◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

経営に使うISO戦略が日本のふるさと会創生に有効的であることが認識され出し、リテラシーある企業退職者が動く。余裕あるボランティア族の先陣を寺泊会にいる輩が実証。
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大越健介さんがNHKニュースウォッチ9のキャスター

NHKNW9・キャスターは寺泊町出身。

検索数が多い日は何かがある(2015/1/22=1450件)
同郷人大越ャスター氏のお蔭で、東京寺泊会だよりは、年間を通して安定読者数を保持している。


少しでも大越さんに関連した噂が出ると、これまた過去60万を誇る検索数が、超がつくほど増加する。


◆当初は、寺泊会が直接取材したわけ訳でないので、真偽は不明だったが、今春の人事で「大越氏、2015年3月でニュースウォッチ9キャスター交代・⁉」と、週刊誌、タブロイド夕刊紙に出るや
またまた、沸騰している。思えば同氏がキャスターとして登場したのは、2010年3月であった。それから5年後の2015年2月3日の同局による、人事異動で大越氏から河野憲治氏、井上あさひさんから鈴木奈穂子さん、スポーツ担当には佐々木彩さんへと、バトンタッチすると発表があったので、噂は本当だった。

 

◆公式発表前に情報を流す者がいて、僅か一部のメディアがこれを買い記事にするとは、恐ろしい世界である。お蔭で検索数の激増に貢献してくれた。午前0時に始まり午後11時までの中で、何千とアクセスが来るのだから感謝するしかない。正に寺泊会だより検索ワード貢献大使さんとして、4月大会で感謝状を出したくなる感がする。


◆正直なところ、大越さんがこれほど著名な人気キャスターになるとは想像していなかったので、気楽な気持ちで渋谷のNHK放送センターを訪れ、寺泊同郷人ですがと勇気を出してインタビューしたのが幸した。勿論事前予約を取り放送前の僅かな時間であったが。

実際寺泊会へは、郷里の町職員から、うちのマチに子供の頃いた大越さんと似たヒトが、東京のNHKでアナウンサーしているらしいよ、程度の情報しかなかったので半信半疑でもあった。町では、キャスターもアナウンサーも一緒にしていた。


◆多くの読者層は同氏の名前でウィキペデアから入り、脚中に本人のプロフィール情報の一部出典が、東京寺泊会だよりと記載されているので、読者さんが、改めて、東京寺泊会だより迄辿っている様子なので、過去記事をアーカイブすると

 5月の大安日・22日に、寺泊会の顧問、外山さんが名誉宮司を務める、明治神宮で挙式を執り行うとはいえ、結婚披露宴延期の青山祐子アナと、日本放送協会始まって以来の、名キャスターコンビとして話題沸騰させた1年間であったが、お二人での競演は4月2日にフィナーレを迎えた。しかしながら、国難が襲う憂うべき世相で、代わりにご登場の新人女性キャスター、知的で聡明さが目立つも、毎日難しいテーマの報道に、笑顔での受け応えどころではなかったが、それは編集長の好みの問題だよなどと、弥彦会の会員様に言われながらも、NC9は5月23日に新装する噂がある。
 確かに背景は、手書きのアナログ型に親しみやすく改装された。スポーツキャスターとメインキャスターのデスクの距離も近くなり、発信者一体型となるように工夫され、気軽感もある。
お天気キャスター・大変身」の巻
何といっても、その横顔は、有り余る長い御髪のため、横顔を映すと、「頬」が見えないのは、子供の頃から怖かった、髪の長〜い「幽霊」を想像し、この場面になると、画面を見なかった事が懐かしい。やがて、無造作に後ろに束ねたかと思ったら、新装の5月23日では大変身の、お天気キャスターさん、これで、毎日安心して観ることができる。その横顔は、品の良い、小さくとがった顎が理知的で、ヘアーメークさんも仕事のやりがいがあるだろう。ファッションもスタジオでは、目立つ存在となった。夜7時30分登場で、絶大な人気が有った、お天気ねえさんも交代した現在、新しいファンが増えること間違いなしであろう。こんな雰囲気を創り上げる、寺泊出身のメインキャスターのアイデアと英知とは。

