◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

経営に使うISO戦略が日本のふるさと会創生に有効的であることが認識され出し、リテラシーある企業退職者が動く。余裕あるボランティア族の先陣を寺泊会にいる輩が実証。
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◇ 浅草の殿の歩んだ人生94年

2012年4月17日・満94歳


佐野久治さん逝去

 


弟57回東京寺泊会も無事終了し、役員反省会も終え一息ついている頃、佐野久治氏逝去の知らせを受けた。東京寺泊会の名誉顧問として、いつも案内の出欠はがきを、誰よりも早く頂いていた。三月末に、体調が悪いので、参加できないのが残念とのお電話が、最後の御言葉となってしまった。いつも、多額の寄付を賜り、宴席では真っ先にカラオケを唄ってくれていた。また、会にはお孫さんの裕子様をお連れし、佐渡おけさの踊りになると、熱心に鑑賞されていたことが印象的であった。奥さまを昨年亡くされ、浅草在住で同じ町内会の樋口孝四郎氏(クロスター会長)と、慰め会をやろうかとも話していた所であった。樋口氏所有の浅草雷門近くのビルに久治さんとお邪魔し、墨田川花火を観賞したこともあった。永眠されたということは、もう二度とお声を聞くことも、寿司屋さんに二人で行くことも、できない事である。非常に残念で寂しいものである。ご遺族からは、「私共は心淋しい思いではございますが、祖母と天国から見守ってくれていると思っております。」と心境を綴っておられた。尊敬する殿を、お悔み申し上げるとともに、故人のご冥福を心より、お祈りいたします。九四年の人生を、まっとうされた浅草の殿と、平成24年4月17日・桜の季節が、永久の別れとなってしまった。     合掌               

 

 
ありし日の講演会追憶抄
 


第52回・東京寺泊会大会
浅草在住の呉服商「
つゞれ屋」会長・佐野久治さん(磯町出身)に
特別講演をお願い致しました
ご商売の話、浅草そして向島・神楽坂の花柳界のお話など、
たっぷりと語って頂きました


浅草の殿・プロフィール
昭和8年 18歳で上京
浅草で呉服業の世界に
昭和16年 入隊・4年間軍隊生活を送る
昭和21年 戦争で消失した浅草店舗再築
昭和25年 銀座進出・土地購入

つゞれ屋の商権を獲得
昭和26年 朝鮮特需・着物ブーム到来
日本はモンペ時代を脱する
昭和27年 日本橋に店舗購入・商圏拡大
 
「高級呉服専門店」稼業一直線
昭和46年 東京呉服専門店・連盟会長就任
昭和60年 5期10年間務めたあと辞任
昭和56年 全国呉服専門店連合会会長就任
昭和60年 2期4年間務めたあと辞任

東京都養護施設収容の孤児(7歳及び5歳児)に
お祝い着250組贈呈。昭和37年以降毎年継続。
昭和58年 鈴木俊一・東京都知事表彰 
平成元年・勲五等瑞宝章受賞

  平成16年日本橋三越本店新館、三越グループと共同建築
  
平成 22年4月16日、浅草の鮨屋「橋口」で、我々に55周年記念大会の労をねぎらってくれた。その会食後移動し、三越新館の一階に構える自身の店舗日本橋店を案内された佐野久治会長93歳は、、銀座4丁目の店舗にも連れて行って下さった。日本橋店の2階には豪華な作品で溢れ、顧客同様の懇切な解説を賜り、日本文化・和が呈する素晴らしさを堪能することができた。この時の佐野久治さんはまだ九二歳であった。

佐野久治の名誉にかけても、作品として後世に残せるものにしたい、と長い間この哲学を変えてはいない。
   共同オーナーとして建てた123456.JPG日本橋三越新館フロント写真
       


日本橋店の2階にある常設サロンでは、絢爛な作品が訪れた者を優しく迎えてくれる。寺泊人で良かった

つづく▼



   (同じ寺泊磯町出身同士で話がはずむ佐野さん)

佐野久治さんは大正六年-1917年生まれ。
今年満93歳を迎え、地元では「浅草の殿」の愛称で親しまれている。 画家になる事を夢見て、寺泊町を後にしたのが昭和8年。 当時、親戚が浅草で呉服商を営んでいたので、ここに身を置き、さて東京で良い先生でも見つけ、じっくりと絵の勉強をするかと16歳の少年は胸を膨らませていた。

所がある日、観音様へお参りし、すっきりした気分で家に帰ると義父は、真顔で「伝統ある着物は立派な美術品で、絵描きの作品より 遥かに深みのある工芸品なのだ」と懇切な熱弁、義母も相槌を打ち 「どうねこの店の仕事を、命懸けでやってみなさい」と結んだ。         
どうやら上京以来ここでの何日かの同居生活で、自分に商才がある事を先輩商人の眼で見抜いていたらしい。


ここから佐野久治さんの呉服業人生が始まった。             
当初は、越後の織物産地から買い付け、東京・名古屋・京都などの卸問屋に販売する仕事で、毎日注文問い合わせが入り休む暇も無い
その後は、仲見世の呉服店「増見屋」を買い取り小売業に転じた。当時の浅草六区は人も溢れる歓楽街、落語家、浪曲家、声楽家などの芸人達が行き交い、エノケンをはじめ、店の顧客には不自由しない。


やがて大戦を挟み、昭和25年には銀座4丁目で土地付店舗を購入。
同時に1丁目の「つゞれ屋呉服店」廃業話を聞き、商号を譲り受けた。
暫くは「増見屋・つゞれ屋」の店名で商売したあと、お得意さんの勧めもあり、現在の「つゞれ屋」に商号を変更したのであった。
        昭和27年には、日本橋三越本店横の角地に店舗購入し商圏を拡大。
後に日本橋の再開発に熱心な三越から、13階建ビル共同建築の話が進み、平成16年、遂に「お江戸日本橋の店舗ビル」が完成した。本店を浅草から日本橋へ移転登記したが、浅草は久治さんが好きな街。
浅草店を住居にし、現在も町内の旦那衆を引き連れ、指南役として活躍中。 講演された平成19年は、卆寿の年であった。東京寺泊会ではお祝いのバースデイケーキ をプレゼント。(お孫さんと二人で、にこやかに壇上で挨拶される佐野さん。)



趣味

絵を描くことは佐野久治さんの最高の趣味である。自宅には絵筆用ペンが100本以上も取り揃えてある。自身が制作した、今年の卒寿記念カレンダーに、その作品を観賞する事が出来る。絵は景徳鎮を凝視し彩色で表現した。                                  
景徳鎮とは、台湾から海を隔てた中国内陸部、江西省にあり古窯遺跡のある、大陸で最も古い陶磁器の里である。  

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