◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

スマホ対象の枠組みで制作していないがPCだけでのアクセス表示75万超、「角上」・「寺泊出身」OR「脳の学校」の検索が殺到する好現象。確かにテレビ出演の影響は大きい。
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 東京寺泊会誕生物語と歴代会長の顔ぶれ


 寺泊会創立62周年記念稿


昭和32年春から平成29年春・・感動の東京寺泊会歴史物語
詳説:初代小林源次郎から9代外山健太会長

 

そして平成29年4月寺泊会に届いた2通の訃報



寺泊会創設の父・小林源次郎の夢


昭和29年、大田区糀谷で奮闘する越後出身の実業家がいた。
小林源次郎氏、愛称「コバゲン」がその人である。
自分の生まれ故郷「てらどまり」に人一倍の愛着を持ち、
その想いを大切に育てあげる。

コバゲンは年を重ねるたびに「寺泊の身近なたよりを、
遠く離れて生活している同志に何とかして伝えたい」と
事業欲の如く郷土愛に対する情熱の炎をたぎらし、
常日頃から、その手段実現を夢見ていた。

日本海・寺泊にあるコバゲンの菩提寺・聖徳寺・窪沢泰忍住職にその声が届いた。
当時聖徳寺では、「寺だより」を発行していたが、
その内容は専ら檀家さんのたよりで
「ふるさと」に特別な重きをおいたものではなかった。

「資財は自分が提供する。是非とも形ある新聞を作ってくれ」。
説得に力の入る小林源次郎氏。
住職は熱意に圧倒され
「郷土史家の青柳清作さんが記事協力して下さるなら」と
制作を約束。
かくしてコバゲンは
「寺泊ふるさとだより」誌の発刊スポンサーとなる事で
創刊約束を取り付け笑顔で帰京した。


小林源次郎氏の次なる野望

やがて輝かしく創刊号が誕生したのは、
これから更に2年が経過した昭和31年の秋であった。
待望の「ふるさと」の新聞も出来たし、このあたりで
在京寺泊人を集め組織的な「寺泊人会」を作りたい。

小林源次郎氏の夢は更なる意欲へ膨らみ、膨張が止まらない。
次の瞬間、黒電話に手を伸ばし行動に移す。
「聖徳寺につないでくんなせ」寺泊局の交換手に電話が入った。
小林氏が東京の工場から電話したのである。
「寺泊出身者の会やるすけ、そっちからも案内書出してくれや」
住職にドスの効いた声が入る。
「どこでやるなさるかね」。
「おめさんの顔で、どっかいいとこねえかね」。
しばらく電話が続いた。

住職は電話を切った後しばらく思案し、
浅草の西徳寺に聞いてみた。
ここは昔、聖徳寺の次男が、初代の住職に就任した寺である。
戦後復興の最中ながらも、寺院本堂地下部分は戦禍に晒されず、
十分な広さを保っており、
「寺泊人のお役に立つなら無償で提供しましょう」との
有り難い返事をもらい、すぐ小林氏にこの事を伝えた。

「東京寺泊人会」の幕開け
60年前、聖徳寺から寺泊人会開催情報が発信され
東京大田区・西蒲田在住の下鳥ハルさんにも1通の
案内書が届いた。

これが最初の案内書である

「東京寺泊人会(東京誌友会)のご案内」
  期 日 昭和32年5月19日(日曜日)
  会 場 浅草・西徳寺地下堂
  会 費 百円也



これが今日ある「東京寺泊会」の源流となり、爾来60年の間、
8代の会長に引き継がれ連綿と続くのであった。
下鳥ハルさん(旧姓・新谷)はお子さんがまだ3歳の頃で、
長女と一緒に参加した30代の当時を昨日のように思い出す。
久し振りの寺泊弁が浅草の街に飛びかった。出席者の顔ぶれは、
20人以上の男衆に混じって女性が数名。
かつて郷里寺泊で見覚えのある懐かしい顔。
conv0001.jpg現在も会にはお元気な姿で参加されている初回から参加の下鳥さん。(初回写真の前列中央お子さんと一緒)

