◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

スマホ対象の枠組みで制作していないがPCだけでのアクセス表示75万超、「角上」・「寺泊出身」OR「脳の学校」の検索が殺到する好現象。確かにテレビ出演の影響は大きい。
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日本海・寺泊町に魚のアメ横を創った社長さんの物語

寺泊会創立62周年記念大会速報
 
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 記念講演:平成29年4月23日日(日)
.、。
11時〜芝パークホテル/別館2階ローズの間 
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ゲスト講演者 小越忠教・米子先生ご夫妻
.
寺泊・夏戸在住で卓越した編年史・和説研究家として
ガイドで活躍されている小越夫妻による特別記念講演は、プロジェクターを使用し
いにしえの史実に基づいて解りやすい解説と音源を併用し、あっという間の記念講演であった。
弥彦山がこれほどの話題になったのは初めてのことである。忠教先生の語り口は説得力に溢れこれぞ名ボランティアガイドの解説といえよう。
さて夫の忠教先生が時良くリレーで妻の米子先生に話をつなぎ、これまた懇切丁寧に写真を披露しながら寺泊町風景の変遷を講演。小学校の教諭経験が長かったせいか、その優しい目で語りかける姿に写真が変わるたびに皆が首を上下にふり、うなずいていた。
夫妻の持ち時間である1時間はあっという間に過ぎてしまった。凡そ70代以上の参会者たちは全員がなるほど、うんうんと納得していた。寺泊会役員がリスク覚悟で企画した夫妻リレー式講演は完璧に成功したものとなった。
当日講演されたタイトル
「野積に上陸した弥彦の神様 」
「1枚の写真で見る寺泊の近今昔」

夫妻式講演は新潟県の郷人会では初企画となり、
来賓としてご招待した各会の会長副会長さん達も羨ましがっていた・・どうよ
   
         ・・・・・・
 
●お土産協賛 角上魚類株式会社様
  ありがたいことに寺泊会がお願いした予算の3倍くらいの協賛品を賜り
 大会参加記念として全員にお持ち帰り頂くことができた。
 角上特選の海鮮ギフトに深い感謝の意を申しあげるしかない 。         
      ・・・・・・・・・・・・・・・
、・

脳トレ講演で盛り上がった第61回大会は1年前。


寺泊会・平成28年大会のレビュー

61周年記念講演 私は寺泊出身の脳科学者


◆このトレーニングすれば、あなたの脳は劣化しない

 

加藤博士の著書はベストセラー続出中

 

80歳以上の参加者15人には、サイン入り著書が進呈されました

 

 ◆◆
 

 


        

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇ 

ついでに第60回大会(2年前)


 

寺泊会創立60周年(平成25年春)大会レビュー

アーカイブ公開中   



角上・鵬室卍垢旅岷蕾聴講感謝



東京寺泊会創立60周年記念大会のご案内
2015年4月15日(水曜日)午前11時30分〜
参加費:10000円
会場 : 芝パークホテル(港区芝公園)


60周年記念行事詳細

 : 記念講演会 角上魚類 鵬執聖絢卍
    (辣腕経営者のコンピテンス源泉はどこ)
■    : 記念公演  寺泊・伝統民謡保存会
         (
寺泊の伝統所作を 地元・浜っ子会が披露)
■    : スペシャルゲストトーク
       寺泊・彦根山興琳寺住職 中村興樹氏
   (古刹の法話名人が俯瞰する、町のふるさとだより)


■ 参加特別記念品と大抽選会案内


創立60周年記念大会として、参加記念のお土産には、全員に角上謹製「海鮮ギフト詰め合わせセット」の他、寺泊観光協会が推奨する、特選・銘酒や、寺泊の旅館ホテル宿泊クーポン券が当たる大抽選会を企画中。(座席で抽選方式)

人気テレビ番組、カンブリア宮殿で、柳下社長の人柄と、角上マネジメントが紹介されるや,当誌・寺泊会だよりへのアクセスが沸騰。日本全国で、柳下社長さんのお名前と寺泊で、検索されているらしい。

12月31日朝も、角上さんは、「頑張った日本列島の会社大賞(フジテレビ系)」にも登場。長い間、低迷する日本企業、ビジネスの中で、寺泊の鮮魚会社がいかに頑張ったかを、見事に証明してくれた。
 
