◆東京寺泊会だより ◆編集責任者・・・・橋本寛二

スマホ対象の枠組みで制作していないがPCだけでのアクセス表示75万超、「角上」・「寺泊出身」OR「脳の学校」の検索が殺到する好現象。確かにテレビ出演の影響は大きい。
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水上 勉 の著書 「 寺泊 てらどまり」


 

▲寺泊の浜辺を歩いた

 

作家・水上 勉      
                                                    

文学の世界で、越後・寺泊を描写した著名作家の作品はそう多くはない。ましてや小説のタイトルに掲げる出版社は実に珍しい。ところが「寺泊」を題材にした短編そのものを、本の題名にしたのが、出版社の新潮社である。作者は越後と同じ日本海を抱く越前出身の「水上 勉」(2004/9没)である。寺泊人のみならず,昭和生まれだったら、この作家の名前を知らない人はいないだろう。「寺泊」は昭和59年初版だが、海岸描写はこの30年くらい以前と推察される。文中に出てくる製材所とは、寺泊産業株式会社のことか。昔は「いたろさん」と呼んでいた。寺泊を「フンドシ町」と呼んでいた旧道しかなかった頃の風景である。(表紙に併記されている「わが風車」は、別作品)。
雪の降る越後の漁村、という設定で、寺泊町にイワシが捕れ、八艘船があった頃か、川端康成賞を受賞した名編である。もちろん駐車場のない、魚のアメ横以前の物語である。
水上 勉の代表作は自身が40代の作品が多い。昭和36年(雁の寺)、38年(越前竹人形、飢餓海峡)など、少年期の実体験や社会現象の匂いが漂い、昭和54年刊行の「金閣寺炎上」と続く。すべてが、出版社を充分に潤わせた作品となった。この間に連続して文学賞を受賞し、自他ともに一番充実した良き人生おう歌の時代であろう。聖僧・良寛にも似て、禅寺での修行があり、その厳しさを体験している。異なるところは、志願して得度した良寛に対して、強制的に実体験をさせられた経験を持つ。やがて体験をもとに、作品を世に送り出した。
切ない男女の絡み描写が小説にも映画にも、その真価を呈し、商業路線に乗り続けた。作家・水上が創作し、賞を得た著書は、実在の事件や風習がテーマとなった。「寺」や「竹細工」という身近な存在があり、ベッドやテーブルが登場する洋物と異なり、フトン、襖、障子が描かれ、これに、男女の情を絡ませる創作手法が、昭和の日本人に受け入れられた。加えるに名編集者がキャンペーンを仕掛け、映画化すると、名女優・若尾文子が、見事なまでに妖艶かつ女の情念を演じきり、その商品価値が輝いたのである。
残念なのは、主題歌が残されなかったことである。石川さゆりの「天城越え」なみの、歌詞と歌い手を生み出す企画がなかったのか。

■「寺泊」は良寛がきっかけだった











■ 水上勉は、良寛についても豊富な知識を持っていた。福井から雪  の降るある日に、国上に住む良寛研究家に会いに来た。その良寛  研究家は、「S高校の教師」というが西蒲原郡や三島郡にイニシャ  ルSのつく高校はどこだろうか。BかYかMなら見当がつくが、か といって、三条のSとは思いたくない。このころ寺泊には高校はなかった。水上氏の良寛人物像は、清貧を愛し子供好きの天真のひと、という事ではなかった。即ち、借金、米、味噌の無心好きで、タダ 酒飲む名人的な存在で、今これほどまで多くの遺墨、書簡類が 残っているのは、それらが礼状代わりだったからと信じている。こんな研究していたS高校の教師と語りたかったのだろう。話し終わっての帰り道に、国上の山からまっすぐ寺泊の浜へ降り、出雲崎に向かうフンドシ1本道を通って、石屋の角を曲がり、現在のアメ横どおり近くまで歩いたのであろう。
 

出版全盛から

 

出版不況の平成時代

 