大越健介さんに特別インタビューより      
◇NHK夜9時から始まる「ニュースウォッチ9」の 評判は、
すこぶる良いまま継続中。
中でもキャスターをしている大越健介氏/169cm、49歳・体重は非公開(2010/12/22、同番組の大腸がん検査推奨のコーナーより)の 気取らない雰囲気に人気が集中している。

そして2011年4月2日(土)、通常は放映のなかった土曜であるが、東日本大震災発生以来、特別枠で、毎回大越氏と被災地、原発事故問題などを伝えていた。この日でスポーツアナから数えて8年に渡る、毎晩、9時台のキャスターを卒業した。
3か月前の番組中に、自身の結婚をコミットメントするような、オーダーで、大越氏が仕込んだ構成に、全国で多少の!!もあったが、大震災・原発事故と壊滅状態の日本を報じていた職務上、3月27日()に予定していた披露宴をキャンセル、多くの招待客も納得の延期であろう。挙式は1年以上も経った、2012年10月吉日、明治神宮で執り行われた。
4月4日からは、同局の昼時間1時05分からの登場となる。大越キャスターは夜番組を継続するので、夜9時のお顔としてお会いできる。新スタッフによる番組進行も楽しみである。

一説によると、青山さんの瞬間出演もあり、とのうわさが,囁かれている。ニュースウォッチ9の女性キャスターをこなせるコンピテンスを持ち、大越氏と組み、つぶやきギャグを受けとめてくれる、知的な姐御を、同局内で育てあげるのは、易しいことではないであろう。彼女にしてみれば、夜の番組終了後の、クールダウン時間が無くなり、ほっとされておられるに違いない。これからは別のメンバーと、居酒屋に顔を出すことになろうが。

実際、毎日拝見していても、ブラウン管での 女性キャスター・青山裕子さんが10年遅く入局した後輩ながら 体力・知力備えた賢明な、お姉様として60分間弟をかばいつつ隣に座っている風にも見え,安心感がある。
その検証には、8月第3週のように、青山さんが夏休みの期間中は、このシーンは当てはまらなかった。

その青山祐子さん(37)が、結婚報道されるや、この日から寺泊会のサイトの検索数がブレークした。平均200件くらいだった訪問者は、どこでかぎつけてくれたか責任重大である。
懐かしい1月の思い出であった。

大越さんは大きくつぶやいた。「仮にのお話ですが、もし青山さん〔番組では彼女をこう呼んでいる)が結婚されるとしたら、お仕事はどうされますますか・・」
「私は結婚しても今の仕事は、絶対必ず続けます」
「婚活には、女性の立場として、相手を十分知ることが必要ですね・・」
ここで大越さんの名言が飛び出す。
「説得力あるおことば、ですね・・」こんなやりとりが交差するNHK夜9時のスター番組が、ますます人気上昇へとつながって行く。これに伴って寺泊会という、都会で運営する、いなか通信サイトも、うなぎ登りでヒットしているのではないかと、分析した。これでは制作に手が抜けない。
当編集部も他のサイトを「せきまき」するようにならなければ。
この一部始終を知る、2011年1月20日のNC9ウォッチングファンは、おやっと思ったに違いない。大越さんは優しく笑顔で「せっけん」ですよとつぶやいた。実は原稿の最下段に「席」そして改行した次ページトップに「捲」となっていた。しかも用紙は2枚に跨っていた・・と推測する。

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入局以来政治部で仕事をし、優秀な取材では定評があり同期入社だった 民主党・安住淳衆議院議員は、 「あらゆる事に、ずば抜けた才能を持ち合わせていた逸材」と 評価している。但し、これは週刊誌ネタなので、安住淳氏に直接伺おうと思って、秘書経由でインタビューお願いを出してから、だいぶ時が経ったもまだ実現してないが。二人のエピソードはネタになるのに。


「つぶやくような おじさんのささやき」こそキャスターの魅力
こんな基本条件を兼ね備えた大越健介氏。
ニュースオーダーが変わるたびに、ささやく本番中の小さなつぶやき。
 大学野球の神宮球場のニュースでは
「僕もここでホームランを打った事があるんですよ」
 高校野球で甲子園の話になると
「僕の新潟(高校)は、まだ一回も出たことがないんですよ」
石川遼が全英オープンのラフで苦戦していると
「僕がこのホール代りましょうかね」
賞金の高い試合が,目白押しの、2010年11月のPGAトーナメントでは
「高額賞金を目の前にして、よく繊細なプレーができるものですね。私なんか△※□・・・」。

