◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

スマホ対象の枠組みで制作していないがPCだけでのアクセス表示75万超、「角上」・「寺泊出身」OR「脳の学校」の検索が殺到する好現象。確かにテレビ出演の影響は大きい。
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寺泊の祭りを覗きませんか

5月は寺泊の大祭の月である。祭の前夜は興奮し眠れなかったと今は古希が中心年齢の
寺泊会会員たちが、悪ガキ時代を昨日のことのように思い出す。


あれから60年が過ぎたが

東京寺泊会の4区出身者が気にする訳。


当時少年だった同郷4区同年齢の

 

幼なじみたち何人が、頭になって、カグラをかついで町内を走りぬくかの野次馬的根性である
こんな話題が、平成29年4月23日(日)東京芝増上寺近くのホテルにおいて飛び交う。


東京寺泊会創立62周年大会の話題になる。

昨年の3区といえば、成田屋のアキラさん、田村屋のヒデオさんもあれから60年で70代。
年月経過すれど、寺泊「町」が好きな粋人、老眼鏡かけ元気に神楽のシッポつくりで、後輩の先頭に立つ

平成28年5月の例大祭では、3区が神楽当番がであったが、

今年は4区が当番です。4区関係者の当日雄姿詳細写真は

寺泊観光協会リンクの5月寺泊ウォチングでアップされている。

ちなみに去年の3区関係は「3区当番編」 [5月当日偏」で見られたい。件の輩の雄姿があった。

町当番(かつて寺泊は町役場が決めた地域セグメントとして1〜6町内に分割されていた)としてリーダーシップを発揮して親方をこなす、成田屋さんと田村屋さんなど・粋人お二人の御姿は、
さすが上田町代表である・・と首都圏で活躍する3区出身の東京寺泊・上田町人会、故外山健太・会長(上田町)、清水屋の清水文隆・理事(上田町)、更に河忠の河合忠治氏(上田町)、皆さん寺泊の3区上田町出身者で、古希は通り越したが、東京寺泊会には元気に集まってくれている。寺泊会の役員たちも感心しきり。本稿の白黒写真2枚は90年前と60年前の3区の大小カグラ衆。

寺泊観光協会にもない貴重なフィルムとなっている。寺泊会の会員たちが保存していた。

 白山媛神社の記録DVD

     ◆
戦前当時らしい昭和X年5月の3区・上田町組存命されていたら全員150歳以上
ひと昔前は、どこのの衆のカグラかを示すため、走り手も、タスキをかけていたという。3区なら「上田町」とした。戦後間もない当時の写真を入手した。証拠となった。2016年は
3区の当番だが,かつて4区のような複数の町内で構成される区だったら、どこの組にしてあったのだろうか。先人たちからの古写真歓迎。(上記のリンクページは寺泊観光協会のHPを無断借用)

漁師町寺泊の5月は賑やかである。寺泊町・・時代は変っても東京寺泊会人だけは「長岡市の寺泊でなく寺泊町の寺泊」と呼んでいる。その寺泊の鎮守様、白山媛神社の春季大祭が毎年5月3日に開催される。

この由縁や関連神社の詳細と行事の一部始終を記録したDVDが寺泊在住の長谷川昭平さん(小川町在住)から東京寺泊会に提供された。記録映像に合わせて、丁寧な解説付きで、祭り行事のすべてが理解できる。記録は昭和58年5月の映像で当時の人や家並みが懐かしく映っている
学校の教材に最適である。

4月4日の東京寺泊会懇親会で大会案内書の表紙に使って宣伝した。
寺泊はかつてイワシが大漁に摂れ、5月頃には、浜辺はアミにかかったイワシで溢れていた。その名残でこの祭礼は別名「鰯祭り」
とも呼ばれている。中でも勇壮で元気なカグラは、毎年各区の持ち回り制で、平成28年は3区が寺泊町の神楽当番である。このディスクでその足取りの詳細が判る。おとなカグラと子供カグラで狭い寺泊町はワッショイワッショイの掛け声が轟く。カグラのかしらにかじってもらう(正確には神聖なるお祓い行為を頂く)と勉強は1番になり、病は治り、曲がった腰はピンとする、持病のひざは痛み消滅、借金は返済のメドが立つ、万事これ息災・・とか(いずれも寺泊会宴席での会話より)時代が変わってもやはり「ふるさと」の歳時記として残したい行事である。

寺泊の小中学校の教師にも、このDVDで勉強してもらおう。そして子供たちに興味を持たせ次代につなげたい。
ところが、寺泊の行事に無関心な赴任期間だけのチョンの間、寺泊在住長岡市民となる、公務員先生ばかりでは無理かもしれないが。もっと心配なのは、こどもカグラを担ぐお子様達の減少であるが。
約60年前 昭和32年頃の上田町を中心とする3区の子供カグラ。