自己紹介には「屋号」を使ったりして和やかな集いとなった。
初代会長となった小林源次郎氏は終始興奮気味であったが、
写真撮影の際には「皆さんが主役」とばかりに
後方に立たれていた。
その優しい心遣いが商売繁盛の秘訣だったのだろう。


小林源次郎氏倒れる

外見は屈強そうに見えた小林源次郎氏であったが、
実は持病が幾つかあり、心臓病とも闘っていた。
一方では時代を先取りした事業の隆盛で、
休む暇なく仕事に忙殺され、休日を返上する程激務が続く。
初めての寺泊会が無事終了した年の秋、予期せぬ突然の発作で、
絶対安静の状態となっってしまった。
その後は一時回復に向かっていた容態が、急変したのは
翌年の正月を過ぎ、寒い日が続いていた頃である。
昭和33年1月22日、誰もが信じ難い悲報を聞く事となった。

「初回東京寺泊会(誌友会)」ではあれだけ元気だった会長が、
2回目の大会を見ずして急逝された。
波乱万丈、62歳の生涯は余りにも短かすぎた。
これからやりたい事、残して来た事が山ほどある。
無情で深い悲しみの念は、言葉にならない程の衝撃として、
誰もの心に突き刺さった。

懐かしい写真が物語る東京寺泊会の変遷

初代会長亡き後、偉大なる業績を残してくれた
寺泊人の魂を受け継ごうと
「東京寺泊会」は1月に新年会、5月の総会、10月の秋季大会と
不定期ながらも、年3回も開催された年もあった。
ある時は聖徳寺が音頭をとり、
又ある時は会長任期を1年限りと決めて
昭和35年には、立派な髭をお持ちの古川原与市氏が就任した。
青木山、弥彦山の四股名で、
野積出身の相撲取りが話題となった頃である。
やがて1年が経過し改選の時期となった。

昭和36年、第5回寺泊人会で会長を継いだのは、
小川町出身の田村元嗣氏。
当時は川崎市に住んでおられ、
東京レース(株)を経営していた。
日本橋にある本社が寺泊人会の連絡事務局を兼ね、
案内書や写真の郵送なども会社の住所から配信されていた。

以降しばらくは田村氏が会長職を務め、
会場も靖国神社や三越デパート
熱海温泉などで、多彩な企画を設け、
12年間会長を務めたのである。

昭和48年、田村会長から引き継ぎ
新会長となって牽引役を担ったのは、
松沢町出身の石垣作一氏だった。

石垣氏は明治40年生まれ、66歳であった。
寺泊を離れ、柏崎や神田で調理師の世界で
修行し33歳で独立、
会長に就任した当時は、
江東区深川にある富岡八幡宮前の一等地で
参拝者が行列するほど名物の「とんかつ」専門店を
営んでおられた。

この頃から古川原実氏(磯町出身)は
寺泊会の運営に積極参加し
正義感溢れる心情を折り曲げる事無く
意見を述べる姿が魅力を呈した。

やがて昭和57年、石垣氏が退任し、
古川原氏が5代目の会長として
永きに亘りその手腕を発揮、更に平成10年から
三上喜久治氏が踏襲した。

三上喜久治(松沢町)は6代目として、創立50周年記念大会までの期間を会長として活躍された
大田区羽田の自社工場でレーザー加工会社の経営に携わっている英寿製作所)
最新鋭の設備は、文系の編集者では説明に自信がないが、2次元レーザーを馳駆して微細で高度な技術を備えておられる。
一方では町工場で高名な蒲田に隣接する羽田の土地柄、神社や交通安全から選挙投票立ち合いと多忙で、義理堅い性格が、町内会の重鎮として信頼厚く親しまれ、加えるに酒豪でもあり、己の人生を謳歌しておられる。
50周年では郷里寺泊の和太鼓連、25人も手配した。東京寺泊会創設以来の賑やかな太鼓の音が、芝・増上寺近くにある大門の通りを轟かせ、寺泊会の存在感を高めてくれたのが印象に残る。