などなど、時にはおやじギャグになってしまうこともある こうなると、青山キャスターは、 聞こえなかった事にしてさっさと次のニュースへと話題を変えてしまい、「しょうがないわねえ、この子は」とでも言いたげになる。

 多くの大越健介ファンは、彼が女性キャスターの方に体位を開いて、 少し首を右に廻しながら両目を右側にまとめて何気なくつぶやく姿と その言葉こそ最大の魅力と受け止めているようである。
 
だが、9月3日の番組では、2日前の菅首相に続いて、小沢一郎氏をスタジオに招き、政治部の記者時代から身に付けた、適切な質問を投げかけ、相手に語らせる手法も素晴らしいものがあった。2010年の政権交代劇は、同番組を再生することは不可能なため、日テレニュース24のフリー動画で再生しながら検証するとわかり易い。

 
大越さんの魅力は「パートナーへ本心で発する、こころ遣い」

かつて、青山キャスター現役の頃、長野への出張レポ^ートが懐かしい。彼女の小澤征爾についての取材に対して、感想を「良いインタビー経験をしましたね」・・思いやりのある、つぶやきは、深みのある語りかけであった。
前日のソニーのウォークマンがアップル社i-pod製品の販売台数でシェアを抜いたニュースには, 「自分のようなオッサンには・・」とこの方ならではの、アナログ人としてのお言葉を発
せられた。
いつも「さらっと発するつぶやき」。 これを期待しながら、今か今かと番組を見ていると1時間はすぐ終わってしまう
「夜の9時と言えば皆さんが家庭で寛ぎの時間帯ですから、肩が凝らないようにニュースをお届けしております」とインタビューで語ってくれた、番組の編集制作責任者としてのコンセプトが、いつも生きている。
2010/9.11早朝の寺泊海岸

東京で新潟県出身ですと言うと、すぐ、雪が多いんでしょうと十日町や湯沢あたりを想像されてしまうが、長岡市寺泊では雪は少ない、その代わり冬場に吹き荒れる強風は半端でない。200年前にはこの道路はなかったが、さすがの良寛もこの強風下では、どこかの庵で過ごしていたに違いない。
雪の寺泊。この風景が何日も続く事はない。魚のアメ横通りあたり、左側の大駐車場には珍しく、車が1台もいない。・・・2010年2月6日観光協会ライブカメラより・・・真冬の海は正に鳥羽一郎の演歌の世界、波しぶきと かもめ飛び交う海景色。これが見たさに冬の寺泊を訪れ、カニの宿に泊り、きんぱちの湯につかったあとの一杯が、たまらんらしい。


雪より怖いのは強風である{11月9日の日本テレビより・ニュース画像コピー)

風速も30メートル近くなるとニュースになる。実際11月8日に吹き荒れた日本海列島強風は全国ニュースとなった。寺泊がニュースになるのは魚のアメ横関連か、夏の水難事故、そして大型台風並みの強風が来襲する時である。事故さえなければ日本海浪の巨大うねりと 岩に砕ける波しぶきの眺めも、絶品一興である。天然の音響はアンプを介してスピーカーから出るロックバンド音の比ではない。但しアリーナを満杯にする程の観客はいない。これは地元人でないと味わえない。これを知った旅人だけが、この時期に寺泊の宿を予約する。それにしても、この風速計はどこにあるのだろう。
 北日本などを中心に暴風 山形は風速28m だそうな。

寺泊に帰るのが楽しみだった

春夏秋冬、寺泊は生きているが、大越健介さんは3歳ころまで旧寺泊町(4区・蔵場町)で過ごし その後は県の職員をしていた父の転勤で 県庁所在地の新潟へと移ったが、夏休みや冬休みの度に祖母が住む 好きなふるさとである寺泊に帰っていた。
 父の菩提寺は、東京寺泊会発祥の祖・聖徳寺さんである。
「昭和36年に生まれた私は、寺泊の風土で育ったので特別な意識をしないでも、てらどまり、が故郷と思っています」。