平成18年も3区が当番になるから、テレビ局呼んで「60年後に集まった昭和の少年たち」と題して、イベントやろうと話があったが皆さんは、結構現役で仕事が有るからし多忙とか。結構いい絵になると思うが。
写真の最前列左は、今も地元で石川モーターズを経営しているが、レンゾーとよばれていた。2014年度の、古希組である。同期には山田栄三郎(きんぱち)社長がおり、古刹法福寺の57代住職ケンジ様も同期である。

2014年度には、古希祝いの集いを開催。会場、宿泊はもちろん きんぱちである。開催に積極的なのは、どの会も女性陣だけが積極的で、その年に古希を迎えた昭和19年(1944)生まれ組は元気組が多い。平石久子氏(浜っ子会)もそのひとりで、東京寺泊会の会場で、塩たき節の地方(じかた)として見事な三味線を披露してくれた。ただ、古希の集いがあっても、都合のつかない我々のように、都会在住で「不参加」とはがきの返事を出した男性陣は、女性陣が発する、なんでふるさとへ来ないのと追及される、応分のプレッシャーを、当面は覚悟せねばならないのが、デメリットであるが。

この予防策として、2014年4月に開催の東京寺泊会に参加した若年層となる古希組を集め、事前に祝宴を挙げてしまった。だが郷里の行事に熱心な諸氏は6月大会でも参加する由。だから世の中は何の争いもなく、うまく運ぶのだろう。健康なうちに、皆のお姿を見ておかないと東京オリンピックまで持つかと、心配になるのかも知れない。人生さまざま。今年も70歳をお迎えの寺泊出身者多数が寺泊に集まるが、その中の一人でも東京寺泊会に興味を持って、伝統ある寺泊会のカシラに、来年からでもなってくれれば嬉しいのだが、最初の一歩がバリアが高く、飛び越せないのだろう。


所で、3区は法福寺の下あたりから始まって弥彦山方面に延び、今は道路になっているが、かつてここに建ってた金内さんの家の隣迄が、4区との境界地域であった。

この境目には細い川が流れていて井戸もあり、きれいな真水が沸いていた。近所の子供達は、海水浴帰りに、ここの冷たい真水を「白い6尺ふんどし」か「黒いモッコフンドシ」のまま頭から水をかぶり、時々局所にかけて「シャッコーーイ」と叫びながらシャワー代わりにしていた。ピーピーキャーキャーと騒々しかった。塀越しは茶の間つづきの庭になっていた、金内さんちも騒音でうるさかった事だろうが、人のいいキセばあさんからのクレ−ムを聞いたことがなかった。ちなみにシャワータイムで一番込む時間帯は午前10時頃と、夕方遅くなってからである。日中のお天道様がギラギラする時間には暑過ぎて世間の衆にゆずり、町の子供はゾロゾロと、家路につく。日陰でトウモロコシでも食べながら、将棋をして遊ぶか昼寝する。地元の子供達は、海での日射病を避けて、紫外線の強い危険時間帯で泳がない訳である。こういう風習は、地元の先輩が体で教えてくれた。

この時間帯は遠い世間から、といっても、県内の三條や長岡あたりであるが、遊びに来る海水浴客に譲ってしまう。一方、カアチャン・バアチャン連中は、この小川を利用した冷たい流れ水で「オシメ」を、洗濯板を使って洗ったりし、ISO14001の環境要求事項には不適合となるが、その廃水は海まで堂々と流していた。海までの砂浜部分が短かったので、自然の川筋が浜茶屋横の砂浜に造られていたのである。平成22年の全国の子供数1694万人・総務省4月1日発表・当時の日本の子供は今の2倍の約3000万人、人口の3割近くもいた。2014年の日本は、人口の3割近くが高齢者になってしまった。ガキどもと呼ばれていた少年たちは寺泊町もワンサカいた。「チャンバラ」や「パッチ」「カンケリ」「ビー玉」で遊ぶ姿は、寺泊町のどこで見られた。今、このカグラ少年たちは、皆さん全員、健康が気になる世間同様の高齢者となり、人口構成が昔と逆転している。
(本稿は感動を得るため、あえて長岡市寺泊としないで合併前の行政地名、寺泊町を使用。)

寺泊町は平成28年には存在しておりません
日本全国、南も北も、共通の現象だ。寺泊のライブカメラで寺泊を俯瞰
















写真提供者様。確かに「…」組のタスキを確認いたしました。前列左は山ノ町の坂の上にあった、「やなぎや旅館」さんのおとっつあんでしょうか。(写真提供者様さえ、はて?と考え込む)

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