寺泊和太鼓連が江戸に勢ぞろい
この頃からいわゆる企画モノが人気を呈し、その先鞭を作ったのが6代。会長の三上氏であった。
まだ寺泊が町だった当時で、町役場と寺泊会は一層の距離を近づて行くことになった。


創立50周年を機に第7代会長へバトンタッチ


■温厚な第6代三上喜久治会長は、第5代古川原会長時代の副会長であった。寺泊会の会長継承プロセスは、副会長から会長へ・・この連続である。即ち、時の会長が継承者を指名し,役員会承認を経て、すべてが決まる。

■第7代として受け継いだ橋本寛二も同様な手順で継承した。コミュニケーション文書構築のコンサルで、企業に硬派な、品質・環境マネジメントの審査登録支援を生業としながらも、軟派な歌舞音曲好きな橋本は、新潟県人会では芸能大会の司会を発足当時から5年連続で担当するなど、お馴染みの顔であった。ところが十日町や糸魚川など上越地方出身者のように、舞台に出て演じるような民俗芸能好きが、寺泊出身者には少なく、毎年芸能大会の舞台で司会を務めながら、一度も寺泊人の出演を舞台で紹介することがなかった。近年、長岡市地域振興課の協力で、ようやく郷里の酒造唄に辿り着くと、早速、寺泊会の交流会や、新潟市内のトキメッセでのステージで披露する機会を得るのであった。寺泊会の宴席に若いアーティストを呼び込んだのも、このころからであった。



■東京寺泊会だよりの制作開始は、寺泊出身でNHKの大越健介さんが、NY支局を経て日本へ戻ったころであった。何人かの周辺のロビー活動し、渋谷の放送センターでのインタビューに成功した。ご本人は本番前の多忙な時間だったが、社食で冷しラーメンを食べながらも、心良く迎えてくれて、寺泊談義に入り、ネットに掲載するやアクセス沸騰。現在も毎日アクセスは途切れることはなく、継続している。寺泊会だよりは、もともと寺泊で発行していた、「ふるさとだより」からヒントを得ている。編集責任者をされていた尊敬する中村住持の真似ごとをしただけであるが、これほどまで読者が増えるとは想像もしていなかった。




■だが、東京寺泊会だよりは斬新な発想でなく、その源流は60年前、初代会長小林源次郎が提唱した首都圏在住者向け「寺の、お檀家だより」である。時代は変わってネット配信の利用で、印刷費なし、郵送費なし、サーバー代なし、要るのは記事制作の手間と好奇心、知恵と老眼鏡だけ。これが、B型人間に合致する。誤表現クレームに躊躇せず、読み手側からのモンクを、ありがたきご教示と受け止め、感謝しながら迅速に修正処理。文芸誌会社からは東京寺泊会だよりを、出版させてくれとセールスが来る。だから寺泊にこだわらないで多様な原稿を作ってくれ、とお願いされる始末。まさか日本全国で検索ワード知名人になるとは。

■検索数が50万件を超えたあたりから、広告スポンサーをつけワンクリック100円でも課金できたら、たちまち5000万円10円でも500万、1000円なら5億になる計算でIT業界とは、これに似たようなプロセスアプローチで儲けているのかと地団駄を踏み、6本木の高層ビルで役員会を開催できる長者会になり損ねたこてねと度々役員会の話題になっている。

■橋本は、寺泊出身の杜氏組合を寺泊会に招いたあたりから、自らの会はもとより、OB会、同期会、同窓会、県人会、良寛会など大小雑多な会の雑務をこなしていた。しかしながら7代会長としての持論・会長任期6年説(3期)を貫きたかった。郷人会、同窓会は、会長が交代をする度に、これを機にと別の仲間が入会するのが定番である。従って任期6年程度が最適であろうと、次期会長をネットで公募したが適任者は名乗り出ず、慣習どおり、小林秀雄氏(当時副会長)に会長をお願いしようと思案していた頃、3.11 東日本大震災があり、寺泊会は創設以来初めて中止せざるを得なかった。待望の新会長が誕生したのはその2年後となった。