水平線が長い2010年9月11日、土曜日のライブカメラで見た寺泊港の朝は素晴らしい。そして、夕方になると佐渡に沈む日本海の太陽、こんな,郷里が大好きだったのだろう。
    ▽2011年1月9日()雪が薄化粧をしてくれた。朝の強風も収まり良き眺めなり。




同じアングルでも寺泊の晴天は女心の如くで長続きしない。東京から富士山が見えるような晴天の朝の、日本海側は概して荒れた日が多い。2010年12月27日の寺泊の朝。波高しで風強し且つ寒い。これが寺泊の魅力なんだと気がつくのは、土地を離れてからだろう。額に飾られた寺泊在住の画家橋本直行氏が描く200号の油彩なら、鉛色の天は大作で銀座の画廊に飾れば、200万円の値があるのだが。
この色で、松本清張は人々の心をイメージして、昭和時代を見つめて多くの作品を残した。
地元で生活している人にとっては、忍耐のいる瞬間である。

2011年1月25日火曜日・早朝6時過ぎの寺泊港。雪も止み、夜明けの地平線が、また見ものだ。
旅行すればこれに波の音が聞こえ、シーンを盛り上げてくれる。「そうだ、寺泊へ行こう」。

 
荒れても必ず収まる日本海、絵のような真っ赤に染まるシーンの前には、これまたロマンチックな凪の海面で、これから水平線に沈むからねと、囁く太陽と岩辺にささやく静かな波の音を楽しむことが出来る。夕方の寺泊は何度もお色直しをしてくれる。良寛禅師も、その妹の「むら」、古くは順徳上皇から日蓮上人、水上勉も大越健介もみんなこの地に惚れてしまう。熱視線が恥ずかしくて、水平線は、だから真っ赤に頬を染めたのか。
 
 
夕陽に染まる日本海もこんな瞬間を経験しているからこそ、心から癒されるのである。夕方5時には、「東京寺泊会生みの親」、古刹・聖徳寺の鐘の音が。ゴ〜ンとなる。夕日が沈んだ先は佐渡島。流刑罪で波待ちをしていた間に「塩たき節が誕生。
次頁の、塩たき節ものがたりは、長岡市の指定民俗芸能に登録されている。寺泊ファン必見の舞踊である。音程が高く、一曲唄うと、もう2度と唄いたくなくなる、といいながらも、挑戦しておられる継承団体が保存している。



ふるさと新潟そして・・・新潟
ご自分のふるさとや新潟に対しては、常時、こころに深く抱いておられ、話題がここに連結する、例えば9月10日に放映された、最新の東京・銀座の様子の取材ニュース直後の感想では、久しぶりの直接単語が使われた。
「全国どこでも銀座と呼称されている所はたくさんありますね。私が住んでいた新潟にも西堀銀座がありましたが・・・青山さんの方は○x□※。。」と、隣に向けた。出身地の広島をめったに前面に出さない女性アンカーには、このつぶやきは、大きく発展しなかったが、2か月以上前の高校野球関連のニュースで、はさんだ「私の所の新潟高校ではまだ甲子園には、・・・」以来のお言葉であった。  
 
   
佐渡高校選抜出場
   
さて、年は変わって2011年・春の選抜高校野球大会に、21世紀枠として新潟県立佐渡高校が選ばれた。
 NC9ではきっと話題にするだろうと、期待していると案の定、スタジオ皆で、大越さん良かったですねえと笑顔が浮かぶ。
今では新潟ニイガタとアラフォーの言葉に、青山さんも一柳スポーツキャスターもすごく敏感に飼育されておられる。この雰囲気で、この言葉がでるとスタジオは大盛り上が りになる。
(  新潟高校時代に)3時間かけて佐渡(高校 )のグランドへ練習試合に行ったんですと
述懐する大越氏は、アナログ派だけに、スマートフォンのニュースの後に、新潟情報を発信するチャンス到来の2011年1月28日(金)となった。

              ●    ●


兄が私を野球の道へ導いてくれました
兄とは時間さえあれば二人でキャッチボールをしていました。 野球に夢中になる事の、面白さを教えてくれたのです。小学校へ入ると少年野球チームに入り、中学校・高校と野球部でした。 兄と同じ新潟高校に入学した頃には、彼は医師になる事を、考えていたようでした。