■ さて、本といえば、世のスキャンダラスな話題を取り入れ、作家が書き下ろしまくると、ホンが売れ、月刊誌の発刊が続いた昭和中期、出版社全盛の時代が懐かしい。業界大手の、角川書店、新潮社、筑摩書房、平凡社、集英社、徳間書店、小学館から、婦人雑誌系の出版社まで、売れる商品に飛びつき、稼ぎまくり、同時に作家も潤った。平成の今、想像もしていなかった出版不況の社会現象で、この業界は、著名月刊誌の廃号や、大小出版社の統廃合、 倒産が目立つ。ぶ厚い雑誌を買わない、紙媒体本が売れない、広告主がなかなかつかないそうである。
昭和の婦人雑誌に夢中になっていた当時の読者層さん達も今や高齢層へ突入。
頭脳さえれど、視力も悪くなり、綾小路きみまろの風刺世界に笑いながら如意とうなずき
大多数は、単一行為に集中できる時間が限界気味だと嘆かれる。

白い割烹着姿がよく似合い、自分中流家庭婦人と思っていた主婦層たちがよく読んだ「主婦と生活」も「婦人倶楽部」も廃刊され、過去の物語になってしまった。誌上で人気のあった謝国権、ドクトルチエコの欄を読んだ楽しみは、今や昔の話かと、女房言い・・てか。
流通システムや、デジタル時代の功罪か、ネットの便利さを恨んでもしょうがない。
逆に新刊本で成長し続けてる出版社もある。総量が少ない新刊本を補完する新手法を展開できる経営層のいる出版社のみが生き残れる時代か。40代女性層向けの新雑誌を、来春立ち上げる新会社もあるそうである(9・4・ニッポン放送、あさラジ出演時の有名出版社・社長談)。
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発表したら寺泊会だよりを訴えるぞ
     ・
  
 ◆水上さんの作品と話題が外れてしまうが
実はこの民放ラジオのレギュラーとして早朝番組に出演していた超有名出版社の社長さんが、あまりにも破天荒で面白い銀座での自身の武勇伝を披露してくれたので、銀座ならそこの並木通り8丁目にある本社に30年以上在籍していた経験と、クラブの場所や時間軸での人の流れまで精通していた当職の実績を基に、件の社長が話した内容について位置的なウラをとってから短編小説風に創作した。、
早速、ニッポン放送の番組制作担当者に、この原稿を、寺泊会だよりに掲載したいが、
著作権は番組制作側にあると思うから、ご許可頂けないかとメール送信した。
後日ディレクタ-らしき方から返答があり、社長さんに読んでもらったところ、これを世に出すとは不届き千万だ。
発表したら「うちの会社が寺泊会を名誉棄損で訴える」とおっしゃってますよと、思いがけない返事がきた。
原稿の内容は想像で作った個人情報を暴露したわけでなく、早朝ラジオで衆人に放送された内容に基いて、
しかもご本人の言葉を文字にしただけであったのに、
多少誇張を加えたり、冷やかしながら・・・というのが 忘れもしない寺泊会だより提訴未遂事件の顚末である。
それにしても後悔は、放送を録音しておかなかったことであった。エビデンスのない証拠は必ず負ける。世の鉄則を忘れていたのである。


 
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風と砂の臭いを憶えていますか。
               
著名画家に潜む鋭い感性

寺泊在住の画家橋本直行氏の油彩画(寺泊会だよりに掲載許諾済)を観賞していると、ありし日の寺泊を呼び起こしてくれて癒される。八重山諸島に魅せられ、長期滞在し海と空を描き極めた、画家の力量であろう。
美術評論家は、橋本氏の作品を、写真のように精緻で写実的というが、この表現だけでは高額な作品の購買意欲が湧かない。、風と空気と匂いと音が聴こえる絵を描く画家の作品、と評するほうが、遥かに本質的な深い見方だと思える。
 
佐渡の見える浜(1999) 
   


     


▼船小屋(1997)s
 
▲漁 網(1998)  水上勉が歩いた寺泊海岸のイワシが主役と 思いたいが、この油彩画は、アミを描いたものである。ブルーのプラスチックス製かごは、作品の引き立たせ役か、作者は、来月新橋の画廊で個展開催のため上京されるので、愚問ながらお聞きしてみよう。
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