◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

スマホ対象の枠組みで制作していないがPCだけでのアクセス表示75万超、「角上」・「寺泊出身」OR「脳の学校」の検索が殺到する好現象。確かにテレビ出演の影響は大きい。
<< April 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 水上 勉 の著書 「 寺泊 てらどまり」 | main | 寺泊の祭りを覗きませんか >>

寺泊の塩たき節物語

寺泊会創立62周年記念・芸能編

 

 

 寺泊の伝統芸能を守る人たち。




 長岡市伝統民俗文化財
◇寺泊「塩たき節」のご紹介◇



 

    財団法人 地域文化創造
    写真掲載許諾済

 

寺泊は、別名をフンドシ町と呼ばれ、その名の通り、

近年になってから一区の松沢町とか六区の白岩などの

町名を付けたが生活道路に欠かせない

一本道が、弥彦山麓まで続いていた。
大河津分水が、寺泊の海岸まで流されていなかった頃は

野積橋もなかったし、良寛も夕日が沈む佐渡島を見ながら、
弥彦山の
中腹にある西生寺まで、テクテクとこの狭い

フンドシ道を歩いていたであろう。

ベストセラー作家・水上勉がこの浜道を歩きながらその印象を
短編小説「寺泊」を上梓したのはこの良寛が縁であった。
寺泊の製塩業は、この時代より遥か昔となる2千年前、神代の
時代から始まっていた。シオ 貧者も富裕者も生活の必需品だ。

弥彦山の西端は、寺泊町から眺めると、佐渡まで続く日本海に

接するなだらかな恐竜のしっぽのようである。

弥彦からはこれが見えないから、蒲原郡地方出身者はこの

イメージを知らない筈である。

その山麓部分には、何やら大きな洞窟らしきものが見えるが
伝説では、ここに「天香山命」が、南国から海路を経由し、
渡り住んでいたとある。

のちに弥彦神社に祀られる、越後の産業をもたらした、
いにしえの恩人は、2000年以上も前に野積を根城にし、
稲作・製塩・漁労そして酒造り等を教えていた。

このお陰で寺泊は、「農・漁・酒」を男手が担い、

オナゴ衆は

せっせと重い桶をかつぎながら「塩」で稼ぎ、

まさに潤う集落となったはずである。

時は経て、奈良時代あたりからは、寺泊の港は、

当時の遠島、佐渡島へ流される、流刑人船着き場の役割を果たす

事となり、重罪なる政治犯と裁かされ、その烙印を押された
彼ら職位は寺泊部落には縁のない都人、能楽師・上皇

高僧・音曲/歌人などがひしめく。

 

知識が有り、芸術感覚あふれる、職種様々な尊い罪人たちが

寺泊港から、遠島とされた佐渡島へと送り込まれる。

今と違って、船に原動機はなく島までは、はるかに遠く

下手すると鬼が住んでいるかも知れないと思ってたか。

何しろめったに上陸したことのない島である。

寺泊伝統民族芸能の源流

実はこれが寺泊に優れた文化と、格式高い芸能を運び込んで

くれた源流となったのである。

都から引き連れてこられた罪人たちは、三国峠の山超え、

やっとこさ、寺泊へ到着しても、即刻佐渡へ流されることは少ない。

いつもは夕陽輝く、穏やかな日本海を抱く寺泊であるが、
晴天の日は何日も続かないから
手漕ぎ船同様の、罪人を乗せるみすぼらしい、小さな舟は、
波風に弱く、少しの荒れた海でも出船できない。
そこで海の鎮まるまで、舟は何日も港に繋がれ、
寺泊の陸で待機せざるを得ない。
- | permalink | - | - | - | - |

スポンサーサイト

- | permalink | - | - | - | - |