 3歳年上のお兄さんとなる大越章吾さん(現・新潟大学・医歯学総合病院第3内科・准教授)は、新大(医)を卒業後は、大学院を経て、東京の国立ガンセンターで、肝炎ウイルスの研究をされ、1990年・医学博士となる。癌研有明病院でも、論文は生きているはずである。(写真は、癌研有明病院の5階テラスで撮影)

正に誇りとすべき 寺泊出身者のひとりでもある。 各地で開催される肝炎に関する講演会にも出演し、パネリストとして 時折、講演や解説をしている。
 

東大野球部時代
 東大野球部時代は、投手としてサイドスローの投球を貫き 神宮で50試合に出場して8勝の実績を残したエースだった。 東大出身の投手には1960年岡村甫氏(前高知工大・学長)が 記録を作った、71試合で17勝した記録があるが、歴代5位となる 大越氏の記録も優れたものである。 入学した年1981年は早慶から勝ち点をあげて 赤門旋風とメディアで話題になり、東大最強時代を造り上げた。 ここの大学のチームなら 1試合9イニング最後まで投げれる確率は一番多いだろう、 との東大野球部入部の動機は、見事に的中した。
サイドスローの話はエースだった大越氏を知る者の常識であるが
今年の神奈川県大会決勝線で横浜高校に勝った、プロ野球の各球団が1位指名を狙っている、東海大相模の 一二三投手も同じフォームである。
八月一日に番組中で この投球フォームのニュースが流された際
大越さんもきっとこの事に 触れるに違いないと期待して番組を拝見していると
案の定
「僕の投球も最初はオーバースローだったたんですがと途中からサイドに変えたんですよ」 と、
大きくささやくと、隣の青山キャスターも身を乗り出し 「まあ、そうだったんですか」と、このささやきは盛り上がった。
  この直後の「オーバースローからサイドに変えて勝ち進むのは大変なんです」と
自分を振り返ったつぶやきは、大きくは話題にしてもらえなかったが。ところが、このつぶやきは、平成22年夏、第92回全国高校野球選手権の、一二三投手物語へとつながって行く。


▼▼[一二三投手のサイドスロー物語]2010年8月20日ニッポン放送。高嶋ひでたけ「朝ラジ」の番組より、高嶋さん朗読の「スポーツ人間模様を東京寺泊会だよりが脚色公開。 

2010年春、巨人の原辰徳監督は、遠征先の宿舎で一本の電話を受け取った。親父に母校の監督になれと指名され、東海大相模の監督をしている、後輩の門馬敬治からだった。
この年の選抜大会・初戦で敗退した直後、一二三投手が投球フォームを変えたいと言ってるが・・・との相談であった。夏の甲子園出場に向けて、チーム一丸となっていた5月、オーバースローのフォームが定まらなく、練習試合で結果が出せない、すべては自分の責任だと、一二三はひとりで悩んでいたのだった。一二三がサイドスロー投球法に気が付き、閃いたのはそんなときであった。

▼▼続く●●●
                     


今夏の甲子園大会の報道が楽しい 。3回戦を勝ち抜いて、快進撃を続ける新潟明訓高校・4番の柄沢君が寺泊出身であることに加え、ニュースウォッチ9にも、何かある度に面白いことが起きそうである。大越さんご自身の長男も日大三高当時、甲子園経験者である。話題は尽きない。

キャスターの大越健介氏は東大3年の1983年に、日米大学野球選手権に出場している。
 この年の東大の春秋の6大学野球の成績は5位であったが、リーグを代表する選手として 国立大からは、初めての抜擢であった。

記者・・出場されたご感想はいかがですか
大越・・僕はこれで「NIIGATA」「TOKYO」「JAPAN」とすべてトップのユニフォームを経験しました。(同氏のブログより

 同時期に6大学野球で活躍しプロ野球選手の道を選んだ選手には 小早川毅彦(PL学園・法政・ドラフト2位広島)、  広沢克巳(栃木・小山高校・明大・ドラフト1位ヤクルト)、 木戸克彦(PL学園・法政・ドラフト1位阪神)などがいた。
彼らは大学野球界でトップレベルにいたアスリートである。
これと同等で称されるコンピテンスを持って、東大野球部に在籍しておられたのが、寺泊生まれの大越健介氏であった。