 
・東日本大震災被災地 復興募金 寺泊・さかなのアメ横で…
 


寺泊名物・さかなの市場通りには、全国からの来訪者が絶えない
福島県からのお客さんも多数おられ、同県は、広い海岸や港を持ち、寺泊とは共通点が多い。
原発事故の周辺地域に住んでおられた家族が寺泊・夏戸海岸で避難生活されていた当時
寺泊観光協会では、東日本大震災の、被災者募金を兼ねて、
さかなの市場通り、通称「さかなのアメ横」通りで、カニ汁を無料提供しながら義援金を募ったニュースが中央でも伝えられた。期間中の募金全額は、長岡市を通して、被災地に届けられた。


2012年にキャンペーンを張った、カニ汁無料提供(4月9日〜4月24日)も大好評であった。2013年以降も角上人気は、日本海の、優れたビジネスモデルとして継続して行くことであろう。

さかなのアメ横誕生ばなし紹介の巻。


寺泊海岸に魚のアメ横を創った男の物語





2010年7月某日。日曜、朝9時〜日本テレビ系・徳光和夫の番組「サンデイnext」で大型鮮魚専門店の角上魚類小平店が約20分にわたり、店舗紹介、鮮魚販売情報の詳細が紹介された。センセーショナルな画面構成に興奮したのか、インターネットのサイト閲覧が爆発。東京寺泊会だよりにも、ここのリンクがつながらないと連絡あり,調べたところ、あまりにも同店のhpにアクセスが殺到しサーバーがパンク状態とのことだ。・・午前9時35分頃であった。しばらくは角上物語でもご覧になってお待ちくださいとご案内した次第であった。幸いにも
角上魚類のホームページは1時間くらいで閲覧回復した。

それから4カ月後の2010年12月15日・火曜日、朝、日本テレビ8時、世間は若い歌舞伎役者の酒乱ニュースであふれる中、「行列のできる大鮮魚店」として小平店が再びセンセーションナルに放映された。商品の命となる鮮度と質の高さで勝負と柳下浩三社長もインタビューで登場。2011年春には東京・日野市に新店舗を開店、2014年に入ると主要道路が角上渋滞を起こすほどで、都会では角上魚類のニュースから目を離す事が出来ないのである。東京寺泊会の話題が、またひとつ増えた。


「小平市のような、角上さんの店舗のある地に引っ越したくなりました・・」 テレビのインタビューでお客さんが答えていたが、この人はサクラではない。正に、その通りでございます。・・東京寺泊会だより編集部。角上さんは、勿論越後・旧寺泊町が誇りとする、日本有数の大型生鮮鮮魚店である。現在中国進出も視野にある。

この
小平市寺泊とは、大変縁が深いが、小平市の秘書課さんは、このページでのリンク依頼を快諾してくれた。
何しろ市長の小林正則氏は、寺泊出身で当会の顧問をしており、毎年,東京寺泊会の懇親会に参加され、時にはカラオケを熱唱されたりする。
更に、小平市議会の前議長・小林秀雄氏・現市議は、寺泊の6区にある白岩に、代々の土地を所有する寺泊人であり、東京寺泊会の副会長から会長に就いた。


小林正則小平市長東京寺泊会でご挨拶。

 

 2017年4月9日(日)選挙速報

 

小林正則(4期目)当選 28308票

松岡あつし       15536票

水口かずえ         8281票

 

     小平市公式ホームページより転載
                    市長と縁戚ではないが同性の小林秀雄寺泊会前会長・元小平市議会議長。正義感強く硬派。

寺泊へ来たら誰でも必ず立ち寄る場所は、観光コースでおなじみの「魚市場街」である。
第53回に続いて60周年大会でも、東京寺泊会は、アンコールの多い「角上」さんこと
角上魚類株式会社・鵬執聖絢卍垢鬚招きし 特別講演をお願いするとご本人は快諾。(これならNHKのキャスターを呼ぶより経済的だ・・と役員会で安堵)
 我々地元では、普段、角上さんと呼んでいるが、角上さんは寺泊をはじめ、首都圏など合計19店舗で、 精力的に商売展開されている。
 小さな港町・寺泊を一躍世間に知らしめ、その存在を 植え付けたのは「魚のアメ横」であった。
これは魚のアメ横を創った男の物語である。