■平成24年4月の寺泊会総会で第8代小林秀雄会長は誕生した。それまで副会長だった、小平在住の小林秀雄氏の継承で、小林源次郎寺泊会創設60年の歴史も健在であった。新会長の小林秀雄氏は、寺泊・白岩に先代からの土地を有しているが、寺泊で幼少期を過ごしていなかったことを多少は気にしていた。寺泊会は、初代会長から7代目までは、全員が佐渡島を仰ぎ、浜辺で遊んだ所謂寺泊育ちであった。東京で生れ育ち、広大な土地や資産を所有する小林氏は、この俺でいいのかと、何度も固辞したが、役員会は御先祖がお住みになられた寺泊の為にと、嘆願説得を2年間継続後の実現であった。



■新会長の小林はあらゆるシーンで、常にトップの座での君臨がよく似合う人物。小平市議会議長、小平稲門会(早大校友会・37商)副会長、小平新潟県人連合会会長、氏が会に所属すると、必ず仲間からカシラの座を嘱望されるコンピテンス溢れた人物であり、寺泊会においても、副会長でおられるより、70代後半前に、第8代会長就任をお願いした。・・・
時には小平市の広大な自宅敷地において、小平稲門会の大餅つき大会も開催されている。
一方では、長年続いた交流会全員の集合写真撮影をここで廃止してから、第8代時代が出発した。

■会長を補佐する副会長職には外山健太氏と同期の平石国男氏が継続してその任に就き、
理事5名の内女性4名を携える、華やかな小林体制の役員構成となった。

平成15年度東京寺泊会役員構成

名誉顧問:小林正則・小平市長
相談役  :三上喜久治

相談役  :渡部作治
顧 問   :橋本寛二
会 長  :小林秀雄
副会長 :平石國男
副会長 :外山健太
理事  :石井光枝
理事  :相場要平
理事  :浅見幸子
理事  :上澤一子
理事  :寺坂寛子
 ◆寺泊会は常設役員会を、東京千代田区御茶ノ水に建つ
  ホテル聚楽に置いて不定期ではあるが会合を開催している。
  通常の役員会は日祭日を除いた週日に昼食会を兼ねて招集され
  毎回、会の企画運営に関する活発な議論が取り交わされている。


平成28年4月。寺泊会第9代新会長誕生へ。


■寺泊会は内規として会則に基づき、会長任期6年を貫きたかったが8代目の体調を考慮し、2年前倒しでの新会長誕生となった。会長選びはいつもすんなりとは進まない。そんな中朗報が飛び込んできた。

平成16年春めでたく、上田町出身の外山健太氏が寺泊会第9代会長に就任することになったのである。
何しろ会長職は、無報酬でプライベートの時間ばかりを、かなり割かれ、会長になったばかりに、趣味の時間にかけていた時間がかなり犠牲になってしまうから、懐かしい故郷の先人の想いを継承するためにはなると思っても、簡単に引き受けてしまうと即、会合参加のため、ほぼ毎月行事に参加させられる。

■行事といえば、行政鳴り物入りで設立された、越後長岡ふるさと会をはじめ東京新潟県人会に芸能大会、これに東京分水会、東京弥彦村人会様とのおつきあいが入る。以前はこれに出雲崎会、小平会、良寛会に十日町会があったが、新会長さんは、更に同窓会、同期会と、ゼミ仲間の旅行会が控えている。
但しご本人は越後銘酒に詳しく、酒席の宴会参加はそれほど、まんざらでもない様子である。まだまだ若い70代前半とはいえ健康第一である。かつての太鼓腹もようやく凹んできて、最近はずいぶん見栄えも良くなっておられる。

◆就任した外山健太新会長(72)は、日大三島校舎時代の同期に巻高から一緒に入学したマラソンの宇佐美がいた。宇佐美は三島校舎2年時でも、箱根駅伝で4区を走り日大を準優勝に導いている。オリンピック3大会連続出場の話はあまりにも有名である。
新会長になった外山氏は、かつては大手建機メーカーの辣腕営業マンであった。営業感覚に秀で成績抜群で、人付き合い良く、話題豊富である。
在職中には社長顕彰の常連であり、重役会での推薦リストには必ずと言っていいほど、名前が挙がっていた。この意気を今につないでいるから、会社退職後寺泊会に参加されてからは何年も前から、会長適任者が入ったぞと噂されており、副会長になってからも会長就任の懇願の手を役員会の席でも全員で緩めなかった。