▼▼
さて門馬の話を聞いて「身体が憶え、完成までに10年はかかる。今年の夏に優勝を狙うんだったら、そんな無茶な事やらすな」と原は反対した。
門馬は、一二三の筋トレを自分の目で見ていた。ペットボトルに水を満たし、2キロ近い負荷をかけて一日3000回も、横手に振りぬくトレーニングをしていたのである。門馬は原先輩には、報告だけにとどめ、フォーム改革を容認せざるを得なかった。

その一二三はサイドスローに変更した夏の2010年8月20日、甲子園において準決勝で、成田高校を相手に9個の四死球を与え、14安打を浴びながらも完投勝利し、40年ぶりに東海大相模の決勝戦進出を果たした。
大越さんのつぶやきが楽しみである。昨日19日は青山キャスターが休暇中で、掛け合い漫才こそなかったが、高校野球から目を離さない氏が、隣の女性スポーツキャスターに「野球仲間と話してたんですけど、ここまで来ると、球児の力の差はなく、皆が横一線ですね」とコメントしていたが、高校野球を語り合える「野球仲間」とはどなたであろうか。県高・新潟高校の野球部仲間か。まさか東大ではあるまい。
これはご自身の3人の野球好きな息子さんたちに違いないと、勝手に解釈してしまった。
女性キャスターに語りかけた、サイドスローにおける大越さんのつぶやきこそ、日本で最も、横手投げ投法を実践し勝利する難しさを知った男、の言葉であろう。

▼▼

決勝戦でもこの投球スタイルを崩さず、門馬敬治も一二三投手を信頼し、想像を超える多量の点差がついていても、限界まで先発投手を変えなかった。試合終了後に、一二三慎太は甲子園のグラウンドで、興南のアルプススタンドから沸き起こる指笛と嬌声を聴きながら、僕は今のフォームに自信があった、だが「プロに入っても通用するかなあ」小さくつぶやいて、あこがれのグラウンドを後にした。その彼が日本のプロ野球入りの志望届を出したのは2010年10月13日のことであった。
自身の出身地である関西の球団にでも入れば、この記事の続きを書くだけであと10年は持つだろう・・・・・・・・・・・ ・・
一二三投手物語の項は、ひとまず、おわり。敬称略。・・・ ・・・◆

運命のドラフト会議は、2010年10月28日(木)今春東京新潟県人会新年祝賀会の会場と同じ、グランドプリンス新高輪・飛天で開催された。ここのステージには1月に芸能大会で司会として上がったが、スピーカーが天井でもホール後方席の音量は、会場を包むように聞こえ、気持ちがいい。クリスマスシーズンには、加山雄三や、著名アーティストのディナーショーで満席になる。

早大のスター投手に1位指名で、交渉権を持つ球団が決まるや、関係者は満塁打を放ったような嬌声を上げた。
この日の大越氏の番組は開始早々から1/2を占める,約30分を、ドラフト関連のニュースに費やした。「6大学野球に関わっていた自分としても・・・」思い入れが深いのであろう、・・と切り出し、プロとして巣立って行く前途ある若者に、熱いエールを送った。

そのスター投手こと、早大・斎藤ー大石はドラフトでも、スター扱いであったが、2010年秋季リーグ戦では10月2日第4週1回戦で両エースが登場するも、4−2で珍しく東京大学に敗戦していた。東大は6大学野球に於いてリーグ戦35連敗中であったが勝利の記念大会となった


日、神宮の応援席で観戦していた東大の学生数は、早大より64人少ない258人(東京大学野球部HPより
であったが、2戦3戦と逸したせいか、OBキャスターさんは、当時、この話題につぶやかなかった。ただニュースウォッチ9番組でのドラフト関連放送中のネット検索は一斉に、この寺泊会だよりのページに飛んできたがその目的は判らない。(ページ下段に検証エビデンスのグラフあり)

つぶやきには、野球関連が圧倒的に多い、2010年10月11日、体育の日の話題では40歳代の体力がテーマとなり、この年齢層は、使わないと坂から転げ落ちるように筋力が衰える話に飛んだ。
「この前久しぶりに草野球しまして」と切り出し、フライが飛んできたのでボールの落下地点まで走り込んでキャッチしようとしたら、なんとボールは2メートル位後ろに落下したのでした
「あの頃の俺は、一体どこへ行ってしまったのだ」とかつてを反省し懐かしむ。
久しぶりに女性キャスターが「野球のエースだったあなたは、まだ40代でしょうが」と話に乗って来た
 