  ▲鵬執聖飴瓩蓮⊂赦贈隠鞠、網元の次男として誕生
のどかな寺泊町で、幼少時代は野球少年で過ごし
明けても暮れても野球に熱中。
(後の阪神タイガースファンの礎となった)
新潟商業高校時代では、マネジャーとして2度の
甲子園出場を経験。
昭和34年、実家の魚問屋に入り東奔西走する。
スーパーが台頭し始めた昭和40年代に入ると
自ら敵陣の「人気スーパー店の視察」を開始し
多くの店舗を見て廻った結果
これをしのぐ小売業の開発に着眼。

昭和25年頃の3区寺泊中央海水浴場の砂浜。番屋小屋があるだけの砂浜だった。 寺泊会の会員さんが寺泊小学校2年だった頃(当時)に撮影されたものだが貴重な写真となった。

 

■「親父、あの道路沿いにある土地使って、
店出してんだろも、どうだろうか」
あの道路とは、言うまでもなく海岸道路として造成された、
今の魚市場・通称魚のアメ横道路である。
角上は、この道路に沿った一画に、広い土地を所有していた。
「本気でやる気があるンなら、やれや。但し自分で全部、
金銭の都合つけてやれ」
親父の言葉で今日の運命が決まった。
元々親に金を出させる気は無かったのである。
今でこそ、人・車の往来が絶えないが、
まだ造成僅かで、まるで原野にデパートを
開店するようなものである。当時は砂浜だけで、
駐車場整備の構想さえない。
■ここに5千万円を投資する決断と荒業は、
江戸時代から続く網元の血統を受け継ぐ
鵬執聖粟椎に「天性の商売勘と運」が備わってなければ、
発想すら湧いてこない。
         ▲鵬執聖絢卍垢陵念が全店舗に反映。社員の力量統一

         


   


 
銀行と交渉し、何はともあれ開店にこぎつけたのは
昭和49年の春であった。
「寺泊は海の町、夏場は人でごった返しても、
あとは潮が引いたように人が来ねし、
チープー荒れる寒い季節は商売にならんがに・・・
よう店を出しなさったもんだ」


確かに冬の海は、毎日荒れるし、波が高く浜は強風で寒い。
岩の外湾には、佐渡海峡からの白い波が大きくうねりながら押し寄せてくいる。
               2010/12/31・寺泊海岸ライブカメラ

平成22年大晦日のアメ横駐車場、買い物客の車で朝から晩まで混雑する

 心配無用だった。30年後の寺泊は、波高く風強しでもこの通り盛況である                                                                                              2010/12/31午後3時頃の市場周辺

                 ●  ●
危険信号の声が、湧き出る泉のごとく囁かれる、町の評判は折込済みであった。
このことは34歳の自分が一番良く知っていた。
客を如何にして呼び込むか。
顧客の心を知る売り手になろう」。社長の得意とする
創意工夫の虫」が動き出す。
 
社長の「仕入眼を磨き、新鮮・上質な魚を豊富に仕入れ、
これをより安く売りさばく」戦略で
絶え間なく続けたこの努力が
「寺泊へ行けば、いい魚が買える」と評判になり
噂は定着し始めた。
開店1年後、店内は溢れんばかりの人出
評判通りの新鮮な魚を求める客が、多勢訪れた。
売上も倍々ゲームをもたらし、新聞・テレビには
「魚のアメ横大賑わい」の見出しが躍り
関越高速道路の開通もあり、日本海に先駆ける唯一の
大規模鮮魚店として、全国に名声が轟いた。
 
年が過ぎた頃、同業が角上本店の周りに何軒か出店し始め、
寺泊の総売り場面積が、更に巨大となり
観光バスが大挙首都圏から繰り出した。
それまでの越後をめぐる団体バスは、有名な温泉と弥彦神社を
巡る単純なツアーだったが、寺泊・魚市場コースを追加したら、
5倍の申し込みとなった。(旅行業者談)
 一方、経営者として常に人より一歩先を睨んでいる社長は
既に次なる商売の戦略を考え
「小さな寺泊町だけでなく、高速道を利用し他県でも出店展開をし
総売り上げを伸ばそう」と行動する。
市場調査・社員教育・人集めなどに奔走した。
寺泊に店を出してから10年後のことであった。
やがて、群馬県をはじめ埼玉、東京、長野などの
都市圏を狙った顧客取り込みと、商圏拡大戦略に転じ、
新鮮豊富な品揃えをモットーに邁進の手を緩めない。
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- | 2014/07/19 4:55 PM
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