■ところが現職会長さんが体調を崩され、決めごとがなかなかまとまらない日が続く。同期で役員の平石國男副会長にも説得に時間をかけてもらい、これでやっと、新会長さん引き受けOKの首を縦に振って頂いたのである。


寺泊会会長としては第9代目となる外山健太氏

◆初代会長の誕生は昭和の半ばで61年前になる。爾来9代に引き継いで現存している会長経験者は3名だ。
他の会と異なり、会員数の増減ばかりを気にしていないが、内容の有る会にしようと質の向上に励んでいる会である。

◆外山会長の許には、熟年で元気おばさんが多く集まることで有名である。
「熟年山歩きの会」をまとめており、全国の名山巡りにに余念がない。
もう一つの趣味として、無類の花火好きを実証する活躍が有る。
毎年8月の「ながおか花火大会」にはこれまた熟年夫人達を中心に、自らバスを手配し、長岡まで引率しその日は、郷里寺泊の宿に宿泊させておられるマメさには感心せざるを得なく、観光協会の表彰ものである。

◆俺の任期は2年だぞと、会長職を引き受けては下さったが、そうは問屋がおろしまいて。
意思強固で酒豪、まさに高度成長期の熱血ビジネスマンを絵に描いたような人物である。
個性の強い理事陣を束ねて、第9代会長時代も楽しみである。
側面で支える理事の女性陣も皆が好意的で、定期役員会議にも積極参加する、彼女たちは70代の時間をもて余す暇人族と見えても、全員が会の運営には時間を惜しまないで、ボランティア参加している。八王子から毎回参加の女性理事や、水引きアートの名人、お菓子つくりの達人理事さんも、皆が70代のご婦人である。加えるに今年は、上田町清水やさんのあんちゃんこと、清水文隆さんが新理事に加入、再任された平石國男副会長が事務局連絡業務を統括し、新会長を支える盤石なガバナンスで決めており、近隣の郷人会さんにとっては、実に羨ましい限りであろうと推察してやまない。
どうよ。

 

                                 ◆               ◆    ◆         

 

平成29年4月訃報相次ぐ

 

四月八日   外山健太氏逝く

 

四月十二日 小林秀雄氏逝く

 

 

  東京寺泊会9代会長 外山健太氏(享年75)は2017年4月8日自宅にて心臓発作のため急逝しました

直前の4月5日には、寺泊会役員会で2週間後に迫った4月23日の62回大会最終打ち合わせ会議に出席され、更にその後の靖国神社で桜を見る会にも、お元気な姿で役員たちの先頭に立って引率し楽しいひと時を過ごされていただけに、訃報には全員が信じられない思いであった

ここに謹んで故人のご冥福をお祈り申し上げます 4月23日の創立62周年記念大会はつつがなく遂行致しましたことをご報告申し上げます

 

訃報に絶句する東京寺泊会会員

 

 一方東京寺泊会の前会長小林秀雄氏(78)の訃報が、届いたのは現会長の訃報を受けて僅か3日後のことであった

2017年4月12日脳梗塞で亡くなられた。小平市にある広大な自宅敷地で寺泊会役員たちを野菜収穫に招いたり、稲門会の芋煮会を庭で開催したり、何よりも長年に亘って小平市の保守系以外の選挙対策事務所として無償公開してくれていた必勝祈願小屋の提供話は有名である。2017年4月9日に小平市長選挙で4期当選を果たした同郷人、小林正則氏もこの恩恵に授かり、区議会選挙に始まって、全回当選している縁起の良いスペースである。

秀雄さんは亡くなられる5日前に、私に1票投票して下さいましたと第62回寺泊会大会で小林正則氏は報告してくれた

 

     寺泊会一同衷心より哀悼の意を表します 

 

            東京寺泊会

 

 



















 

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