すかさず 「青山さんも間もなく同じ40代にどっぷり入るはずですよ,※x◇・・・」と49歳の大越氏との掛け合いが始まった。
これこそテレビ桟敷で、待ってましたと叫んでしまいたくなる。民放なら草野球シーンを放映したに違いない。
     
主婦の勘は当たる

青山さん結婚するんじゃない。だって去年の暮れ頃から、「お顔がずっと輝いているんですもの」。
結婚するのかしら。「女って結婚の決意をした時が、人生で一美しくなるものよ」。毎日欠かさず、この番組を見続けている女性視聴者たちのこんな話題が、耳に入ってきたのは、寺泊会だよりに、彼女の写真を掲載してからであった。
責任感強く負けん気の彼女の目は、画面からは、かつては女刑事の眼であったが、平成23年は、天使のような優しい瞳にかわっていた。それでいて、大越さんの言葉を包み込んで、番組のオーダーを進行させている。こんな感想をもってすごしていた2011年1月17日の早朝、ニッポン放送、高嶋ひでたけさんの番組で青山さんが1歳年下で、37歳・会社役員の男性と結婚される(スポーツ紙の紹介で)ニュースを発表したのであった。この手合いの話題はメディア発表の前に、ここで書いておけばと、歯軋りする、我が編集局の朝となった。だが、この日の当サイトは、24時間中、約90秒に一回の訪問者で、あふれる、ありがたい結果を残してくれた。
かくして主婦層の眼力は近頃の彼女の変貌を、すばやく見事に見抜いていた。こんなパワーを持つ主婦層だから、サラりーマンのおじさんたちが会社から帰宅後、かわいい嘘をついて、奥さんから小遣いをだまし取ろうとすると、顔に現れ、すぐにばれてしまうのである。

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年齢の話題にはキャスター同士の反応が速い。
大相撲11月場所9日目、場所が地元の魁皇・1972年生まれながら、いつものように連敗もせず、すこぶる元気いい。優勝戦線参加中の8連勝、今場所はまだ一敗しかしていない。もしかして優勝するかも。
スポーツアナが、この年齢でよく頑張っていますよねと持ちかけると、
女性キャスターは、「38歳頑張れ」ですねと反応。
大越キャスター・「妙に強調しますね。(青山さんも)お同い年ですものね」。「ええ、私も、まあ、つい。△※○x」。 このひと月あととなる、12月27日に米国の大学在学当時、アメフトをやっていた屈強の体格を持つ、男性のプロポーズにOKをだす、彼女の誕生日であった。38歳へのエールは自身へのお言葉だったに違いない。
さて、結婚報道がメディアに周知されて、最初となるニュースウォッチ9は、2011年1月17日の夜9時である。大越氏の第一声はどんなおことばであるかが、これまた興味深い。きれいな白い歯を、一層大きく開けての御祝言になるであろう。サッカーアジアカップ第3戦直前のハイライトに、目を離す話ことが出来ない。民放のように、ワイワイとした場面は抑えるに違いないが。(午後3時記)。

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仕事をするなら新しい世界にチャレンジしよう

大学4年の頃、自分にも、当時社会人野球トップの球団から強烈なオファーがあった。だが、 大学を卒業した後は、これまでと全く異なる世界を覗いてみようと、 マスコミ・報道関係の仕事を選び日本放送協会(NHK)に入社した。
 
東京寺泊会からのアプローチ
NHK入局直後の昭和60年から約4年間は地方局に勤務していたが その後中央に戻り、政治部記者として橋本龍太郎元総理の番記者や 自民党派閥の経世会担当として時折テレビで取材報告をする。 また、解説や選挙報道の番組に顔を出すようになると 東京寺泊会の懇親会があるたびに、 会の中では、大越さんの話題が飛び出し始める



「大越さんがNHKのアナウンサーになられたそうな」、 などと勝手な解釈で納得して、 来賓として東京寺泊会に来賓招待したらとか 講演会を企画せよと、寺泊会の役員に話が飛んでくる しかし、平成17年には、ワシントン支局勤務を知ると こんなに遠方では、とあきらめたが、帰国のニュースでその声再燃。 取材地・NHK放送センター(渋谷)
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