測する。

ほとんどその存在が目立たなかったが、寺泊会会長が所属していた県人会の総務委員会に任命され、記念誌編集委員をしていた当時の記事である。

公式に発行されている新潟懸人会誌も未取材の、発刊関係者たちのアプローチとフォトを探る物語として制作していた。

2010年9月に新潟市内の朱鷺メッセで挙行された一大イベントに続いて、当時、我々が県人会で取り組んでいる一大事業が「東京新潟県人会・創立100周年記念誌」の発行である。

 

各郷人会などから選抜された25名による編集スタッフ、は毎月一回県人会館に集まり、編集会議を開いていた。御徒町から歩いて数分の場所に、新潟県人会の会館が建つ。

 

会館3階の役員室に編集室を設け、教職員でもあるまい、日直当番制を敷く熱心さである。

2010年12月2日の編集会議には印刷業者も参加し、カバーサンプルを提示。総ページで240頁にもなる美装本はハードカバーで上質コート紙を使って、一冊2000円で15000部、発行しようと打ち合わせに会議に回数を重ねていたのである。
表紙候補のひとつとして紹介された装丁がこれである。

 

現在何種類かを見本試作し検討中

 

今年の新年会のイベントで佐渡出身の鍛金工芸家・宮田亮平氏(第9代・東京藝術大学学長。)の書である。

 

氏は11年間学長を務めた後、現在は第22代の文化庁長官である。佐渡高校のみならず越後人が最も誇りとする新潟県人のひとりである。提案された表紙を見た編集委員たちでも、これが「光」なる文字だと、即判った人は少なかったが。


この表紙のコンセプト「白」が放つ純粋さ、既存の記念誌の持つ「権威的 方向」ではない斬新さを芸大学長の「光の書」をシンボリックに中央に配置。「削ぎ落とすインパクトをコンセプトに装丁しましたと表紙デザイナーは説明。


この文字を表現するため、学長自身が巨大な墨壷を制作した。ここに墨汁をたっぷりと満たし、見事な芸術文字「光」を書くパフォーマンスで、品川にある、グランドプリンス新高輪の大宴会場・飛天の間に集う1000人を超える参会者を魅了したのであった。


一升瓶がミニチュアに見える「スミツボ」。

今でこそ、この「スミツボ」の意味が判るが、新年祝賀大会で寺泊会が司会をしていた際に、ステー−ジの袖にいた芸大の学生らしき若者に、いきなり、墨壷を紹介してくれといわれ、「ス・ミ・ツ・ボ, what?」状態になってしまった。

 


 頭の中は黒い墨のツボのイメージで、どこを見廻しても無い。 まさかこんなピカピカ状態の芸術品とは知らず、どこにあるんだいと慌てて探す始末。それでも何とか「先ほど宮田先生が,ご使用された、特大筆用の墨汁が入っておりました「スミ・ツボ」でございます、と紹介し、更に「中にある氷で十分冷やしてございます、越後の銘酒を、お飲みになれば、100年長生きしますよ」 と、とっさに思いついたことをマイクで呼びかけた。

 

このとっさのアナウンスメントで会場が一瞬ざわめいた。
幸いにもこの、めでたい酒を飲みたいと、何人かの方がそばに来られ、飲んでくれたおかげで、和やかな雰囲気の中で進行することとなった。一升瓶がこんなに小さく見えるから、名匠品スミツボ、がいかに巨大作品であったかがわかる。
宮田学長がキンコン・カンコンと叩いて制作された芸術作品、鍛金「墨の壷」であった。

賢者は権威あるも驕らずの見本。

 

愉快かつ気さくな芸大学長、金工家・宮田亮平さん(写真左)は、昭和20年生まれ、とおっしゃるから、同じ越後出身で分水町生まれの著名な彫刻家・茂木弘行氏・とは、芸大で1年後輩となり、

 

西蒲原・吉田出身の高名な画家・斎藤順正氏の2年先輩となる。)はスピーチも面白く、取材に詰め掛けたテレビ局や新聞記者にも気軽に応じておられた。佐渡出身の賢人はすばらしい。
■警視庁辣腕公安刑事を輩出した広神村や鹿瀬町などの出身者が編集委員として奮闘中。
町村合併で五泉、魚沼、阿賀などと名称変われど、新潟県内の広範な地から、郷里(ふるさと)へのラブレター感を抱きつつ、想い入れの深い、越後人が協力し合って各自のテーマを分担し合い、ボランティアで100周年記念誌の制作に携わっている


 印刷業者も熱心に記念誌の装丁を説明。こうやって今、東京新潟県会創立100周年記念誌の編集が進んでいる

   
100周年記念誌

2011年3月発刊
一冊2000円で予約受付中
   東京新潟県会事務局

問合せ03−3832−7619
編集委員は見本誌で手触り感覚をテスト。半端に妥協はしない。100周年記念誌の主な執筆内容



                   広告使用許諾・東京新潟県人会広報委員会

                    ●    ●      ●     ● それから、しばらく経過

 

寺泊会の分担は東京大森にある新潟県人会、大田区にある新潟県人会、など8団体の県人会を取材しての原稿作りと、長老特集頁の在京新潟県出身者安澤隆雄翁と同年の100歳関根五郎翁2名を担当した。

 

お陰様で無事刊行いたしました

2011年4月8日、編集委員だけで、「100周年記念誌刊行記念納会」を、節電のあおりで、桜の木にお花見のあかりが灯らない、上野公園近くの中華料理店で開催した。
長期間のボランティア作業御苦労さまでしたと、互いに慰めあった。諸事、自粛ムードのなか、銘酒「久保田、寒梅」の差し入れと、珍酒「田中角栄」で、静かに納会を執り行った。
この日は、地方のテレビ局2社、新聞社1社が取材。
記念誌販促に一役買ってもらった。


■於 上野東天紅
■編集委員総数25人(欠席10名)
制作協力(株)第一印刷所

我々編集サイドの無理難題のわがままを、丁寧に聞いて下さった第一印刷所(本社・新潟市中央区)の若手営業マンも祝福にかけつけた
記念誌編集委員長・池田孝一郎氏(新潟市・巻出身)に新潟日報社報道部記者井川恭一氏が、見事な出来栄えに驚きながら、熱心に取材していた

編集・副委員長は2人、佐渡出身の菊池氏(左)と新井市出身の飯塚氏(右)、記者(中央)に各ページを説明。両氏とも善良なる70代。この方々の熱心なサポートが、予定期日までの発刊にこぎつけた。
我々は,ここでは、若い方だから、副委員長のさらにサポートか。
だが、仮に我々が70代後半になったとしたら、このおじさんたちのように、素晴らしいエネルギーを持つ自信がない。時間は余っても、視力・体力・集中力がついてこないであろう。

東京寺泊会も編集に携わり、大田新潟県人会、中之島新潟県人会、大森新潟県人会などの8団体を取材、「100歳万歳特集」では、面識のあった、104歳の安沢隆雄さんや関根五郎さんの記事を出稿したが、今後の課題は記念誌を、約150団体ある、県人会内部組織で、何冊領賦できるかである。
現在寺泊会は20冊(1冊2000円/・送料800円)を購入し、郷里の寺や希望者へ拝送済み。
3月末現在で、約1200冊が県人会全体で購入予約済みであるが、時間がかかりそう。
ご購入希望者は、東京新潟県人会事務局(台東区上野へ、お申し込み下さい。

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